1池間島のミャークヅツ ウハルズとクイチャー(宮古・池間島旅行記2005)
最近、宮古島や池間島のことをよく訊かれます。
じつは宮古諸島は過去に何回か足を運んだことがあって、はじめての宮古島の旅については自伝シャーマンへの道にアップしてあります。
今回は2005年9月8~11日の宮古・池間島のルポをお届けするね。
【もくじ】
1池間島のミャークヅツ ウハルズとクイチャー(宮古・池間島旅行記2005)
2 池間島のミャークヅツ ムトゥ (宮古・池間島旅行記2005)
3 アマウナハーブ 竜巻の穴(宮古・池間島旅行記2005)
4 アマウナハーブ カギンミの森 (宮古・池間島旅行記2005)
5 アマウナハーブ 謎 (宮古・池間島旅行記2005)
6 終章 台風一過(宮古・池間島旅行記2005)
番外編 シャーマン的視点でみた宮古島とムー大陸(宮古・池間島旅行記2005)
宮古島への誘い
宮古島に行こうと思いたったのは7月の半ばだった。
ひさしぶりに沖縄の遥か南西に位置する宮古島の透明な海と青い空が見たいと思ったからだ。
さっそく沖縄本島に住む池間島出身の新崎さんに連絡をとると、こんな返事が返ってきた。
「キョーコさん、8日は池間島のミャークヅツですよ。知っていましたか?」
「ミャークヅツ?」
え~と・・・・たしか宮古島や池間島のお祭りのことだったような・・・。
「よかったらミャークヅツに参加しませんか? 今回は久しく途絶えていた島のツカサンマも復活しますよ。その日は年にいちど、ウハルズにも参拝できますし」
ウハルズというのはオハルズあるいはウパルズ、ナナムイとも呼ばれ、池間島でいちばん神聖な御嶽(うたき)のことで、ウラセリクタメナウという生命を司る最高女神が祭られている。ここは宮古の神々の発祥の地でもあるんだよね。ふだんはツカサンマの許可がなければ島民も立ち入ってはいけない場所なんだけど、年に一回のミャークヅツの日だけは島民はもちろん一般人にも参拝が許される。宮古旅行の日程とミャークヅツが重なるなんて、なんて素敵な偶然なんだろう。
そんなわけで2005年9月のはじめの、まだ強烈な日差しの照りつける宮古島に飛んだ。
ウハルズ (大主神社)
宮古空港に着くとレンタカー屋が待っていた。
手続きをすませ、新崎さんと合流するとさっそく池間島に向かった。
宮古諸島は沖縄本島から飛行機で南西へ50分ほど飛んだところにある。いちばん大きな宮古島を中心に伊良部島、下地島、池間島、来間島、大神島、さらに宮古島からRACで20分の多良間島、そのすぐそばにある水納島からなっている。宮古島には川がないので海に土砂が流れ込まない。そのため宮古の海は石垣島や沖縄本島などとくらべると、その透明度や青さが際立っているんだよね。
狩俣の集落を過ぎ、わたしたちは一本道をのんびりと走った。
池間島は宮古島の北西1.7キロのところに浮かぶ周囲12キロの小さな島で、宮古島とは池間大橋でつながっている。
はじめて池間島に行ったのは2002年の1月だった。あのとき、その海の色におどろいた。水色からエメラルドグリーンまでの七色のグラディーションのかかった海は息を呑むほど美しかった。
いまはピークを過ぎたけれど、カツオ産業が盛んだった頃は池間島のカツオ漁は有名だったらしい。ちなみに沖縄では漁師のことを海人と書いてウミンチュというけれど、池間島ではインシャと呼ぶんだよね。
さて池間大橋を渡って、漁港の西側の集落に続く坂道を上ってゆくと水浜広場が見えてきた。
目の前には東シナ海が広がり、左手の少し高台になったあたりには、ウハルズの森と大きな鳥居が海を見下ろすように立っている。
防波堤の前の空き地に車を停めると、ウハルズに続くゆるやかな坂道をのぼった。
大きな鳥居の前までくると、新崎さんが靴を脱ぐように言った。
「ここは神聖な場所なので、靴をはいたまま入ってはいけないんですよ」
なるほど・・・・・。
わたしは素足になって鳥居をくぐった。
足の裏に触れる石のゴツゴツとした感触を感じながら参道の奥へとすすむ。
あたりは湿った土と海から来る潮風が入り混じった匂いがただよい、クバやフクギに囲まれた幅2メートルほどの細い参道には、わたしたちのほかは誰もいない。
じつは池間島には何年か前に来たことがあるんだけど、そのとき不思議な体験をしたんだよね。
その日は1月にしちゃ汗ばむような陽気だった。とくべつ目的地があるわけじゃないんだけど、歩ける範囲で島をまわろうと思っていたんだよね。池間大橋のたもとでバスを降りて、漁港を通り過ぎ、海岸沿いの道をひたすら歩きまわって、ようやく水浜広場に戻ってきたときだった。
すでに傾きかけた陽射しが穏やかに東シナ海を照らし、あたりにはほとんど人影もなく、島のオジィが公民館のそばで片付けをしているだけだった。
わたしは歩き疲れて防波堤に寄りかかったまま、ぼんやりと海を眺めていたんだよね。
その時、ふとに誰かに呼ばれたような気がした。
次の瞬間、わたしを呼ぶ主のいる場所に行きたいという強烈な思いが胸の奥からこみ上げてきた。まるで突然誰かに恋したみたいに、居ても立ってもいられないほど強い衝動に駆られたんだよね。
感じるほうを見ると、防波堤の下の砂浜の右手に大きな岩があった。
わたしは防波堤を乗り越えて浜に下りると、その岩に向かって走った。
息をきらしつつ岩の前にたどりつくと、熱くて強いエネルギーが呼びかけてくる。
意識をひらくと、まるで岩の中に光源でもあるかのように、その暖かさは強さを増してどんどんひろがってゆく。
突然、胸の中で何かがはじけた。
次の瞬間、目の前に不思議な光景が映った。
エメラルドグリーンの海が広がり、真っ白い砂浜に透明な波が打ち寄せる。
沖合いから真っ白いサバニに似た小船が近づいてくる。そこには白い服を身にまとった男女が乗っていた。神話時代のそれのように、女は長い髪を頭のてっぺんで結い上げ、胸に美しい勾玉を下げている。男は頭の両側で長い髪を束ね、腰に大剣を帯び、やはり胸に勾玉を下げている。小船は揺れもせず、ふたりともゆったりと立ったまま、近づいてゆく島影を見つめている。
やがて小船は波打ち際に止まった。
穏やかな波がちゃぷんちゃぷんと音を立てる。
まず男が最初に降りた。
次に男に手をとられて女が浜に降りた。
――コ・イ・ツ・ノ
突然その言葉が閃いた。
コイツノ・・・・?
気がつくと、わたしは砂の上に膝をついていた。
そのとき自分でも不思議なんだけど、急にこの場所で線香をあげたくなった。
わたしはたしかに自然の精霊たちの声を聞くシャーマンだけど、これまで線香をあげて祈るスタイルはとったことがない。でもこの岩は香をたくことを強く望んでいるように感じたんだよね。だけどもしここが島のひとにとって大切な場所なら、島外の人間が勝手なことをしてはいけない。そう思いながらも、胸の奥からこみ上げてくる強い思いにはあらがえなかった。
もうどうにでもなれ。
わたしは覚悟を決めた。
翌日平良市内の雑貨屋で線香と酒を買って、もういちどこの場所にきて線香をあげて祈った。
東京に戻ったあと、自分の感じたものがなんだったのか、インターネットであれこれ検索してみたけれど、さっぱりわからなかった。ただコイツノというのは古意角といって、宮古島の漲水御嶽(はりみずうたき)に伝わる島立ての神話に出てくる夫婦神の男神と同じ名前だということはわかった。
自分で調べるのに行き詰った頃、不思議なご縁で池間島の新崎さんと知り合った。新崎さんによると、わたしが呼ばれた岩はミャークヅツの時にウハルズで使う砂を干しておくための岩なのだという。
なんとも不思議な話だった。
沖縄地方ではツカサンマやノロ、あるいカンカカリヤーなどと呼ばれるシャーマンたちが御嶽で先祖や精霊たちに祈るときには、お神酒を供え、香をたくのが普通だ。あの時、わたしが線香をあげてお神酒を供えたいと強烈に感じたのは、それがウハルズのための砂を干す岩だったからだろうか。
参道を歩いてゆくと、森の中の開けた場所にでた。
豊かな緑に囲まれた8畳ほどのこじんまりとした空間に、小さな石造りの社とツカサンマたちが祈りをささげるための屋根のついたスペースがあった。その横の白砂をもって30センチほど高くした2メートル四方ぐらいの砂の中には、たくさんの香炉が口まで埋めてあった。
祈りについていえば、沖縄地方が本州と大きく違うのは、沖縄の場合は御嶽(ウタキ)ていって、自然の岩や木そのものを祈りの対象とすることなんだよね。古くからある御嶽には人工物はほとんどなく、神様や精霊たちの宿る岩や木の前にちいさな香炉がぽつんと置いてあるだけという場合が多い。
近年になってから鳥居や社を造ったところも多いけど、本来の信仰のベースを失うことなく今に至っているような気がする。ウハルズも入り口の鳥居と石の社はあとから造られたもので、もともとの島のひとたちの信仰の対象は砂に埋もれた香炉のある場所やその奥の森なのだという話を聞いた。
…….
あの岩に呼ばれてから数年がたち、池間島の神様はわたしがこの地に足を踏み入れることをようやく許してくれたのかもしれない。宮古島、正確には池間島を皮切りに、沖縄本島、与那国島、石垣島、伊平屋島、天河、厳島、熊野、丹後、淡路島とあちこち旅してきた。そしてまるで振り出しに戻ったみたいに、ここ池間島に戻ってきた。あのときはひとりぽっちだったけど、いまは新崎さんや池間島のひとたちがすぐそばにいる。
しんとした御嶽の森の空気はどこまでも澄みわたっていた。
わたしは静かに目をとじた。
ここは池間島のひとびとが大切に守りつづけてきた聖地だった。かれらの祖先たちが遥かな海をわたって島にたどり着いた時から、何世代にもわたって受け継がれてきた島の魂のよりどころなのだろう。同時に陽気でおしゃべりな自然の精霊たちがそこかしこにいて、土地の人間ではない、わたしたち来訪者をおおらかに受け入れてくれる。
どこかで鳥の声がする。
なんだかウハルズの神さまが微笑んでくださっているような気がした。
クイチャー
さてウハルズの参拝を終えると、わたしたちは公民館前の水浜広場に向かった。
ツカサンマと呼ばれる神女たちがお神酒をささげ、踊りを奉納し終えると、はっぴ姿の男たちが輪になって踊るクイチャーが始まった。
「ひゃっさっさ、ひゃっさっさ」という掛け声にあわせて、豪快っていうか、なんてゆうかユーモラスな男踊りがじつにかっこいい!
わたしが笑い転げていると、新崎さんと微笑さんがお酒をもってきてくれた。
見ると、コップの中には真っ白い液体がはいっているんだよね。
濁り酒かなあ?
「これはミルク酒といって、泡盛をコンデンスミルクで割ったものさ」
微笑さんがにこにこしながらそう言った。
「えー???」
思わず目が点になった。
飲んでみると甘い。まさにコンデンスミルクそのものの味。
なんでも昔、病気のお年寄りが泡盛をコンデンスミルクで割って飲んだら病気が治ってしまったのが始まりなんだとか。
う~ん・・・すご過ぎる。
ちなみに使われている泡盛は菊の露だった。
ミャークヅツは旧暦9月の甲午(きのえうま)にあたる日に行われる伝統行事。その由来は18世紀後半にさかのぼる。当時、宮古・八重山・久米島一帯を支配下においた琉球王朝は離島の住民に厳しい人頭税を強いていたんだよね。過酷な自然条件と容赦ない取立ての中で、離島の住民は極度の生活苦に追いやられた。そこで年に一回、この時代に生きていることを感謝して、今を楽しむ日があってもいいじゃないかということで始まったのがミャークヅツなんだそうな。
この日は数え年で55歳以上のムトゥヌウヤと呼ばれる男たちが、真謝(マジャ)ムトゥ、上枡(アギマス)ムトゥ、前の家(マイヌヤー)ムトゥ、前里ムトゥの4つのムトゥにそろって、五穀豊穣と大漁を願い、今を祝い、長寿に感謝する日でもある。そのせいか、お年寄りがとにかく若いし、生き生きしているんだよね。
なかでも一本釣りの名人で吉進丸の船長 伊良波進さんはもう70歳を過ぎていらっしゃるんだけど、とにかく話がおもしろい。
伊良波さんは小学生の頃、おぼれかけた友人(・・・だったと思う)を助けたことがあって、それができたのは毎日海で遊んでいたからだっていうんだよね。
「もし毎日机の前で勉強ばっかりしていたら、友達の命は救えなかったでしょ? だから遊ぶことが勉強なわけさ」
なるほどなと思った。
生きる知恵は机上の空論じゃなくて、遊びの中から身につけろという伊良波さんの言葉は説得力がある。
草の上にすわって伊良波さんたちと話していると、新崎さんのいとこの伊計さんが来た。
これから伊計さんのお宅で飲むから、キョーコさんも一緒にどう? と誘ってくれた。
あとから伊良波さん、新崎さんも合流して、にぎやかな宴会になった。
伊計さんは平良市内で高校の先生をしているんだけど、とても気さくで愉快なひとなんだよね。
「氷に『あ』をつけると何て言う?」
「あこおり、ですか?」
「違う」
「う~ん・・・なんだろう」
「わからない? 降参?」
「うん」
「じゃ、困った、困った、小林幸子。しまった、しまった、島倉千代子と言って」
「・・・・・・」
もうやけだ(爆)。
「困った、困った、小林幸子」
「正解は、コーリヤ(韓国)でした」
「・・・・・・」
・・・・・こうして池間島の夜は更けてゆく。
(2 池間島のミャークヅツ ムトゥ に続く)
【宮古・池間島旅行記2005シリーズ】
1池間島のミャークヅツ ウハルズとクイチャー(宮古・池間島旅行記2005)
2 池間島のミャークヅツ ムトゥ (宮古・池間島旅行記2005)
3 アマウナハーブ 竜巻の穴(宮古・池間島旅行記2005)
4 アマウナハーブ カギンミの森 (宮古・池間島旅行記2005)
5 アマウナハーブ 謎 (宮古・池間島旅行記2005)
6 終章 台風一過(宮古・池間島旅行記2005)
番外編 シャーマン的視点でみた宮古島とムー大陸(宮古・池間島旅行記2005)
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