清水寺の始まりは奈良時代にさかのぼります。
奈良時代末期、奈良で修業をしていた賢心は夢の中で「北へ向かい、清泉を求めよ」という啓示を受け取りました。導かれるまま北に向かった賢心は音羽山(清水山)のふもとの瀧のほとりで、行叡居士という修行僧に出会いました。
「そなたが来るのを待っていた。この霊木に千手観音のお姿を彫って、この地を守れ」
行叡居士はそう言い残すと姿を消しました。あとに残された霊木を見た賢心は、行叡居士は千手観音の化身だったのだと悟りました。賢心は延鎮と名をあらため、千手観音を彫った霊木を瀧のほとりの庵に安置しました。
それから2年の月日が流れました。
ある日、天皇に仕える武人の坂上田村麻呂が妻の病気に効くという鹿の生き血を求めて音羽山にやってきました。延鎮は坂上田村麻呂に不殺生の教えを説きました。延鎮の話に深く感銘を受けた坂上田村麻呂は邸宅を寄進して、十一面千手観音をご本尊とする寺院を建立しました。これが音羽山清水寺の始まりです。

坂上田村麻呂は桓武天皇の命により、征夷大将軍として蝦夷を征伐するために兵を引き連れて東北に向かうことになりました。東北の地に赴く前に、坂上田村麻呂は清水寺で戦勝祈願をしたといいます。
十一面観音の霊威もあってか、坂上田村麻呂は蝦夷を征伐することに成功しました。坂上田村麻呂は蝦夷の統領であるアテルイに命までは奪わないと約束して、アテルイを京都の御所まで連行しました。ところが坂上田村麻呂の必死の懇願にもかかわらず、アテルイは処刑されてしまったのです。
朝廷側の騙し討ちによって処刑されたアテルイを鎮める儀式を行ったのは坂上田村麻呂とかかわりの深い清水寺だといわれています。面白いことに、清水寺の十一面千手観音は「清水型」といって、左右最上部の腕を頭上で組み、化仏(けぶつ)を両手で捧げ持つ独特の形をしています。また意外に思うかもしれませんが、清水寺の十一面観音菩薩は坂上田村麻呂を勝利に導いたように強烈な戦神の性質があります。
アテルイの激しい怒りと悲しみは、戦神にして深い慈悲で怨霊をも包む清水寺の十一面観音にしか鎮めることができなかったのかもしれません。清水寺はアテルイを供養しながら、同時に激しい怒りの力を守護の力に変換するためにアテルイを取り込んでゆきます。
清水寺は京都の東山・阿弥陀ヶ峰のふもとに広がっていた京都の三大葬送地(風葬の地)である鳥野辺の北の端に位置するため異界に近い寺でもありました。異界に接し、アテルイをはじめとした死者の穢れすら救済してしまうほどの力を持つ清水寺の十一面観音は国家をも覆しかねない強大で血塗られた武力(呪力)の象徴でもあったのです。裏をかせば、都の裏の守護としての役割を担っていたとも言えます。

裏があるなら表もあると思いませんか?
そうなんです。
表の守護こそ、比叡山なんです。
⇒3 霊的支配をかけた清水寺と比叡山の対立につづく
2026年9月13日
【清水の蛇の夢と比叡山レイライン】シリーズ
・清水の蛇の夢と比叡山レイライン 1 霊夢 2026年9月9日
・清水の蛇の夢と比叡山レイライン 2 清水寺の十一面千手観音は戦神? 2026年9月13日
・清水の蛇の夢と比叡山レイライン 3 霊的支配をかけた清水寺と比叡山の対立 2026年9月14日
・清水の蛇の夢と比叡山レイライン 4
・清水の蛇の夢と比叡山レイライン 5
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