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鎮魂に寄せて~1986夏

 
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脳科学と心理学に精通し、16年間で1万人以上の相談にのってきたシャーマン。「信じる力は、世界を変える」がモットー。自分自身を信じる力・愛を受け取る力を育てる方法、激動の時代を乗り切る極意を教えている。 著書「なぜ眠り姫は海で目覚めるのか? 超ネガティブ思考を解除する3つのメソッド
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 68年前の8月6日と9日、広島・長崎に原爆が落ちて、日本は戦争に負けた。
 あのときからこの国の長い戦後が始まった。
 どれだけの月日が流れたのだろう?
 

 目に見える戦争は終わった。
 けれど原発・TPPなどに形を変えて、静かな戦争は続いている。こうした見えない戦争を許しているのは、いまなお私たちが親や祖父母の世代が負った心の傷を引き継いだまま、それを癒せないでいるからだ。
 

 まずは自分自身を癒してあげられたらいいよね。
 それは、いまなお彷徨う戦争の犠牲者たちへの鎮魂でもある。
 

 なぜならあなたの痛みはわたしの痛み、すべては繋がっているのだから。
 喜びも悲しみも、ともに在れ。
 

  というわけで、80年代峠族だった当時の私の経験をもとに描いた短編コラムのお届けです。
 
↓↓↓
 

「1986 夏」

 

「まるで気の抜けたコーラみたいなんだよな・・・」
 峠道の中腹にある見物コーナーの駐車場の前を耳をつんざくような爆音を響かせて数台のバイクが駆け抜けてゆく。アスファルトの照り返しとオイルとガソリンの入り混じった匂いで、あたりはむせかえるような熱気だ。
 
 
 少年はそのようすをぼんやりと眺めながらぽつんとつぶやいた。
 
 
 今からもう二十年近く前になるかな。まだバブルが全盛だった頃だった。
 当時二輪業界も空前のバイクブームに沸きかえり、巷にはフルカウルにバックステップ、最新のレーサーレプリカバイクがあふれ、休日になると郊外の峠道にはローリング族(峠族)と呼ばれるバイク少年たちが集まっていた。
 
 
 その頃わたしもロードレースに憧れるバイク乗りのひとりだった。休みになると、愛車のCBX250RSに乗って近くの峠によく走りに行った。
 峠にはいろんな連中がいた。レーサーに憧れている高校生や暴走族上がりの少年。ローンで買った最新のレーサーレプリカを得意げに乗り回している大学生。友人から安く譲ってもらった中古の50ccを大切に乗っている奴。
 
 
 速い奴がいちばんかっこいい。
 そのためなら一瞬の競り合いに命を賭けても惜しくない。
 
 
 バイク少年はもちろん、そんな命知らずの走り見たさにやってくるギャラリーも含めて、週末になると箱根や奥多摩、大垂水など有名な峠には100台以上のバイクが集まってくる。モータースポーツ関係の雑誌もそうした彼らの走りを煽りこそしたけど、ストップをかけることはなかった。誰もがお祭り騒ぎのような峠の熱気に酔っていた。
 もちろん、こんな無謀な連中ばかりじゃない。バイクフリークたちの名誉のために書くけど、マナーを守って走るライダーたちもたくさんいたんだよね。ただそれでも真っ当な一般ドライバーから見れば、公道でレースまがいのむちゃな走りをするんだから、迷惑きわまりない存在に見えたと思う。
 
 
 
 その日も数台のバイクが競り合いながら、だんご状になってコーナーに突っ込んでいった。そのなかの一台がスリップして転倒。ライダーは地べたに叩きつけられ、ヘルメットをこすりながらアスファルトの上を滑ってゆく。乗り手を失ったバイクの甲高いエンジンがあたりに響きわたる。
 一緒に走っていたライダーたちがあわてて周囲に集まってくる。
 
 
 即死だった。
 
 
 就職は売り手市場、日本人の多くがお祭り騒ぎの真ん中にいた。物質的には満ち足り日々のなかで、それほど努力をしなくても欲しいものは手に入った時代だった。けれどその一方で、水面下では着実に家庭崩壊や日本人の思考停止が進んでいったような気がする。そして祖母たちの時代まではかろうじて残っていた、自然とともに生きるという日本人の精神的なバックボーンさえもじょじょに失われつつあった。
 
 
 「おれたちはこの狭い日本で、あきらめて生きるしかねえんだよ」
 
 
 ある時、峠仲間の顔見知りの少年が吐き捨てるようにこう言った。
 なんの話をしていたのか、もう忘れてしまったけれど、そのときの声の響きはまだ覚えている。
 事故が起きたのは、そんな会話のあとだった。
 
 
 仲間うちでは一目置かれている彼の走りとその言葉は結びつかない。
 でもいまなら、彼がなぜそう言ったのかわかる。
 

 どんなに表面的にきらびやかに見えても、内面のともなわない豊かさは張りぼての虎なんだよね。彼はおぼろげながらも、自分の内側にある、目に見えないリミッターに気づいていたのだと思う。そしてそれは彼だけじゃなく、この国に生きている多くの人々にとっても同じように働いているんだよね。それはふだんは意識の奥深くに閉じ込められていて、めったに意識の表面に浮かび上がってこない。
 
 
 
 リミッター、すなわち日本人の限界。
 正確にいうと、わたしたち日本人の多くが自らの手で設定してしまった自分、あるいは日本という国の限界なんだよね。このリミッターの根っこは敗戦当時までさかのぼる。

 

 戦争に負けて、わたしたちの親や祖父の世代は、戦後の日本を立て直すために夢中で働いてきた。さまざまな矛盾を心の奥に無理やり押し込んで、戦中戦後の大きな価値転換に必死で順応しようとしてきた。その結果、日本は豊かになり、飢えて死ぬ人間はほとんどいなくなった。けれどアメリカに守られるのが当たり前の半人前の国家になってしまった。いま日米安保を含めたアメリカとの関係を対等な状態にもってゆくことができると本気で考えている日本人は何人いるんだろう?
 
 
 今の状況を必要悪というのかもしれない。
 自らの手で限界値を設定し、檻の中にさえいれば安全なんだという安易な意識がわたしたち日本人から奪ったものは、人間としての誇り、そして自らの力で生きる意志なのだと思う。
 この代償は大きい。
 
 
 周りがなんと言おうと自分自身でいられる強さや、何も持たなくてもただ生きているだけで感じることのできる充足感は、内側からくる自立した感覚なしには感じることは難しい。自分の力で人生に立ち向かう意志をもてば、苦しいこともあるけれど、公私にわたってあらゆる困難を乗り越えるアイデアを生み出す創造力は着実に育つ。
 この意志を自分の中に育てることができないと、意識・無意識にかかわらず、鬱積した思いや無価値感、空虚感が消えることはない。それを埋めるために、買い物、恋愛、仕事、お金、名誉、権力、アルコールなど、ひとはさまざまなものに依存する。バブルの狂乱はその典型だった。
 
 
 
 そしてもうひとつ。
 古い時代の日本人の内面の豊かさを根底から支えてきたのがアニミズム的な自然とのつながりだった。アニミズムというのは、森や川など、すべてのものに霊魂が宿るとする考え方だ。キリスト教や仏教などのような組織的な宗教に対して、アニミズムは原始宗教とも呼ばれる。これは人類がひととしての意識を持つようになった頃、洋の東西を問わず世界中に自然に発生していたというから人類共通の古い考え方なんだろう。キリスト教が勢力をもつようになると、欧米ではアニミズムは急速に失われてしまったけど、日本ではつい最近まで日常生活の随所にこうした感性が残っていたんだよね。
 
 
 地方によって違うけど、田舎のトイレに入ると、隅っこに一升瓶が置いてあるのを見かけたことがない? あれはトイレの神様にお酒をお供えしているんだよね。もちろん特別何かの宗教を信仰しているとかではなく、日常生活のなかで祖父の代から自然に受け継がれてきた習慣なんだよね。トイレに限らず、台所の神様、お箸の神様ってな具合に、古い世代の日本人は、自分たちを取り巻くあらゆるものに魂が宿ると考えて、心をこめて接してきたよね。自然やさまざまなものとの繋がりの中で生きるという心性は、ものを大切にする心、丁寧に心をこめてモノを作るという国民性につながっていった。
 
 
 すべてのものに魂が宿るなら、キリスト教の神もアラーの神も釈迦もトイレの神様も近所の森の神様も、みんな同じ仲間なんだから仲良くやりましょうという感覚なんだよね。外から入ってきたものを受け入れて自分流に消化してしまうこの柔軟さが、近代技術を積極的に取り入れても自国の文化を失わなかった大きな要因だったんだと思う。
 

 けれど今、そうした自然とのつながりの中で生きる文化も、当事者として自らの力で生きようとする意志も失われつつある。それは戦中世代のトラウマを現代に生きるわたしたちがそっくり引き継いでいるからなんだよね。
 

 これがリミッターの正体。
 このトラウマはそうと意識できないように姿をかえて、あたりまえの日常の中に溶け込んでいる。けれど平穏な日常に亀裂が入った瞬間、ふいにわたしたちの前に虚無感や根拠のない無価値感といった形で姿をあらわす。

  

 仲間が亡くなったあとも、あいかわらず峠にはバイク乗りたちが集まっていた。あっけないほど簡単に訪れた死という現実に衝撃は受けたけど、それでもアクセルを緩めることはなかった。多くのバイク少年たちにとって、亡くなった仲間は特別親しい友人というわけではなく、ただの顔見知りだったからだろう。けれど気がつくと、ぼんやりと仲間の走りを眺めている少年の姿がぽつりぽつりと目に付くようになった。
 

 峠に集まってきたバイク少年たちの多くは、瞬間のスリルに身をまかせ、ただひたすら走り続けることで胸の奥にある虚しさや無力感から逃げきれると思っていたのだ。
 だけどあの日、強烈な日差しの中でまるでスローモーションビデオでも見るように、アスファルトを転がっていった少年の姿を見た瞬間、何人かのバイク少年たちは気づいてしまった。どんなに走っても埋めることができないほど、自分たちは傷ついていたのだということに。
 
 
 けれど気づいたのなら希望がある。
 自分の中の空虚な感覚と真正面から向き合うことができたなら、おそらく目の前の薄っぺらな豊かさにしがみつくような選択はしないだろう。トラウマに根ざした根拠のない限界なんて、その本質に気づきさえすれば簡単にはずすことができるんだよね。

 
 
「まるで気の抜けたコーラみたいなんだよな・・・」
 そうつぶやいた少年はいつのまにか峠に来なくなった。
 その後、彼がどうしているのかわからない。
 
 
 月日は流れ、あの日から十数回めの夏がくる。
 うだるような熱気の中で、ふと見上げた空はどこまでも青かった。
 

文責・キョーコ
 
2013年8月6日

 

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Comment

  1. しょう より:

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    作り過ぎでくさい

  2. キョーコ より:

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    しょうさん 信じられないかもしれないけど、ほぼ実話です。 あの当時はこんなことが日常茶飯事だったんですよ(笑)。

  3. みき より:

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    そんな時代もありましたね。自分がその時代にいたことが実体のない夢のようですが。 キョーコさんがそう思っていたのはちょっと意外な気もしましたが、最近の自分とリンクしていて、妙にすとんと落ちたコラムでした。 祖父母世代のトラウマが孫世代に影響しているのは実感していますね。私の家族もそうですから。ずっと悩んできた自分個人の問題が、実は祖父母世代から引き継がれてきた問題だということを最近知って愕然。 ただ、それも「お前は1人では生きられない、誰かに守られていないとだめな人間なんだ」という親のいる家を出て、自分の力と気持ちに従って生きなければきっと気付かなかったことなのでしょう。

  4. キョーコ より:

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    みきさん わたしが峠族だったなんて、いまのわたしからは想像がつかないとよく言われます(笑)。 >「お前は1人では生きられない、誰かに守られていないとだめな人間なんだ」という親のいる家を出て、自分の力と気持ちに従って生きなければきっと気付かなかったことなのでしょう。 これ、大きいですよね。池の中にいるときは、その池の色が何色なのか、なかなか気づきにくいのだと思います。みきさんは自分の気持ちに正直に生きることをとおして、池の色に気づいたのですね。ここに至る道のりは大変だったのだろうと思います。 みきさんのリミッターはきっとすでに外れているような気がします(^ー^)

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