シャーマンへの道「1 やりたいこと」
自伝という事で、わたしがはじめて占い師として独立開業したのは1999年。
もちろんその前は占い会社に所属して修行をさせてもらいながら実力を磨いて、満を持しての開業だったのでお店はあっと言う間に大繁盛。
寝る間もないくらい働いて占いが大嫌いになったぐらいです(笑)。
これがわたしの初めての成功体験でした。
会社に所属しなくても自分の才覚と実力で食べていけるという自信はその後の人生を変えるくらい大きかったのです。占い師になる前は検査技師として医療検査会社に勤めていたけれど、どこかもやもやとした思いを抱えていて、いま思うと、当時のわたしが仕事に求めるものが技師の仕事では満たされなかったのだろうと思います。
だから出産を機に会社を辞めました。
そこから数年間子育てをしつつ、時間を作っては小説を書いていたのです。小説については今回は割愛しますが、機会があったら話しますね。その当時から小説の取材でよく旅に出ていました。
そして上の子が小学4年生くらいになったときに占い師として起業しました。
そのあとは前述したとおり。カウンセリングやコーチング等のセッションも同じだけど、占いの仕事はいってみればマニュアルがない。セッションは生き物だから、その場の会話の中で相手が求めるものを臨機応変に提供する必要があって、それがすごく面白かったんですよね。
さらに当時はいまほどインターネットが一般に普及していなかったので、広告媒体は占い雑誌を使っていて、毎月自分でデザインした広告を出していました。その広告を見てお客様がやってきて、そのうちリピーターのお客様が増えて、ごく一部の熱狂的なファンが付いて、気が付いたら予約の取れないお店になっていました。
一から自分の手で作りあげて社会に認められるまでになったとき、はじめて検査技師時代に満たされなかった仕事に対する思いが満たされた気がしました。あの当時、わたしが欲しかったのは、社会から有用な存在として才覚を認められることだったのだろうと思うのです。それは検査技師として働いているだけでは満たされなかったのです。
同時にそれを手に入れた時に思ったのは、「なんだこんなものなのか」という肩透かしを食らったような気持でした。名誉欲とか達成感なんて、規模や内容が変わったとしても、いざ手に入れてしまえば、それ以上でもそれ以下でもない、一時的な感情に過ぎないと感じたのです。たとえこの先どんなに事業の規模が拡大したとしても、それは同じことだろうなとも思いました。
これは若いサラリーマンが自分の担当したプロジェクトを成功させるために頑張ったり、事業を軌道に乗せていく過程で感じる気持と同じなのだろうと思います。要するに社会的な承認欲求がモチベーションになっている状態。それがたまたま私の場合は、占いという分野の経営を選んだというだけのことです。まだ本質的な自己実現の過程から生まれる創造ではなかったのです。
名誉欲、承認欲求、達成感が満たされてはじめて気づいたのは、まだ何かが足りないという思いでした。承認欲求以外の、もっと別の何かが、根本的に自分がここにいてもOKだと感じられる何かが足りないのです。それは長い間、仕事が成功しさえすれば埋められるはずだと信じていたのですが、この時どうやらそうじゃないらしいと思い始めました。ひとつの仕事をきちんと成功までもっていったからこそ、はじめて気づいたことでした。
そのあとの行動は迅速でした。
大成功していた占い会社をばっさりとクローズさせて、新しい何かを模索し始めたのは38歳、2000年の暮れでした。
長くなるので次回に続くね。
(シャーマンへの道 「2 エネルギーの使い方」に続く)
2015年9月
【シャーマンへの道シリーズ】
シャーマンへの道「1 やりたいこと」
シャーマンへの道 「2 エネルギーの使い方」
シャーマンへの道「3 宮古島」
シャーマンへの道「4 ユタ」
シャーマンへの道「5 ウハルズの謎」
シャーマンへの道「6 白龍」
シャーマンへの道「7 決断」
シャーマンへの道「8 禍津神の封印」
シャーマンへの道「9 暗黒龍王」
シャーマンへの道「10 心の暗黒面とフォーカシング」
シャーマンへの道「11 天河弁財天」
シャーマンへの道「12 大神神社と土砂降りの雨」
シャーマンへの道「13 「意識を飛ばす 竹生島弁財天」
シャーマンへの道「14 六芒星起動」
シャーマンへの道「15 それ」
シャーマンへの道「16 『それ』の本当の意味」
シャーマンへの道「17 そして、神がみえなくなった」