16年間で1万人以上の悩み相談にのってきたシャーマンが脳科学・心理学・スピリチュアルな世界の真理をベースにお届けする、魂のミッションを生きるためのロードマップ

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プロフィール

キョーコ★白鳥 澄江
魂育成コンサルタント。
大地と自然の声を聴くシャーマンであり、心理学&身体技法のプロとして、生きづらさを感じている人が「今日も楽しかったな」と笑える人生を創るためのサポートを行っている。
 
 

信じる力は世界を変えるという信念のもと、2004年から17年間で、1万人以上の悩み相談にのる。著書は心理学をベースにした「なぜ眠り姫は海で目覚めるのか? 超ネガティブ思考を解除する3つのメソッド」みらいパブリッシング社など。

※白鳥澄江は著者名。2001年からインターネットを使ってHPを運営していたため、キョーコ、あかしゃのふたつのハンドルネームを持っている。
7分2秒の自己紹介動画です。
  ↓↓↓

 

こんにちは。キョーコです。
わたしの仕事はシャーマンです。
 

え? シャーマン?
うん? シャーマンって何???
 

そうですよね(^^;
平たくいうと、シャーマンというのは、自然の気を扱う達人のことです。
と、同時に、心理学や脳科学の視点で、この世の悩み事を解決する達人でもあります。
 

ほら、ファンタジー映画に出てくるシャーマンや魔法使いは自然の精霊を使役すると同時に、悩みを抱えている主人公の良きアドバイザーでもあるでしょ?
 

古来からシャーマンは、最新の脳科学を使って人間の悩みを解決する達人でもあったわけです。
わたしも自然の気を扱うシャーマンですが、心理カウンセラーの資格をもった専門家でもあるんです。(下のほうに保持している資格が書いてあるので、興味のある方はそこを見てくださいね)
 

というわけで、2004年からこの仕事を始めて、1万人以上の悩める方たちの相談にのりながら、いつのまにか16年。
 

 自分に自信がない、本当は人と深く繋がりたいのに繋がれない、もっと自分の能力を開花させたいのに・・・、自分の魂のミッションを生きたいといった悩みを抱えている方たちの相談にのっています。また講座や教室をとおして愛を受け取り、自分の魂のミッションを生きる方法を教えています。
 

プライベートでは愛する夫ともに、2か月に1回、東京の自宅と北東北の別荘を行き来する2拠点生活。
別荘では夫の趣味の薪ストーブで自家製ピザを焼いたり、家庭菜園の手入れをしたり、四季折々の縄文の自然を愛でる生活を満喫中です。
 

幸福を絵に描いたような人生ですが、ここまで来るには山あり谷ありがあったんですよ。
10代の頃の私は、自分なんて価値がないと、心の底から思いこんでいたんです。
そのわたしが、どうしてシャーマンになって、自信をもって、魂のミッションを生きられるようになったのか?
 

その秘密はこれ。
よかったら読んでみてね。
 

↓↓↓

『どん底人生から、愛を受け取ることができる自分になって、願いを叶えたシャーマンのプロフィール』

 

もくじ

1 人生のどん底に落ちた秋祭りの夜
2 夢をあきらめる
3 奇跡は突然やってくる
4 リピート率90%のカリスマ占い師になって思ったこと
5 心の専門家として、シャーマンとして活動を始める
6 びっくりの事実が発覚
7 欲しい未来を手に入れる
8 人生でいちばん大切なもの
 

◆人生のどん底に落ちた秋祭りの夜

 それは9歳の秋祭りの夜のことでした。
 私は父親と一緒に近所の神社の秋祭りに出かけました。
 その日はまだ9月だというのに季節を先取りしたような冷たい雨が降っていましたが、神社の境内には夜店がひしめき合い、大勢の人でごった返していました。お目当ての綿あめとヨーヨーを買ってもらい、私はご機嫌で帰宅したのです。
 ところが帰宅した直後から高熱を出して、あれよあれよという間に大病院に入院するという事態に。
 
 
 腎機能に問題があるという事はわかったものの、最初の1か月は病名すらわからないまま絶対安静の日々を過ごしました。
 どうやら当時はまだ私のような症例がなかったらしく、入れ代わり立ち代わりドクターたちが病室に来たのを覚えています。結局、専門病院に転院後、やっとのことで正式な病名がつけられました。
 こうしてそれまで活発な子どもだった私は、長い闘病生活をすることになったのです。
 

◆夢をあきらめる

 多感な10代の大半を闘病生活で過ごしたわけですが、なにがつらかったかというと将来が見えないことでした。
 で、当時の私は砂漠で井戸掘りがしたかったんですよね。
 砂漠に憧れがあったのと、そこで働けたら毎日が楽しいだろうなーと思って。
 そうじゃなかったら、獣医になりたかったんですね。
 

 でも現実の自分は砂漠どころか、体育の授業も出られないし、修学旅行にも参加できない。
 毎日辛くて、何のために生きているんだろう?
 当時のわたしはいろいろなことをあきらめました。
 

 ただ学校を休むことが多かったわりには成績は中の上くらいでした。
 なので理系で、体力がなくても比較的働ける職種ということで、臨床検査技師になるための専門学校に進みました。
 

◆奇跡は突然やってくる

 そんなある日、突然、病気が治ってしまったんです。
 とくに何かの信仰があるわけではなかったんですが、目に見えない神さまの存在を信じていたんですよ。
 死をみじかに感じる日常を過ごしていると、やっぱり人智を超えたものを信じたくなるんですね。
  

 そんなわけで、19歳のある日、手術室のベッドの上で神さまに祈ったんです。
 麻酔がこわくて(笑)。
 

 すると突然、体がふわっと浮いて、巨大な、それこそ手術室が金色の光に包まれました。
 そのとき、「治った!」と思いました。
 その後、ほんとうに治ってしまったんです。
 

 とはいっても、当時はさまざまな葛藤を抱えていました。
 19年間積み重ねてきたネガティブな心の癖は手ごわくて、病気が治ったからといって、そう簡単にHappyな気持ちにはならなかったのです。超ネガティブな思い込みが、happyになることや、自分に起きた奇跡を信じることを妨げていたわけです。
 
 そんな自分が嫌で嫌でしょうがなかったんですね。
 このときから本気で、毎日祈りつつ、自分の心の中を眺める瞑想をするようになりました。
 どうしても、もういちどあの神さまの光に会いたかったのです。 
 

◆リピート率90%のカリスマ占い師になって思ったこと

  
 その後、結婚し、子供が生まれました。
 子育ては自分育てとはよく言ったもので、それまでの自分の超ネガティブな思い込みや価値観を突きつけられるたびに、自分と向き合いました。
 なかでもいちばんきつかったのは、「自分には価値がない」という思い込みでした。
 この思い込みが、私たちの人生から幸せを遠ざけてしまうんです。

 だから私は自分の超ネガティブな思い込みに徹底的にメスをいれました。
 この経験がいまの仕事のベースになっているのはいうまでもありません。
 

 37歳のとき、占い師の仕事を始めました。
 対面ではなく、電話でお客様の相談に乗る形態は子育てと両立するにはぴったりだったのです。
 瞬く間に、よく当たる人気占い師になりました。
 

 けれどデビューして1年が過ぎた頃でしょうか。
 わたしは占い師の仕事に物足りなさを感じ始めていました。
 
 
 当時の私は恐ろしいほどの的中率を誇っていましたから、当たれば当たるほど、お客様の依存心が強くなっていきました。当然、お客様は私の助言が聞きたくて些細なことでもリピートしてくれます。さらに客様は私に心酔していく・・・。
 

 リピート率が高いということは、占い師への依存度が高いという事です。
 お客様が目の前の問題を解決して、希望をもって生きていくサポートをするのが占い師の仕事だと思っていましたが、実際には人気が出れば出るほど矛盾が出てきたのです。
 

 私はお客様が自分自身の足で立って、人生をきりひらく力を育てるサポートをしたいと思うようになりました。
 そのためには、お客様自身が自分自身の思考パターンに気づき、行動を変えてゆく必要がありました。
 この時点で、占いを求めるお客様のニーズとのズレが生じ始めていました。
 

◆心の専門家として、シャーマンとして活動を始める

 私はばっさり占い師をやめて、新しい道を模索し始めました。
 そんなときに、インターネットを手に入れました。
 私は自分のホームページを作って、アートやヒーリング、瞑想・祈り・心理学などの記事を発信し始めました。
 

 19歳から本格的に祈りと瞑想を始めて、いつのまにか20年。
 シャーマニックな才能が開花した私は、この頃からシャーマンとして活動するようになりました。 
 同時に、祈りや瞑想がもたらす心理的な効果やシャーマニックな感覚を、論理的に説明できるようになりたいと思うようになりました。
 

 このとき出会ったのが、ロベルト・アサジョーリが体系化したサイコシンセシス(統合心理学)です。
 日本では数少ない米国サンフランシスコ・サイコシンセシス研究所の認定資格をもつ伊藤雄二郎氏が近くに住んでいることを知り、彼から直接学び始めました。さらに認知行動療法や交流分析など、集中的に心理学を学び始めました。
 

 2004年、都内でヒーリングと心理カウンセリングのサロンを開業して、サロン経営は順調に軌道に乗り始めました。
 

 そうそうシャーマン誕生の経緯は「自伝・シャーマンへの道1~17」をどうぞ。
 シャーマンとして目覚めて、それを越えて、いまの私になるまでのめちゃめちゃあやしい自伝です。
 

◆びっくりの事実が発覚

 話が前後しますが、私が本山博氏が主宰するクンダリニーヨガの道場の門を叩いたのは40歳を過ぎてからでした。
 そこで驚くべき事実が発覚。
 当時のクンダリニーヨガの師匠に「10代からあなたが続けてきた祈りは、じつはバクティヨガというんだよ」と言われて心底びっくり。
 

 師匠いわく、
 

「道場に通い始めて三か月もたたないのに、何十年も修行した高僧と同じ力を持っているので最初は驚いた。でも、すでにあなたは30年近くバクティヨガの修行をしてきたのだから当然の結果だね」
 

 このとき、なんだか報われた気がしました。
 病気が奇跡的に治ったときから、自分なりの方法でくる日もくる日も自分自身の心を見つめ続けてきましたし、その過程で19歳で出会った光と再び出会い、やがて光とともにあるのがわたしの日常となりました。けれど名の通った学校で学んだわけではないので、いわゆる肩書をもっていませんでした。
 

 だからこそ尊敬する師に実力を認めてもらえたことが本当にうれしかったのです。
 その道場には1年ぐらい通って、さまざまな瞑想の修行法を学びました。
 いま私が「マインドフルネス瞑想教室」で教えているのは、この道場で教わった手法です。
 

◆欲しい未来を手に入れる

 「本質的な生命力を呼び起こし、本来の創造力を開花させるプロセスをサポートする」という理念のもとに、2010年、株式会社オフィス・ルテラムウ設立しました。
 2011年~2016年 CEL講座(心理学から瞑想、コーチング・ビジネスコンサルティングまで幅広く学習する全課程260時間越えの講座)
2012年~2013年、そうてつ鍼灸院主催の「がんを持った患者さんのための勉強会」を定期的に開催。
 

 2011年の東日本大震災の直後から、無償で祈りの被曝ヒーリング個人セッションを行っていましたが、私ひとりの力では限界があると感じて、祈りの被曝ヒーリング勉強会を2か月に一回の割合で開催。また2012年には、佐藤研一氏と一緒にリトリート「カエルプロジェクト」を主催。
 

 サイコシンセシスに興味がある人のための「サイコシンセシス入門講座(全6回)」、身体技法(フェルデンクライス)とサイコシンセシス、さらに未来クリエイティングの技術を詰め合わせた「ボディ&サイコシンセシス講座(全6回)」、さらに単発で、勝負に勝ちたい人には必須の「不動心講座」、アウトドアの中で遊びながら不動心を身に着ける「里山トレッキング」、即興ダンスやアウトドア心理学を取り入れた「ヒーローズジャーニー講座」など遊びながら心理学のポイントを身に着ける講座やワークショップを行っていました。
 

 2017年10月6日、海と身体と心の三つを癒合させた乙姫プロジェクトスタート。

 2018年7月31日、9期まで経営した株式会社オフィス・ルテラムウを譲渡。その後、フリーランスとして活動を開始。

 2020年2月4日 みらいパブリッシング社から白鳥澄江の名前で「なぜ眠り姫は海で目覚めるのか? 超ネガティブ思考を解除する3つのメソッド」を出版。
現在、マインドフルネス座禅瞑想教室定期開催中。
 

◆人生でいちばんの成功は、愛を受け取ることができるようになったこと

 プライベートでは愛する夫ともに、2か月に1回、東京の自宅と北東北の別荘を行き来する2拠点生活。別荘では夫の趣味の薪ストーブで自家製ピザを焼いたり、家庭菜園の手入れをしたり、四季折々の縄文の自然を愛でる生活を楽しんでいます。

 私にとってのいちばんの成功は、9年間会社を経営したことでもなければ、カリスマシャーマンであることでもないんです。
 

 わたしにとってのいちばんの成功は、愛を受け取ることができる自分になれたことです。

 愛を受け取るには、資格も、能力も、自信もいらない。
 そこにある愛を、ただ素直に受け取ればいいだけです。
 だってわたしたちは生まれた瞬間から、この世界に愛されているからです。
 

 親子関係や人間関係がうまくいっていなかったとしても、
 彼氏も、パートナーもいなくて孤独だと感じていたとしても、
 いまこの瞬間、わたしたちが生きていられるのは、目に見えない大きな力に、ずっとずっと愛されて、守られてきたからです。
 

 あ、そうなのか・・・あの病気と孤独で苦しんだ10代の頃でさえ、ずっと愛されていたのか。
 健康じゃないと親にさえ愛されないと思っていたけど、そうじゃなかった。
 ずっと、父にも母にも愛されていたんだ。
 

 それに気づいて、自分という人間を受け入れることができるようになって、愛を受け取ることができるようになったことが、人生のいちばんの成功です。
 愛を受け取ることができるようになると、魂の伴侶(いまの夫)と出会い、自分自身の人生のミッションを自信をもって生きられるようになります。
 未来や将来への不安がなくなります。
 直観がめちゃめちゃ働くようになります。
 

 そしてなにより、毎日が面白い。
 何が起きようと、人生を愛でることができるようになります。
 そのあたりの話は、わたしの著書にも書いているので、興味のある方はぜひどうぞ。

 
 趣味は、
ダイビング、素潜り、カヤック、登山、古武道、美味しいものを食べに行く、庭いじり、読書、映画鑑賞、1000円ワインに合うおつまみ作り。
 

 

白鳥澄江ってどんなひと?
   動画を見てください 
    ↓
プライミングコンサルタントの室井俊男氏がパーソナリティをつとめる対談形式の1時間番組『一生成長TV』に出演した時の動画(2014年12月8日、および2015年10月15日放送)です。

 

◆2014年12月8日放送分(60分)
前半はキョーコ流シャーマンの祈り、後半はサイコシンセシス(統合心理学)の話をしてます。
自分のこの部分が嫌いとか、悩んでいるひとにはヒントになるはず!
「いま、ここ」について語っています。

 

◆2015年10月15日放送分(1時間20分)
病気で二十歳まで生きられないと言われていた頃からシャーマンになるまでの話を語っています。
最初から最後まで、ノンストップで妖しい話、不思議話満載です。

 

資格

■一般社団法人日本産業カウンセラー協会 / 産業カウンセラー
■全米NLP協会&日本NLP協会/ 認定マスタープラクティショナー
日本交流分析協会 JTAA / 1級交流分析士
■日本認知療法・認知行動療法学会JACT / 会員
■インターナショナルフェルデンクライス連盟IFF /フェルデンクライス・プラクティショナー

 

経歴

2004.09
心理カウンセリング&ヒーリングサロン『ルテラムウ』(屋号)オープン
2004.11
伊藤雄二郎氏とともに心理学と笑いが出会う実験サイト『笑いのシルクロード』を立ち上げる
2008.01
『ルテラムウ』 東京国分寺市に移転
この頃から本格的にセミナー形式の人間力養成講座を開始
2008.07
父親の介護のため西国分寺サロンをクローズ。以後、公共の施設での人間力養成講座と西国分寺駅のちかくのカフェでの対面セッションが中心となる。
2010.02.14
日本橋オフィスにて、株式会社オフィス・ルテラムウ設立
2018.07 株式会社オフィス・ルテラムウ譲渡。法人としての活動を一旦停止
2020.02.04 みらいパブリッシング社より「なぜ眠り姫は海で目覚めるのか? ~超ネガティブ思考を解除する3つのメソッド」出版

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