2008年05月15日
宮崎・鹿児島・屋久島の旅 写真集
GWの六日間、宮崎・鹿児島・屋久島に行ってきた。
宮崎空港からほど遠くない場所にある青島神社から始まって、前半は気の向くままの神社めぐり。
後半は高速船で屋久島にわたり、山と森をひたすら歩いた。
最終日の早朝は鹿児島に戻り、高千穂峰登山。
活火山ははじめて登ったけど、北アルプスや八ヶ岳とはまったく違うエネルギーを感じた。
まさに不動の火だと思った。

鵜戸神宮の陽光
雨の洗礼を受けた翌日
祈りあとに雲間から太陽が現れた

鵜戸神宮
洞窟のなかの本殿に続く参道

屋久島 白谷雲水峡
一ヶ月のぶりの大雨のあとの森

屋久島 白谷雲水峡
命があふれる

屋久杉
樹齢2000年の生命力に圧倒される

屋久島 ウィルソン株
大きな木のうろのなかから空を見上げたところ

屋久島
いくつかの山を登っているうちに気づいたのは「生きている森」というのはじつはそんなに多くないんじゃないかということ。
ほんとうに生命力をもった森は多くの命を育んでくれる
屋久島の原生林もそんな生きている森のひとつだった

高千穂峰へつづく登山道
いまも赤い山肌の下ではマグマが活発に動いている
その岩肌を一歩一歩登ってゆくにつれて、下界の憂いが焼き尽くされてゆく

噴火口
噴煙がのぼり、周囲には硫黄の匂いが漂っている

山頂の岩肌に張り付くように生えている黄色い花

高千穂峰山頂

眼下に桜島が見える

ミヤマキリシマの濃いピンク色が鮮やかだった
春分の日、精霊たちの声にさそわれて始まった今回の旅は初日の激しい雨風の洗礼を皮切りに、屋久島の水や高千穂の大地を動かすマグマの圧倒的なエネルギーを肌で感じさせてくれた。
またひとつ好きな場所が増えた。
宮崎空港からほど遠くない場所にある青島神社から始まって、前半は気の向くままの神社めぐり。
後半は高速船で屋久島にわたり、山と森をひたすら歩いた。
最終日の早朝は鹿児島に戻り、高千穂峰登山。
活火山ははじめて登ったけど、北アルプスや八ヶ岳とはまったく違うエネルギーを感じた。
まさに不動の火だと思った。
鵜戸神宮の陽光
雨の洗礼を受けた翌日
祈りあとに雲間から太陽が現れた
鵜戸神宮
洞窟のなかの本殿に続く参道
屋久島 白谷雲水峡
一ヶ月のぶりの大雨のあとの森
屋久島 白谷雲水峡
命があふれる
屋久杉
樹齢2000年の生命力に圧倒される
屋久島 ウィルソン株
大きな木のうろのなかから空を見上げたところ
屋久島
いくつかの山を登っているうちに気づいたのは「生きている森」というのはじつはそんなに多くないんじゃないかということ。
ほんとうに生命力をもった森は多くの命を育んでくれる
屋久島の原生林もそんな生きている森のひとつだった
高千穂峰へつづく登山道
いまも赤い山肌の下ではマグマが活発に動いている
その岩肌を一歩一歩登ってゆくにつれて、下界の憂いが焼き尽くされてゆく
噴火口
噴煙がのぼり、周囲には硫黄の匂いが漂っている
山頂の岩肌に張り付くように生えている黄色い花
高千穂峰山頂
眼下に桜島が見える
ミヤマキリシマの濃いピンク色が鮮やかだった
春分の日、精霊たちの声にさそわれて始まった今回の旅は初日の激しい雨風の洗礼を皮切りに、屋久島の水や高千穂の大地を動かすマグマの圧倒的なエネルギーを肌で感じさせてくれた。
またひとつ好きな場所が増えた。
2008年05月09日
休暇を終えて
おはようございます。
連休中はずっと九州・屋久島にいました。毎日日の出を見たり、登山をしたりで、三時半起床が続いていたせいか、まだ連休疲れがぬけきっていないキョーコです。
連休中にシバちゃんのエネルギーが変化したね。
関東の連日の地震はその影響も大きいかな。
ま、地震対策はしっかりしておくにこしたことはないよね。
というわけで、このところ睡眠不足気味の脳みそは半回転状態のまま。
とても濃い休暇を過ごしたせいかな(笑)。
帰りの飛行機なかで、眼下にひろがる東京の夜景を見ながら、この飛行機が羽田に着陸する頃には自分もあの無数の街灯りのひとつに戻るんだろうなあと思った。
こんなふうに非日常から日常に切り替わる瞬間を感じられるなら空の旅も悪くないね。
連休中はずっと九州・屋久島にいました。毎日日の出を見たり、登山をしたりで、三時半起床が続いていたせいか、まだ連休疲れがぬけきっていないキョーコです。
連休中にシバちゃんのエネルギーが変化したね。
関東の連日の地震はその影響も大きいかな。
ま、地震対策はしっかりしておくにこしたことはないよね。
というわけで、このところ睡眠不足気味の脳みそは半回転状態のまま。
とても濃い休暇を過ごしたせいかな(笑)。
帰りの飛行機なかで、眼下にひろがる東京の夜景を見ながら、この飛行機が羽田に着陸する頃には自分もあの無数の街灯りのひとつに戻るんだろうなあと思った。
こんなふうに非日常から日常に切り替わる瞬間を感じられるなら空の旅も悪くないね。
2008年04月16日
信じる力
最近よくこんな会話を耳にする。
「未来を信じようと思うんだけど、ちょっとうまくいかなくなると不安になって、やっぱり無理だって思ってしまうんです。どうせわたしなんか幸せになれるわけがない・・・って」
気持ちはわからないでもない。
わたしもうんと若い頃はそんなふうに思っていた時期もあった。
だからこそ言えるんだけど、『信じる力』っていうのは意志の力なんだよね。信じようとする決意といいかえてもいい。
仕事にしろ、恋愛にしろ、ちょっと躓くと過去のいやな記憶がよみがえってきて、「また失敗するかもしれない」とか「やっぱり無理だ」とか「どうせわたしなんか」てな気持ちになることは誰にでもある。
不安な感情にひたっているうちに、いつのまにか「信じよう」という前向きな気持ちに変化してくれればありがたいんだけど、なかなかそうはいかないよね。もちろんフォーカシングでじっくり不安と向き合うことで楽になる場合もあるけど、それはセッションなどでのトレーニングが必要だったりして一朝一夕にはいかないんだよね。
じゃどうしたらいいのか?
それは意志の力をつけること。
たとえば恋人や友人との関係がどうもうまくいかない。相手の気持ちを信じることができなくて不安で仕方がないとするよね。
そのときはまず自分自身の気持ちを確かめること。もしこの先も相手と仲良くしてゆきたい気持ちがあるなら信じるという決断をすればいい。
これは感情じゃなくて意志の力なんだよね。
そして信じると決めたなら日々の生活のなかで具体的に行動することが大事。
もちろん自分のなかに不安な気持ちがあるのなら、その気持ちを押さえつけたり無視したりするんじゃなくて、ちゃんと存在を認めて感じてあげていい。
そのうえで不安な感情に飲み込まれるのではなく、ちょっと力技なんだけど相手を信じる強い意志をもつこと。もっと正確にいうなら、相手を信じようとする自分自身を信じてあげること。
つまりひとや物事やその先にある未来を信じるっていうのは、じつは自分自身を信じてあげることなんだよね。
このプロジェクトを成功させたい、試験に合格したい、この人が愛しい、友達と仲良くしたい。こうした気持ちのどれもがほかの誰でもない、自分の心の内側から生まれてくるよね。
その気持ちは最初はとてもひよわで柔らかで、生まれたての瑞々しい新芽みたいなものなんだよね。だからこそ丁寧に時間をかけて世話をしながら、ときには強い意志の力を発揮して全力で守ってあげないと育たない。
望んだ状態を築くプロセスのなかで、横槍がはいったり、予定通りに動かなくて心がザワザワするような事が起きるときもある。そのとき相手や周囲の状況に引きづられて、自分自身の心の内側にある望みやまっすぐな思いを捨ててしまえば、そのプロジェクトや相手との関係はそこで終わってしまう。
ここで苦しくてもその場に踏みとどまることができるかどうかが明暗をわける。これが意志の力、信じる力なんだよね。
自分にはそんな力なんかないって?
最初からそんな力のあるひとなんていない。日々の生活のなかで地道に自分を育ててゆくしかないんだよね。心が萎えそうになったら、目の前のできることから具体的に手をつける。
どんなに難題山積みだったとしても、自分自身を信じる力が状況を大きく変える。一歩一歩地道に歩いてゆくうちに、いつのまにか周囲の風が変わっているのにきっと気づくよ。
「未来を信じようと思うんだけど、ちょっとうまくいかなくなると不安になって、やっぱり無理だって思ってしまうんです。どうせわたしなんか幸せになれるわけがない・・・って」
気持ちはわからないでもない。
わたしもうんと若い頃はそんなふうに思っていた時期もあった。
だからこそ言えるんだけど、『信じる力』っていうのは意志の力なんだよね。信じようとする決意といいかえてもいい。
仕事にしろ、恋愛にしろ、ちょっと躓くと過去のいやな記憶がよみがえってきて、「また失敗するかもしれない」とか「やっぱり無理だ」とか「どうせわたしなんか」てな気持ちになることは誰にでもある。
不安な感情にひたっているうちに、いつのまにか「信じよう」という前向きな気持ちに変化してくれればありがたいんだけど、なかなかそうはいかないよね。もちろんフォーカシングでじっくり不安と向き合うことで楽になる場合もあるけど、それはセッションなどでのトレーニングが必要だったりして一朝一夕にはいかないんだよね。
じゃどうしたらいいのか?
それは意志の力をつけること。
たとえば恋人や友人との関係がどうもうまくいかない。相手の気持ちを信じることができなくて不安で仕方がないとするよね。
そのときはまず自分自身の気持ちを確かめること。もしこの先も相手と仲良くしてゆきたい気持ちがあるなら信じるという決断をすればいい。
これは感情じゃなくて意志の力なんだよね。
そして信じると決めたなら日々の生活のなかで具体的に行動することが大事。
もちろん自分のなかに不安な気持ちがあるのなら、その気持ちを押さえつけたり無視したりするんじゃなくて、ちゃんと存在を認めて感じてあげていい。
そのうえで不安な感情に飲み込まれるのではなく、ちょっと力技なんだけど相手を信じる強い意志をもつこと。もっと正確にいうなら、相手を信じようとする自分自身を信じてあげること。
つまりひとや物事やその先にある未来を信じるっていうのは、じつは自分自身を信じてあげることなんだよね。
このプロジェクトを成功させたい、試験に合格したい、この人が愛しい、友達と仲良くしたい。こうした気持ちのどれもがほかの誰でもない、自分の心の内側から生まれてくるよね。
その気持ちは最初はとてもひよわで柔らかで、生まれたての瑞々しい新芽みたいなものなんだよね。だからこそ丁寧に時間をかけて世話をしながら、ときには強い意志の力を発揮して全力で守ってあげないと育たない。
望んだ状態を築くプロセスのなかで、横槍がはいったり、予定通りに動かなくて心がザワザワするような事が起きるときもある。そのとき相手や周囲の状況に引きづられて、自分自身の心の内側にある望みやまっすぐな思いを捨ててしまえば、そのプロジェクトや相手との関係はそこで終わってしまう。
ここで苦しくてもその場に踏みとどまることができるかどうかが明暗をわける。これが意志の力、信じる力なんだよね。
自分にはそんな力なんかないって?
最初からそんな力のあるひとなんていない。日々の生活のなかで地道に自分を育ててゆくしかないんだよね。心が萎えそうになったら、目の前のできることから具体的に手をつける。
どんなに難題山積みだったとしても、自分自身を信じる力が状況を大きく変える。一歩一歩地道に歩いてゆくうちに、いつのまにか周囲の風が変わっているのにきっと気づくよ。
2008年04月07日
シバちゃんの進路予測編 〜傾向と対策〜
というわけで今後の予測ですが、端的にひと言でいうと、シバちゃんのエネルギーはこのまま五月まで加速していきそうな気配です。
五月のはじめ、GWあたりでおそらくシバちゃんはもう少しクリエイティブで調和のとれた八幡神のエネルギーに変換というか進化します。この余波を受けて世の中の出来事や物事が大きく加速、変化する可能性大。
問題はこのシバちゃんの進化の波を受けて、わたしたち人間が物事を創造的なプラスの方向に働くように転換させることができるかどうか、あるいは出来事のプラス面を見て、そこから未来の可能性を模索することができるかというところです。
そのために大切なのは、今月の過ごしかた。自分自身の心を見つめて、自分はほんとうはなにを望んでいるのか、ほんとうはどうしたいのか、自分自身とじっくり会話してみてください。そして素直な気持ちで欲しいものは欲しいと伝える。やりたいことがあるならその方向に動く準備をすすめる。つかれているなら休む。
経済その他もいろいろ動くかもしれませんが、大事なのは自分の心のありようです。ひとは物事を見るとき、自分というフィルターを通してみます。そのフィルターがもしも曇っていたり、傷ついていたりすれば、目に映る風景は実物とは違って見えます。
別の言いかたをするなら、ひとは「自分自身の感情」で世の中の動きをとらえているんです。ネガティブな感情が大きければ、その人の目にはこの世界はとても暗い、絶望的なものに映るでしょう。逆にこの世界のプラスの部分のみに目を向けるなら、世界は希望と可能性に満ちているかも知れませんが、それはあまりにも薄っぺらい子供じみた、やはり現状とはかけ離れたものとして認識されるかもしれません。
自分自身の心の闇と光といったものを冷静に客観的に見つめるとき、この世界は絶望に満ちたものでもなければ、根拠のない楽観的なHappyだけのものでもないことに気づきます。
チベット問題や北朝鮮、中東、アフリカの民族問題など、わたしたちが住むこの世界は多くの苦悩を抱えている一方で、遠いアフリカの地でマラリアをどう減らしてゆくか日々取り組んでいる医療関係者や農業の再生、地域社会のなかで子供たちをどう育てていくかといったさまざまな問題に多くの人たちが日々地道に取り組んでいるのも事実です。
どちらの現実もわたしたちひとりひとりの心のありようが創っているという事実にわたしは人間の可能性を感じます。
プラス面もマイナス面もふくめて現状をできるかぎり客観的に把握したうえで、自分たちの望む未来にもってゆくにはどういたらいいのか? できるならちいさなエゴではなく、自分もまわりも幸せに感じる状態を創るにはどうしたらいいのか? そして自分に何ができるのか? 自分は何をしたいのか? すべては『自分』のありようが出発点になるわけです。
自分がどうしたいのかわかってきたなら、素直にその気持ちにしたがうことです。そうした気持ちや望みといった心のありようは他の誰でもない、あなただから感じる、あなたという存在の発露そのものです。この世界のなかでそれはあなたの担当です。あなたの代わりはいないんです。あなたがあなたの人生を全うしなければ、世界は機能不全に陥ります。
この世界の現状を把握している人の多くが自分に何ができるか悩み、迷い、道を探しています。かつてのわたしがそうであったように。
けれど道は外にではなく、あなたの中にあります。それはあなたがあなたとして、『自分自身』を生きることです。その原点は宇宙規模の壮大なドラマではなく、日々の何気ない生活のなかにあります。
いまこの瞬間、あなたは自分の選択に納得していますか? もし納得していないなら、自分自身の心の声にじっくりと、辛抱強く耳を傾けてあげてください。自分自身を生きることはそこから始まります。
もしもこの世に生まれてきた理由というか、役割があるとしたら、それは表面的な仕事とか能力ではなく、自分の気持ちに忠実に、自分自身を生ききることではないかと思います。
そしてそんなふうに生きるなら、まわりで少々突風が吹こうとも、あなたは自分の担当をコツコツとこなすことができると思います。なぜって、その地道な作業こそが着実に現実を創ってゆくものだからです。
この方向にすこしでも近づいてゆけるなら、きっとシバちゃんの安定型の八幡神エネルギーを創造的なプラスの方向に働くように転換させるということができるでしょう。
ま、気楽に肩の力を抜いて、生きることそのものを楽しみましょ♪
■関連記事
2008年4月7日 シバちゃん旋風現状報告編
2008年3月29日 シバ神のウインク
五月のはじめ、GWあたりでおそらくシバちゃんはもう少しクリエイティブで調和のとれた八幡神のエネルギーに変換というか進化します。この余波を受けて世の中の出来事や物事が大きく加速、変化する可能性大。
問題はこのシバちゃんの進化の波を受けて、わたしたち人間が物事を創造的なプラスの方向に働くように転換させることができるかどうか、あるいは出来事のプラス面を見て、そこから未来の可能性を模索することができるかというところです。
そのために大切なのは、今月の過ごしかた。自分自身の心を見つめて、自分はほんとうはなにを望んでいるのか、ほんとうはどうしたいのか、自分自身とじっくり会話してみてください。そして素直な気持ちで欲しいものは欲しいと伝える。やりたいことがあるならその方向に動く準備をすすめる。つかれているなら休む。
経済その他もいろいろ動くかもしれませんが、大事なのは自分の心のありようです。ひとは物事を見るとき、自分というフィルターを通してみます。そのフィルターがもしも曇っていたり、傷ついていたりすれば、目に映る風景は実物とは違って見えます。
別の言いかたをするなら、ひとは「自分自身の感情」で世の中の動きをとらえているんです。ネガティブな感情が大きければ、その人の目にはこの世界はとても暗い、絶望的なものに映るでしょう。逆にこの世界のプラスの部分のみに目を向けるなら、世界は希望と可能性に満ちているかも知れませんが、それはあまりにも薄っぺらい子供じみた、やはり現状とはかけ離れたものとして認識されるかもしれません。
自分自身の心の闇と光といったものを冷静に客観的に見つめるとき、この世界は絶望に満ちたものでもなければ、根拠のない楽観的なHappyだけのものでもないことに気づきます。
チベット問題や北朝鮮、中東、アフリカの民族問題など、わたしたちが住むこの世界は多くの苦悩を抱えている一方で、遠いアフリカの地でマラリアをどう減らしてゆくか日々取り組んでいる医療関係者や農業の再生、地域社会のなかで子供たちをどう育てていくかといったさまざまな問題に多くの人たちが日々地道に取り組んでいるのも事実です。
どちらの現実もわたしたちひとりひとりの心のありようが創っているという事実にわたしは人間の可能性を感じます。
プラス面もマイナス面もふくめて現状をできるかぎり客観的に把握したうえで、自分たちの望む未来にもってゆくにはどういたらいいのか? できるならちいさなエゴではなく、自分もまわりも幸せに感じる状態を創るにはどうしたらいいのか? そして自分に何ができるのか? 自分は何をしたいのか? すべては『自分』のありようが出発点になるわけです。
自分がどうしたいのかわかってきたなら、素直にその気持ちにしたがうことです。そうした気持ちや望みといった心のありようは他の誰でもない、あなただから感じる、あなたという存在の発露そのものです。この世界のなかでそれはあなたの担当です。あなたの代わりはいないんです。あなたがあなたの人生を全うしなければ、世界は機能不全に陥ります。
この世界の現状を把握している人の多くが自分に何ができるか悩み、迷い、道を探しています。かつてのわたしがそうであったように。
けれど道は外にではなく、あなたの中にあります。それはあなたがあなたとして、『自分自身』を生きることです。その原点は宇宙規模の壮大なドラマではなく、日々の何気ない生活のなかにあります。
いまこの瞬間、あなたは自分の選択に納得していますか? もし納得していないなら、自分自身の心の声にじっくりと、辛抱強く耳を傾けてあげてください。自分自身を生きることはそこから始まります。
もしもこの世に生まれてきた理由というか、役割があるとしたら、それは表面的な仕事とか能力ではなく、自分の気持ちに忠実に、自分自身を生ききることではないかと思います。
そしてそんなふうに生きるなら、まわりで少々突風が吹こうとも、あなたは自分の担当をコツコツとこなすことができると思います。なぜって、その地道な作業こそが着実に現実を創ってゆくものだからです。
この方向にすこしでも近づいてゆけるなら、きっとシバちゃんの安定型の八幡神エネルギーを創造的なプラスの方向に働くように転換させるということができるでしょう。
ま、気楽に肩の力を抜いて、生きることそのものを楽しみましょ♪
■関連記事
2008年4月7日 シバちゃん旋風現状報告編
2008年3月29日 シバ神のウインク
シバちゃん旋風現状報告編
というわけで四月です。
あいかわらずシバちゃん旋風は健在だね。
この時期シバちゃんの影響は大きく二通りに分かれる。
ひとつはシバちゃんのエネルギーをまともにくらって、精神的・肉体的なダメージが大きいグループで、(魂が)チャレンジ精神旺盛なため自ら修行真っ最中モードになっているひとたち。
ここはひとつ腰を落ち着けて地道に問題に取り組みつつ、「朝の来ない夜はない。明日は明日の風が吹く」ぐらいの気持ちで臨んでね。そして肩の力を抜いてリラックスすること。あなたがあきらめないかぎり、ぜったいに乗り越えることができる。大事なのはあきらめないことだよ。
むかし週刊少年ジャンプに連載していた「スラムダンク」というバスケ漫画のなかで、試合中にピンチに陥って「もうだめだ・・・」とあきらめかけた三井君に向かって、試合を観戦していたバスケ協会みたいなやつの偉い先生が、
「あきらめたらそこで終わりですよ」
と、言うシーンがある。
これはすべてにいえる。あきらめたらそこでゲームセットなんだよね。がんばる必要はないよ。けれどあきらめちゃだめだよ。
さてもう一方は、今回のシバちゃん旋風が来るよりもずっと前からプレ旋風に吹き飛ばされそうになりながら必死で問題に取り組んできたグループ。
こちらはそれまで散々痛い目にあっているのでシバちゃんウェーブの乗りこなし方を熟知している。つまり失敗から学んでいるわけ。次々と起きる、いっけんトラブルの火種にもなりかねない出来事を「雨降って地固まる」のごとくプラスの形に生かす方法を知っているので、結果的に物事がクリエイティブに動く。
たとえばあなたにとって大事な存在である恋人や友人との間でなにか問題が起きたとき、あなたならどうする?
怒りや不安を衝動のまま言葉にだせば、相手に真意が伝わらずに誤解を招いたり、ただ反発心しか生まないかもしれない。逆にその不安を相手に伝えないまま心の奥底にしまいこんでしまうと、本当のコミュニケーションがとれなくなって、結果的にお互いの信頼関係を壊してしまう。決してこんな状態を望んでいたわけじゃないよね。
じゃどうしたらいいんだろう?
そもそも不安や怒りの気持ちはどこからくるんだろう?
それは相手を嫌いだからじゃないよね。ほんとうは相手が大好きだからわかってほしいんだよね。つまりおたがいに心を通わせたいんだよね。それができないから不安になったり、どうしてわかってくれないの!ってな感じて怒りを感じてしまうんだよね。
つまり怒り不安といったいっけんネガテイブな感情の裏側にあるのは、愛する気持ち、仲良くなりたい気持ち、心を通わせたい気持ちなんだよね。ここがポイント。
もし怒りや不安を感じたら、その気持ちの奥底にある自分のほんとうの気持ちに気づくこと。そして相手との関係を大切にしたい気持ちに気づいたら、相手を責めるのでも、自分を卑下するのでもなく、ハートの奥にある素直な自分の気持ちを伝えること。
もちろん多くのひとにとって、大切なひとに本当の気持ちを伝えることはとても怖いことなんだよね。それがネガティブな感情をともなうものであればなおのこと、相手に拒絶されたらどうしよう、わかってもらえなかったらどうしようといった気持ちが働いて、つい下手な駆け引きをしたり、虚勢をはって墓穴を掘ったり。けれどそれじゃいつまでたっても相手とのあいだにほんとうの信頼関係は生まれないんだよね。
怖いかもしれないけれど、本当の自分をさらしてごらん。欲しいものは欲しいと言葉にしていいんだよ。相手との関係を大切にしたいという気持ちがベースにあるなら、相手の目を見て、心をこめて、素直な気持ちで話してごらん。それがあなたにとって本当のパートナーや大切な友人ならきっと気持ちは伝わるよ。
シバちゃんウェーブ乗りこなし組の多くは、こんなふうに問題をプラスに生かす方法をそれまでの数々の失敗や痛い経験から学んでいるんだよね。その結果、いっけんネガティブな自分自身の感情を見つめて、その奥にあるほんとうの気持ちに気づいて、それをベースに周囲のひとと心が触れ合うコミュニケーションがとれるってことなんだよね。こうした視点、方法が身についたとき、シバちゃんのエネルギーはその人にとってプラスの追い風にかわる。
誤解しないでほしいのは、いま苦戦しているから自分はだめだとか、先に気づいたからいいとか、そういうことじゃないよ。ひとそれぞれオリジナルの人生の脚本をもっているんだから自分のペースで歩いていい。
先に気づいたひとたちは、自分のまわりのひとたちがSOSサインをだしていたら力を貸すことができたらいいよね。いま葛藤中のひとも、自分自身の未来と可能性を信じて、いまの自分を大切にしようね。
というわけで長々と書いたけど、これが現状。そのうえで今後はどうなるかっていうと、長くなったので別の記事に書くのでちょっとお待ちを。
あいかわらずシバちゃん旋風は健在だね。
この時期シバちゃんの影響は大きく二通りに分かれる。
ひとつはシバちゃんのエネルギーをまともにくらって、精神的・肉体的なダメージが大きいグループで、(魂が)チャレンジ精神旺盛なため自ら修行真っ最中モードになっているひとたち。
ここはひとつ腰を落ち着けて地道に問題に取り組みつつ、「朝の来ない夜はない。明日は明日の風が吹く」ぐらいの気持ちで臨んでね。そして肩の力を抜いてリラックスすること。あなたがあきらめないかぎり、ぜったいに乗り越えることができる。大事なのはあきらめないことだよ。
むかし週刊少年ジャンプに連載していた「スラムダンク」というバスケ漫画のなかで、試合中にピンチに陥って「もうだめだ・・・」とあきらめかけた三井君に向かって、試合を観戦していたバスケ協会みたいなやつの偉い先生が、
「あきらめたらそこで終わりですよ」
と、言うシーンがある。
これはすべてにいえる。あきらめたらそこでゲームセットなんだよね。がんばる必要はないよ。けれどあきらめちゃだめだよ。
さてもう一方は、今回のシバちゃん旋風が来るよりもずっと前からプレ旋風に吹き飛ばされそうになりながら必死で問題に取り組んできたグループ。
こちらはそれまで散々痛い目にあっているのでシバちゃんウェーブの乗りこなし方を熟知している。つまり失敗から学んでいるわけ。次々と起きる、いっけんトラブルの火種にもなりかねない出来事を「雨降って地固まる」のごとくプラスの形に生かす方法を知っているので、結果的に物事がクリエイティブに動く。
たとえばあなたにとって大事な存在である恋人や友人との間でなにか問題が起きたとき、あなたならどうする?
怒りや不安を衝動のまま言葉にだせば、相手に真意が伝わらずに誤解を招いたり、ただ反発心しか生まないかもしれない。逆にその不安を相手に伝えないまま心の奥底にしまいこんでしまうと、本当のコミュニケーションがとれなくなって、結果的にお互いの信頼関係を壊してしまう。決してこんな状態を望んでいたわけじゃないよね。
じゃどうしたらいいんだろう?
そもそも不安や怒りの気持ちはどこからくるんだろう?
それは相手を嫌いだからじゃないよね。ほんとうは相手が大好きだからわかってほしいんだよね。つまりおたがいに心を通わせたいんだよね。それができないから不安になったり、どうしてわかってくれないの!ってな感じて怒りを感じてしまうんだよね。
つまり怒り不安といったいっけんネガテイブな感情の裏側にあるのは、愛する気持ち、仲良くなりたい気持ち、心を通わせたい気持ちなんだよね。ここがポイント。
もし怒りや不安を感じたら、その気持ちの奥底にある自分のほんとうの気持ちに気づくこと。そして相手との関係を大切にしたい気持ちに気づいたら、相手を責めるのでも、自分を卑下するのでもなく、ハートの奥にある素直な自分の気持ちを伝えること。
もちろん多くのひとにとって、大切なひとに本当の気持ちを伝えることはとても怖いことなんだよね。それがネガティブな感情をともなうものであればなおのこと、相手に拒絶されたらどうしよう、わかってもらえなかったらどうしようといった気持ちが働いて、つい下手な駆け引きをしたり、虚勢をはって墓穴を掘ったり。けれどそれじゃいつまでたっても相手とのあいだにほんとうの信頼関係は生まれないんだよね。
怖いかもしれないけれど、本当の自分をさらしてごらん。欲しいものは欲しいと言葉にしていいんだよ。相手との関係を大切にしたいという気持ちがベースにあるなら、相手の目を見て、心をこめて、素直な気持ちで話してごらん。それがあなたにとって本当のパートナーや大切な友人ならきっと気持ちは伝わるよ。
シバちゃんウェーブ乗りこなし組の多くは、こんなふうに問題をプラスに生かす方法をそれまでの数々の失敗や痛い経験から学んでいるんだよね。その結果、いっけんネガティブな自分自身の感情を見つめて、その奥にあるほんとうの気持ちに気づいて、それをベースに周囲のひとと心が触れ合うコミュニケーションがとれるってことなんだよね。こうした視点、方法が身についたとき、シバちゃんのエネルギーはその人にとってプラスの追い風にかわる。
誤解しないでほしいのは、いま苦戦しているから自分はだめだとか、先に気づいたからいいとか、そういうことじゃないよ。ひとそれぞれオリジナルの人生の脚本をもっているんだから自分のペースで歩いていい。
先に気づいたひとたちは、自分のまわりのひとたちがSOSサインをだしていたら力を貸すことができたらいいよね。いま葛藤中のひとも、自分自身の未来と可能性を信じて、いまの自分を大切にしようね。
というわけで長々と書いたけど、これが現状。そのうえで今後はどうなるかっていうと、長くなったので別の記事に書くのでちょっとお待ちを。
2008年03月29日
シバ神のウィンク
というわけでシバちゃんである。
うん? シバちゃんなんて知らないって?
・・・・そうだよね。ご指摘はごもっとも。
シバちゃんというのはシバ神の性質をもったエネルギーのこと。
シバ神の前身はインドの『ヴェーダ』のルドラ神で、暴風を司る破壊神である反面、田畑に恵みの雨を降らせて癒しを与え、命を育む豊穣の吉祥神でもある。ここから破壊と創造の神として、重要視されるようになったんだよね。日本には空海が密教を伝えるさいに不動明王として入ってきた(らしい)。
いちおう一般的にはこんな説明をされていると思う。
キョーコ的には弁天さんと不動明王がエネルギー的に火と水で陰陽和合した結果、創造をもたらす八幡神のエネルギーに統合される過程で、破壊の側面が強いとき八幡神のなかのシバちゃんの顔があらわれると感じているんだよね。
つまり、
弁天さん + 不動明王 = 八幡神 > シバ神
ってな感じ。
※キョーコ注
ここに登場する神の名前は特定の宗教とはまったく関係ありません。名は体をあらわすのごとく、目に見えないエネルギーを表現するさい、そのエネルギーを特定するためにそれぞれの性質に応じて名前があると思ってください。
で、話を戻すと、先日からこのシバちゃんのエネルギーが吹き荒れているんだよね。前述のとおり、シバちゃんのエネルギーは最終的には創造につながるんだけど、途中経過においては、これがなかなか手ごわいんだよね。
具体的には個人の心の中の膿みだし、生み出し、浄化作用という側面をもっているので、それまで見て見ぬふりをしていた自分の本音と向き合わざるを得なくなるの。
先日友人がひさしぶりに派手な夫婦喧嘩をしたっていうから、いつ? と聞いたら、ちょうどシバちゃんが派手に登場した日の夜中から明け方にかけて。う〜ん。。。エネルギーの波に翻弄されたねと言ったら、
「あ〜〜〜〜! 乗ってしもうた!」
と、言って笑っていた。
ちなみにシバちゃんのエネルギーが暴走気味のときは、個人も社会も自立・自律・左脳・論理的・行動・現実化といった男性性に象徴される性質のマイナス面に偏りがちになる場合が多いので、もしトラブルの渦中にいる場合はそのへんをちょっと振り返ってみるといいかも。
大事なのは自立・自律・左脳・論理的・行動・現実化といった男性性と自己受容・霊性・右脳といった女性性のバランス。外に向かって自分を表現すると同時に、自分の心の内側とじっくり向き合うことで、両者のバランスがうまくとれてくるよ。イメージでいうと、破壊と創造をもたらす荒らくれた龍を愛で包む弁天さんって感じかなあ。
誰もが自分のなかに龍、すなわちシバちゃんを飼っているんだよね。
それとどう付き合ってゆくかが私たちの課題かも、ね♪
※ 参考
2005年12月30日 クラマと八幡神 2006年の流れ 1
うん? シバちゃんなんて知らないって?
・・・・そうだよね。ご指摘はごもっとも。
シバちゃんというのはシバ神の性質をもったエネルギーのこと。
シバ神の前身はインドの『ヴェーダ』のルドラ神で、暴風を司る破壊神である反面、田畑に恵みの雨を降らせて癒しを与え、命を育む豊穣の吉祥神でもある。ここから破壊と創造の神として、重要視されるようになったんだよね。日本には空海が密教を伝えるさいに不動明王として入ってきた(らしい)。
いちおう一般的にはこんな説明をされていると思う。
キョーコ的には弁天さんと不動明王がエネルギー的に火と水で陰陽和合した結果、創造をもたらす八幡神のエネルギーに統合される過程で、破壊の側面が強いとき八幡神のなかのシバちゃんの顔があらわれると感じているんだよね。
つまり、
弁天さん + 不動明王 = 八幡神 > シバ神
ってな感じ。
※キョーコ注
ここに登場する神の名前は特定の宗教とはまったく関係ありません。名は体をあらわすのごとく、目に見えないエネルギーを表現するさい、そのエネルギーを特定するためにそれぞれの性質に応じて名前があると思ってください。
で、話を戻すと、先日からこのシバちゃんのエネルギーが吹き荒れているんだよね。前述のとおり、シバちゃんのエネルギーは最終的には創造につながるんだけど、途中経過においては、これがなかなか手ごわいんだよね。
具体的には個人の心の中の膿みだし、生み出し、浄化作用という側面をもっているので、それまで見て見ぬふりをしていた自分の本音と向き合わざるを得なくなるの。
先日友人がひさしぶりに派手な夫婦喧嘩をしたっていうから、いつ? と聞いたら、ちょうどシバちゃんが派手に登場した日の夜中から明け方にかけて。う〜ん。。。エネルギーの波に翻弄されたねと言ったら、
「あ〜〜〜〜! 乗ってしもうた!」
と、言って笑っていた。
ちなみにシバちゃんのエネルギーが暴走気味のときは、個人も社会も自立・自律・左脳・論理的・行動・現実化といった男性性に象徴される性質のマイナス面に偏りがちになる場合が多いので、もしトラブルの渦中にいる場合はそのへんをちょっと振り返ってみるといいかも。
大事なのは自立・自律・左脳・論理的・行動・現実化といった男性性と自己受容・霊性・右脳といった女性性のバランス。外に向かって自分を表現すると同時に、自分の心の内側とじっくり向き合うことで、両者のバランスがうまくとれてくるよ。イメージでいうと、破壊と創造をもたらす荒らくれた龍を愛で包む弁天さんって感じかなあ。
誰もが自分のなかに龍、すなわちシバちゃんを飼っているんだよね。
それとどう付き合ってゆくかが私たちの課題かも、ね♪
※ 参考
2005年12月30日 クラマと八幡神 2006年の流れ 1
2008年03月28日
風に誘われて
どこへゆくのだろう。
風が変わった。
精霊たちがわたしを呼ぶ。
早くおいで、と。
聴こえてくるのはMarcellaの唄。
10代の頃の胸の痛みがよみがえるから
長い間、ずっと聴けなかった。
いま
穏やかに彼女の歌を聴いているわたしがいる。
どこへゆくのだろう。
体の奥にある魂が目を覚まし、
細胞のひとつひとつが鮮やかに風景と混ざり合ってゆく。
心の奥のかすかな予感にわくわくしている。
わたしはこの風を知っている。
なつかしくて、きな臭くて、けれど新しい何かを運んでくる風。
ずっとむかしから幾度となく感じてきたこの肌触り。
どこへゆくのだろう。
海の匂いを運んでくる風に誘われて
遠い南の島の大木に会いにいこうか。
水は流れ、風は嵐を呼ぶだろう。
夜明けの空に輝く星は雨上がりの朝を運んでくるだろう。
雨に洗われた空はあなたになにを語りかけるだろう。
わくわくと
どきどきと
かすかな予感と
生まれ変わる世界に
ただ百億の感謝をこめて乾杯。
風が変わった。
精霊たちがわたしを呼ぶ。
早くおいで、と。
聴こえてくるのはMarcellaの唄。
10代の頃の胸の痛みがよみがえるから
長い間、ずっと聴けなかった。
いま
穏やかに彼女の歌を聴いているわたしがいる。
どこへゆくのだろう。
体の奥にある魂が目を覚まし、
細胞のひとつひとつが鮮やかに風景と混ざり合ってゆく。
心の奥のかすかな予感にわくわくしている。
わたしはこの風を知っている。
なつかしくて、きな臭くて、けれど新しい何かを運んでくる風。
ずっとむかしから幾度となく感じてきたこの肌触り。
どこへゆくのだろう。
海の匂いを運んでくる風に誘われて
遠い南の島の大木に会いにいこうか。
水は流れ、風は嵐を呼ぶだろう。
夜明けの空に輝く星は雨上がりの朝を運んでくるだろう。
雨に洗われた空はあなたになにを語りかけるだろう。
わくわくと
どきどきと
かすかな予感と
生まれ変わる世界に
ただ百億の感謝をこめて乾杯。
2008年03月18日
Never give up
天と地が目覚め
世界は慟哭する
渦巻く風気は大地を渡り
あなたたちのもとに届くだろう
それは泡沫の夢
そのときあなたたちはなにを抱いているだろう
そのときその眸になにが映っているだろう
皐月の風はひそやかに
水無月の雨はしめやかに
稲妻は虚空に閃き
やがて稲穂は実をむすぶ
時は満ち
葉月の大地は 遥かな唄を口づさむ
そのときあなたたちはなにを抱いているだろう
そのときその眸になにが映っているだろう
天地鳴動
くしなだ すさのお あまてらす
寝物語に夢をみる
そのときあなたたちはなにを抱いているだろう
そのときその眸になにが映っているだろう
2008.3.18
ひさびさの戯言です。
神示か即興詩か、解釈判断はみなさまにおまかせ。
なにか心にぴんと響くものがあれば、自分のその感覚を信じて行動するとよいかと思います。
シェアできる方は気楽にコメント欄にどうぞ。
どちらにしても今年は政治経済も含めてさまざまなことが動くし、自然の動きもあなどれません。
が、年頭の記事にも書いたとおり、常識や世間的な価値基準にまどわされずに自分の「いま」を大切に生きましょう。
そのときにきっと激動の時代にど真ん中にあって、なおかつ希望に通じるなにかが見えてきます。
Never give up !
世界は慟哭する
渦巻く風気は大地を渡り
あなたたちのもとに届くだろう
それは泡沫の夢
そのときあなたたちはなにを抱いているだろう
そのときその眸になにが映っているだろう
皐月の風はひそやかに
水無月の雨はしめやかに
稲妻は虚空に閃き
やがて稲穂は実をむすぶ
時は満ち
葉月の大地は 遥かな唄を口づさむ
そのときあなたたちはなにを抱いているだろう
そのときその眸になにが映っているだろう
天地鳴動
くしなだ すさのお あまてらす
寝物語に夢をみる
そのときあなたたちはなにを抱いているだろう
そのときその眸になにが映っているだろう
2008.3.18
ひさびさの戯言です。
神示か即興詩か、解釈判断はみなさまにおまかせ。
なにか心にぴんと響くものがあれば、自分のその感覚を信じて行動するとよいかと思います。
シェアできる方は気楽にコメント欄にどうぞ。
どちらにしても今年は政治経済も含めてさまざまなことが動くし、自然の動きもあなどれません。
が、年頭の記事にも書いたとおり、常識や世間的な価値基準にまどわされずに自分の「いま」を大切に生きましょう。
そのときにきっと激動の時代にど真ん中にあって、なおかつ希望に通じるなにかが見えてきます。
Never give up !
2008年03月14日
試験一週間前
年明けからスキルアップもかねて、交流分析士の養成講座に通っていたんだけど、いよいよ来週末が試験。
交流分析そのものはフルにセッションに取りいれているのでそれほど難しい内容じゃないんだよね。ただ筆記試験となると専門用語の羅列なので、また微妙にニュアンスが違う。最近記憶力低下が著しいわたしとしてはかなりマズイ(滝汗)。勉強しなきゃと思いつつ、このところいろいろ考えることがあって、なんとなく後回しにしていたんだよね。
そんななかで昨夜、友人にいまの気分というか、とりとめもない話を聞いてもらったせいか、今朝朝ごはんを食べ終わった頃には気分がかわっていた。
必要書類をちゃっちゃっと書きあげ、掃除をすますと、ひさしぶりにゆっくり坐って自分と向き合ってみようと思った。(キョーコ注:坐るというのは、フォーカシング&丹田瞑想のことをさします)
自分のなかに深くはいっていきながら、いままでの流れがすべて細部にいたるまで必然だったことや、そこから生まれた新しい流れを感じてみる。
ああ。。。そうか。なにかが生まれる前の、あの感じなんだな。それまでの自分の仕事のしかたや自分の在りように対してもやもやとした感覚のときはいつもそう。よりよいものを創るためにステップアップする必要があるよという自分の内側からのサインなんだよね。
自分のなかでストンとおちた。
話を聞いてくれた友人と気づかせてくれたわたしのなかの「もやもや」した気持ちに感謝。
よーし。試験勉強を始めるぞ。
交流分析そのものはフルにセッションに取りいれているのでそれほど難しい内容じゃないんだよね。ただ筆記試験となると専門用語の羅列なので、また微妙にニュアンスが違う。最近記憶力低下が著しいわたしとしてはかなりマズイ(滝汗)。勉強しなきゃと思いつつ、このところいろいろ考えることがあって、なんとなく後回しにしていたんだよね。
そんななかで昨夜、友人にいまの気分というか、とりとめもない話を聞いてもらったせいか、今朝朝ごはんを食べ終わった頃には気分がかわっていた。
必要書類をちゃっちゃっと書きあげ、掃除をすますと、ひさしぶりにゆっくり坐って自分と向き合ってみようと思った。(キョーコ注:坐るというのは、フォーカシング&丹田瞑想のことをさします)
自分のなかに深くはいっていきながら、いままでの流れがすべて細部にいたるまで必然だったことや、そこから生まれた新しい流れを感じてみる。
ああ。。。そうか。なにかが生まれる前の、あの感じなんだな。それまでの自分の仕事のしかたや自分の在りように対してもやもやとした感覚のときはいつもそう。よりよいものを創るためにステップアップする必要があるよという自分の内側からのサインなんだよね。
自分のなかでストンとおちた。
話を聞いてくれた友人と気づかせてくれたわたしのなかの「もやもや」した気持ちに感謝。
よーし。試験勉強を始めるぞ。
2008年03月13日
入笠山 スノートレッキング
先週長野県の入笠山にスノトレに行って来た。
ゴンドラで標高およそ1700メートルの地点までいって、そこから入笠湿原を経て、標高1955メートルの山頂まで歩く往復3時間のコース。
今回はじめてスノーシューをはいた。
夏山とくらべると雪があるぶん、急勾配の登りは思ったよりずっときつくて正直まいった。スノーシューに慣れてくると下りのずるずる感が快感に変わってくる。

ゴンドラ駅を出発して20分ほどで入笠湿原にでる。

シラカバに混じってまつぼっくりがかわいい

雪原に伸びる影

山頂
向こうに見えるのは八ヶ岳連峰

山頂でうどんを作る。
お湯が100℃で沸騰しないからちょぴり野菜がかたい。

下山開始
はいているのはスノーシュー。
これ、爪がついているんだけど、急勾配のくだりはずるずる滑るんだよね。
思わず笑顔が引きつる。

雪・雪・雪。。。

無事下山
誰が作ったのか、登山道入り口のネコ雪だるま
太陽と森と大地、
そして
生きとし生けるものすべてに感謝をこめて。
2008.3.8 新月
ゴンドラで標高およそ1700メートルの地点までいって、そこから入笠湿原を経て、標高1955メートルの山頂まで歩く往復3時間のコース。
今回はじめてスノーシューをはいた。
夏山とくらべると雪があるぶん、急勾配の登りは思ったよりずっときつくて正直まいった。スノーシューに慣れてくると下りのずるずる感が快感に変わってくる。
ゴンドラ駅を出発して20分ほどで入笠湿原にでる。
シラカバに混じってまつぼっくりがかわいい
雪原に伸びる影
山頂
向こうに見えるのは八ヶ岳連峰
山頂でうどんを作る。
お湯が100℃で沸騰しないからちょぴり野菜がかたい。
下山開始
はいているのはスノーシュー。
これ、爪がついているんだけど、急勾配のくだりはずるずる滑るんだよね。
思わず笑顔が引きつる。
雪・雪・雪。。。
無事下山
誰が作ったのか、登山道入り口のネコ雪だるま
太陽と森と大地、
そして
生きとし生けるものすべてに感謝をこめて。
2008.3.8 新月
2008年03月10日
クリエイティブパワー 〜生きる力
「ーーーー自分なんていなければよかった。そうしたら両親はあんなに喧嘩しなかったのに」
しぼりだすような声でそう言った彼女の肩がかすかにふるえた。
やがて低い嗚咽が部屋のなかにもれた。
生活苦による両親の不仲など、さまざまなことで幼ない子どもたちは心を痛め、自分を責める。自分がもっといい子にしていればお父さんとお母さんは喧嘩しなかったかもしれない。かれらは心の奥の悲しみを押し殺して、自分は親の笑顔を取り戻すために生きようと決心してしまう。
けれどほんとうはそれは親自身の問題であって、子どもたちの問題じゃない。客観的にみて経済的に苦しいという状況があったとしても、すべての夫婦が不仲になるわけじゃない。不満や相手を責める気持がでてきたら、自分のその気持をじっくり見つめることで自分自身を知るチャンスなんだよね。そのうえで力を合わせて状況を乗り切ろうとする夫婦もいるし、そうすることで家族の絆はより深まる。
反対に自分自身のエゴに気づくこともなく、相手を責めていがみ合うという選択をしたのなら、それは誰のせいでもない、かれらは自分たちに与えられた最高のチャンスを生かせなかったということ。ようするに起きてくる物事にはそれ自体には幸・不幸はない。ただ事実があるだけ。それをどう捉えてどう意味づけしてゆくかは、わたしたち人間しだいなんだよね。
冒頭の彼女の場合もそうだった。
生活苦による両親の不仲。それを見て育った彼女は無意識に自分は存在価値がないと思いこんでしまった。自分さえいなければ両親が借金をすることもなかったし、そうしたら夫婦喧嘩をすることもなかった。
存在価値の否定。
これは子どもにとっていちばんきついメッセージなんだよね。子どもたちは自の心が崩壊するのをふせぐために、自分の本当の気持ちを感じることをやめてしまう。それがおとなになって、さまざまな悩みや苦しみの原因になってゆく。
彼女はだまって泣きつづけた。
どのぐらいそうしていただろう。
自分さえいなければ。自分なんて生きる価値がない。絶望的な思いをフォーカシングで感じてゆくうちに、彼女のなかでかすかな変化が起こりはじめた。最初は打ちのめされた感情とは別のちいさな波のような気配。やがてそれは言葉にならない大きなうねりのような強烈なエネルギーにかわっていった。
でもわたしは生きている。
それでも
わたしはここにいる。
死にたくない。
死にたくない。
だって生きている。
生きたい。
生きたい!
生きたい!
生きたいーーーー!!!
彼女は涙でくしゃくしゃになりながら声をあげて泣いた。
これまで彼女は生きのびるために心を殺し、自分の感情から目をそらし続けてきた。幼い彼女が安全に感情を感じる場が身近になかったことを考えると、感情を殺すことは生きのびるためにベストの選択だったんだよね。
けれど彼女のなかの幼かった頃の無価値感・絶望感といった感情はもう解放されたがっていた。
なぜなら彼女の心はそれを感じても壊れないほどに強くしなやかに育っていたから。
セッションのなかでその解放が起きたのはベストタイミングだった。彼女ははじめて自分の内側にある生きようとする力を実感した。それは夢や希望や目標や現実的な変化といった、あらゆる創造的なものを生みだす生命力に満ちていた。
ひとしきり泣いて、ようやく彼女は顔をあげた。
「自分がこんなに生きたいと思っていたなんて知らなかった」
そう言った彼女の顔は生き生きとした力に満ちていた。
誰もが彼女と同じ生命力をもっている。けれど多くのひとは自分のなかのその力に気づかない。病気、物理的な生命の危険や精神が極限状態に置かれたときにはじめて自分の内側に眠っている「生きようとする意志と力」を自覚するんだよね。
もしもいまつらいと感じているなら、それはチャンスだよ。あなたのなかのクリエイティブな生きる力は、あなたが心の扉をひらいて見つけにきてくれるのを待っているのかもしれない。
しぼりだすような声でそう言った彼女の肩がかすかにふるえた。
やがて低い嗚咽が部屋のなかにもれた。
生活苦による両親の不仲など、さまざまなことで幼ない子どもたちは心を痛め、自分を責める。自分がもっといい子にしていればお父さんとお母さんは喧嘩しなかったかもしれない。かれらは心の奥の悲しみを押し殺して、自分は親の笑顔を取り戻すために生きようと決心してしまう。
けれどほんとうはそれは親自身の問題であって、子どもたちの問題じゃない。客観的にみて経済的に苦しいという状況があったとしても、すべての夫婦が不仲になるわけじゃない。不満や相手を責める気持がでてきたら、自分のその気持をじっくり見つめることで自分自身を知るチャンスなんだよね。そのうえで力を合わせて状況を乗り切ろうとする夫婦もいるし、そうすることで家族の絆はより深まる。
反対に自分自身のエゴに気づくこともなく、相手を責めていがみ合うという選択をしたのなら、それは誰のせいでもない、かれらは自分たちに与えられた最高のチャンスを生かせなかったということ。ようするに起きてくる物事にはそれ自体には幸・不幸はない。ただ事実があるだけ。それをどう捉えてどう意味づけしてゆくかは、わたしたち人間しだいなんだよね。
冒頭の彼女の場合もそうだった。
生活苦による両親の不仲。それを見て育った彼女は無意識に自分は存在価値がないと思いこんでしまった。自分さえいなければ両親が借金をすることもなかったし、そうしたら夫婦喧嘩をすることもなかった。
存在価値の否定。
これは子どもにとっていちばんきついメッセージなんだよね。子どもたちは自の心が崩壊するのをふせぐために、自分の本当の気持ちを感じることをやめてしまう。それがおとなになって、さまざまな悩みや苦しみの原因になってゆく。
彼女はだまって泣きつづけた。
どのぐらいそうしていただろう。
自分さえいなければ。自分なんて生きる価値がない。絶望的な思いをフォーカシングで感じてゆくうちに、彼女のなかでかすかな変化が起こりはじめた。最初は打ちのめされた感情とは別のちいさな波のような気配。やがてそれは言葉にならない大きなうねりのような強烈なエネルギーにかわっていった。
でもわたしは生きている。
それでも
わたしはここにいる。
死にたくない。
死にたくない。
だって生きている。
生きたい。
生きたい!
生きたい!
生きたいーーーー!!!
彼女は涙でくしゃくしゃになりながら声をあげて泣いた。
これまで彼女は生きのびるために心を殺し、自分の感情から目をそらし続けてきた。幼い彼女が安全に感情を感じる場が身近になかったことを考えると、感情を殺すことは生きのびるためにベストの選択だったんだよね。
けれど彼女のなかの幼かった頃の無価値感・絶望感といった感情はもう解放されたがっていた。
なぜなら彼女の心はそれを感じても壊れないほどに強くしなやかに育っていたから。
セッションのなかでその解放が起きたのはベストタイミングだった。彼女ははじめて自分の内側にある生きようとする力を実感した。それは夢や希望や目標や現実的な変化といった、あらゆる創造的なものを生みだす生命力に満ちていた。
ひとしきり泣いて、ようやく彼女は顔をあげた。
「自分がこんなに生きたいと思っていたなんて知らなかった」
そう言った彼女の顔は生き生きとした力に満ちていた。
誰もが彼女と同じ生命力をもっている。けれど多くのひとは自分のなかのその力に気づかない。病気、物理的な生命の危険や精神が極限状態に置かれたときにはじめて自分の内側に眠っている「生きようとする意志と力」を自覚するんだよね。
もしもいまつらいと感じているなら、それはチャンスだよ。あなたのなかのクリエイティブな生きる力は、あなたが心の扉をひらいて見つけにきてくれるのを待っているのかもしれない。
2008年03月03日
ひな祭り
今日は三月三日の雛祭り。
雛祭りといえばハマグリの潮汁とちらし寿司っていうのが定番のメニューだよね。今夜は六分づきのお米でちらし寿司を作ってみようかなと思っているんだけど、はじめてのチャレンジなのでちょっとわくわくどきどきしてる。
質素なメニューだけど素材の持ち味を生かして丁寧に料理するのはおもしろい。有機・無農薬野菜なら味もぎゅっとつまっていて、そのままでも美味しいんだけど、そういう野菜は高いからそんなにしょっちゅうは使えない。
ふだんはスーパーで売っている普通の野菜がメインで、いつも野菜たちに「ありがとうね」と話しかけてから料理する。そうすることで自然にひとつひとつの野菜を丁寧に扱う気持になれるんだよね。すると料理タイムが充実してくる。
友人に最高に美味しい和食を作るプロの料理人がいるんだけど、あるとき彼の奥さんで、わたしの親しい友人でもある彼女がこんな話をしてくれた。
「だんなの料理が美味しいのは心をこめて作るからなんや。魚をさばいたり、野菜を切ったり、自分は命をいただく仕事をしているんだから、いつも感謝の心を忘れないようにしているって、だんなが言っていた」
この話を聞いたとき、なるほどなあと思った。
わたしたちは肉体をもっている以上、他者の命を奪わなければ生きてゆくことはできない。菜食なら殺生をしなくてすむかっていうと、そんなことはないんだよね。米も野菜も命をもっている以上、肉や魚を食べることと本質的には変わらない。ただ生産の現場から離れて暮らしていると、ついそんな現実を忘れてしまうんだよね。
彼はプロの料理人として日々食に向き合っているからこそ、命に対する謙虚さと感謝の気持ちが自然に生まれるのかもしれない。そしてそれが細やかな心遣いや料理に対する姿勢となって、結果的に美味しいものを作ることにつながるんだろうと思う。
その話を聞いてから、わたしの食に対する考え方が大きくかわった。食べることは生きることに直結するからこそ、そのプロセスも含めて大切にしたい。
さっさと家事を終わらせて自分の時間を大切にしたいと思った時期もあったけれど、それは効率優先の現代社会の価値観そのものなんだよね。ほんとうは男も女も生きる基本はすごくシンプルで、いまこの瞬間楽しむこと、大切にすることに尽きるんだよね。
そして「掃除・洗濯・料理」といった日々の繰り返しのなかに魂に直結するヒントが隠されていたりするからおもしろい。
ちなみに野菜に「ありがとう」と言ってから料理すると微妙に味が変化するよ。普通の野菜がヒーリング野菜に変化するので、ぜひおためしあれ。
雛祭りといえばハマグリの潮汁とちらし寿司っていうのが定番のメニューだよね。今夜は六分づきのお米でちらし寿司を作ってみようかなと思っているんだけど、はじめてのチャレンジなのでちょっとわくわくどきどきしてる。
質素なメニューだけど素材の持ち味を生かして丁寧に料理するのはおもしろい。有機・無農薬野菜なら味もぎゅっとつまっていて、そのままでも美味しいんだけど、そういう野菜は高いからそんなにしょっちゅうは使えない。
ふだんはスーパーで売っている普通の野菜がメインで、いつも野菜たちに「ありがとうね」と話しかけてから料理する。そうすることで自然にひとつひとつの野菜を丁寧に扱う気持になれるんだよね。すると料理タイムが充実してくる。
友人に最高に美味しい和食を作るプロの料理人がいるんだけど、あるとき彼の奥さんで、わたしの親しい友人でもある彼女がこんな話をしてくれた。
「だんなの料理が美味しいのは心をこめて作るからなんや。魚をさばいたり、野菜を切ったり、自分は命をいただく仕事をしているんだから、いつも感謝の心を忘れないようにしているって、だんなが言っていた」
この話を聞いたとき、なるほどなあと思った。
わたしたちは肉体をもっている以上、他者の命を奪わなければ生きてゆくことはできない。菜食なら殺生をしなくてすむかっていうと、そんなことはないんだよね。米も野菜も命をもっている以上、肉や魚を食べることと本質的には変わらない。ただ生産の現場から離れて暮らしていると、ついそんな現実を忘れてしまうんだよね。
彼はプロの料理人として日々食に向き合っているからこそ、命に対する謙虚さと感謝の気持ちが自然に生まれるのかもしれない。そしてそれが細やかな心遣いや料理に対する姿勢となって、結果的に美味しいものを作ることにつながるんだろうと思う。
その話を聞いてから、わたしの食に対する考え方が大きくかわった。食べることは生きることに直結するからこそ、そのプロセスも含めて大切にしたい。
さっさと家事を終わらせて自分の時間を大切にしたいと思った時期もあったけれど、それは効率優先の現代社会の価値観そのものなんだよね。ほんとうは男も女も生きる基本はすごくシンプルで、いまこの瞬間楽しむこと、大切にすることに尽きるんだよね。
そして「掃除・洗濯・料理」といった日々の繰り返しのなかに魂に直結するヒントが隠されていたりするからおもしろい。
ちなみに野菜に「ありがとう」と言ってから料理すると微妙に味が変化するよ。普通の野菜がヒーリング野菜に変化するので、ぜひおためしあれ。
2008年03月01日
cooking & dancing
離婚して大きく変わったことがひとつある。
それは料理のスタイル。
以前は仕事を終えて帰宅すると、あわただしく夕食の支度をすることが多かった。それが最近は仕事が終わると、まずは一服してから好きな音楽をかける。それからゆっくりと夕飯の支度にとりかかる。
このところはまっているのはスティービーワンダー。彼の声の入り方は絶妙なんだよね。まさに宇宙にあふれる音と音の隙間の、ここ!というポイントにぴたっと音がはいる。
音楽を聴きながら料理していると自然にステップを踏みはじめる。包丁片手にくるっとステップを踏みながら冷蔵庫から大根を取り出して、リズムにのって切ったり煮たり。
まあ、なんだ。自分がこんなにラテン系だったなんて知らなかった(爆)。っつーか、ヴォイストレーニングの先生がすごくいいっていうので、じゃちょっと聴いてみようかなと思って何気なく買ったCDにこんなに惹かれるとは思わなかった。
音楽もひとも、素敵な出会いは人生を大きく変える。
晩御飯がソウルテースト満載のお惣菜になりつつある今日この頃です。
それは料理のスタイル。
以前は仕事を終えて帰宅すると、あわただしく夕食の支度をすることが多かった。それが最近は仕事が終わると、まずは一服してから好きな音楽をかける。それからゆっくりと夕飯の支度にとりかかる。
このところはまっているのはスティービーワンダー。彼の声の入り方は絶妙なんだよね。まさに宇宙にあふれる音と音の隙間の、ここ!というポイントにぴたっと音がはいる。
音楽を聴きながら料理していると自然にステップを踏みはじめる。包丁片手にくるっとステップを踏みながら冷蔵庫から大根を取り出して、リズムにのって切ったり煮たり。
まあ、なんだ。自分がこんなにラテン系だったなんて知らなかった(爆)。っつーか、ヴォイストレーニングの先生がすごくいいっていうので、じゃちょっと聴いてみようかなと思って何気なく買ったCDにこんなに惹かれるとは思わなかった。
音楽もひとも、素敵な出会いは人生を大きく変える。
晩御飯がソウルテースト満載のお惣菜になりつつある今日この頃です。
2008年02月21日
深大寺温泉
一般的に正しいとされている生き方のレールをはずれると、ときには風当たりが強いなあと感じることもある。
そういうときは、わたしの行動や考え方そのものが相手のトラウマを刺激してしまうからなんだけど、それは相手の問題なのでわたしがどうこうできるものじゃないんだよね。
いろんな人間がいて、いろんな人生があって、そこには善悪ではなく、ただその事実があるだけ。目の前で起きる出来事をどう捉え、自分のテーマと絡み合わせてどう消化してゆくかはそのひとの問題。だから相手がどう反応するかは相手の自由だと思いつつもちょっと悲しいと思っている自分もいる。
んなわけでここ数日は口に出すほどではないけど、なんとなく「あーあ。。。」とため息のひとつもつきたくなるようなすっきりしない心境だったんだけど、先日ひさしぶりに八ヶ岳に住む友人に誘われて日帰り温泉に行ってきた。
都内の深大寺にある「ゆかり」という温泉。
さっそく入ってみると、木立に囲まれた露天をベースにした温泉がいくつかあって、なかなか良い。ひとつひとつの湯船は大浴場のような広さはないんだけど、しっとりと落ち着いていて、のんびりくつろげるんだよね。
茶色いお湯もはじめての体験。
遠出しなくても、ここで雪見酒でもいいかもと思っちゃったぐらい(笑)。
友人と温泉につかりながら、近況報告がてらとりとめもない話をしているうちに肩の力が抜けてきた。
やっぱり温泉はいいなあ。
ここ1、2ヶ月でいろいろあったけど、いつだってひとりじゃなかった。ずっと身近な友人たちに支えられてきたなあ。。。。なんてことをしみじみ感じつつ、いまがいちばんしあわせだ〜なんて思っていたら、友人も
「え〜キョーコさんも? わたしも毎日丁寧にご飯を作って、部屋の掃除したり、雪道を水汲みに行ったりして、いまがいちばんしあわせ〜って思ってた」
と言っていた。
八ヶ岳の自然のど真ん中での暮らしは素敵だろうな。でも友人もわたしも、今がいちばんしあわせだと感じるのはそれだけじゃない。いろんなことを丁寧に乗り越えてきた自信と充実感があるから、いまの当たり前の日常でじゅうぶんに心が満たされるんだよね。
湯船から上がったころにはすっかり心身がほぐれて、ここ数日うっすらと翳っていた気持も消えていた。考え方が違っても、いま穏やかに彼女に微笑みかけられる自分がいるならそれでいいか。いつか心が通じ合えるといいなあ。
温泉のあとは友人と三人で近所のイタリア料理のお店でお酒を飲みつつ晩御飯を食べた。それにしても温泉のあとのお酒があんなに効くとは思わなかった。梅酒のロックをグラス一杯しか飲んでいないのに、意識が朦朧として血の気が引いていくのが自分でもわかった。友人たちの談笑が遥か遠くに聞こえるぅ。。。。
これはまずいと思ってトイレに立ったはいいけど、途中でブラックアウトしてその場にしゃがみこんじゃった。
みなさまも長湯のあとのお酒はご用心を。
そういうときは、わたしの行動や考え方そのものが相手のトラウマを刺激してしまうからなんだけど、それは相手の問題なのでわたしがどうこうできるものじゃないんだよね。
いろんな人間がいて、いろんな人生があって、そこには善悪ではなく、ただその事実があるだけ。目の前で起きる出来事をどう捉え、自分のテーマと絡み合わせてどう消化してゆくかはそのひとの問題。だから相手がどう反応するかは相手の自由だと思いつつもちょっと悲しいと思っている自分もいる。
んなわけでここ数日は口に出すほどではないけど、なんとなく「あーあ。。。」とため息のひとつもつきたくなるようなすっきりしない心境だったんだけど、先日ひさしぶりに八ヶ岳に住む友人に誘われて日帰り温泉に行ってきた。
都内の深大寺にある「ゆかり」という温泉。
さっそく入ってみると、木立に囲まれた露天をベースにした温泉がいくつかあって、なかなか良い。ひとつひとつの湯船は大浴場のような広さはないんだけど、しっとりと落ち着いていて、のんびりくつろげるんだよね。
茶色いお湯もはじめての体験。
遠出しなくても、ここで雪見酒でもいいかもと思っちゃったぐらい(笑)。
友人と温泉につかりながら、近況報告がてらとりとめもない話をしているうちに肩の力が抜けてきた。
やっぱり温泉はいいなあ。
ここ1、2ヶ月でいろいろあったけど、いつだってひとりじゃなかった。ずっと身近な友人たちに支えられてきたなあ。。。。なんてことをしみじみ感じつつ、いまがいちばんしあわせだ〜なんて思っていたら、友人も
「え〜キョーコさんも? わたしも毎日丁寧にご飯を作って、部屋の掃除したり、雪道を水汲みに行ったりして、いまがいちばんしあわせ〜って思ってた」
と言っていた。
八ヶ岳の自然のど真ん中での暮らしは素敵だろうな。でも友人もわたしも、今がいちばんしあわせだと感じるのはそれだけじゃない。いろんなことを丁寧に乗り越えてきた自信と充実感があるから、いまの当たり前の日常でじゅうぶんに心が満たされるんだよね。
湯船から上がったころにはすっかり心身がほぐれて、ここ数日うっすらと翳っていた気持も消えていた。考え方が違っても、いま穏やかに彼女に微笑みかけられる自分がいるならそれでいいか。いつか心が通じ合えるといいなあ。
温泉のあとは友人と三人で近所のイタリア料理のお店でお酒を飲みつつ晩御飯を食べた。それにしても温泉のあとのお酒があんなに効くとは思わなかった。梅酒のロックをグラス一杯しか飲んでいないのに、意識が朦朧として血の気が引いていくのが自分でもわかった。友人たちの談笑が遥か遠くに聞こえるぅ。。。。
これはまずいと思ってトイレに立ったはいいけど、途中でブラックアウトしてその場にしゃがみこんじゃった。
みなさまも長湯のあとのお酒はご用心を。
2008年02月14日
生きる
友人がヴォイストレーニングに興味があるというので、先日いつも通っているスクールの体験レッスンに行ってきた。
彼女を担当してくれたのはオーナーの先生で、わたしにとっては彼のレッスンを受けるのは四年前の体験レッスン以来のことなんだよね。内容はヴォーカルにとっての複式呼吸の意味と実践、リップロールといった初歩的なもの。
簡単な説明のあと、先生がギターに合わせてリップロールをはじめた瞬間、頭をガンと叩かれた気がした。
唇をふるわす音と同時に、「うー・・・」というかすかに聞こえる旋律。ほんとうにかすかであるにもかかわらず、どこまでも伸びる透明な声。それはわたしが毎回レッスンでやっていたリップロールとはまったく別次元のものだった。
リップロールであんな音がでるなんて・・・・。日頃のレッスンでわたしは何をやっていたんだろう。このところなんとなくある程度やったからもういいかなと思っていたけど、冗談じゃない。自分の未熟さをいやというほど思い知らされた。
いま思うと四年前、ヴォイストレーニングを始めた頃はこんな音の違いすらわからなかった。ああ・・そうか。喉ができてきたからこそ、この微妙な違いがわかるまでになったんだ。
地道な日々の練習を丁寧に積み重ねてゆくことで、まちがいなく得るものがある。わたしなりの速度でしかないけれど、それはたしかな手ごたえとして感じる。歌だけではなく、人生も同じなのかもしれない。
思えば昨年夏頃からプライベートのほうは激動だった。あの頃はありえない偶然が次々と起きるなか、抗いようのない力に動かされるまま必死で生きていた気がする。
どうして? なぜ? 渦中にいたときはそう思っていたけれど、いま思うとそれは必然だったのだと思う。ひとりのひとと長い年月をかけてともに生きるなかで、きちんと自分と向き合ってきたからこそ、自然にそれぞれの生きる道が拓けてきたのだといまならわかる。
そんな日々のなかで相手のありのままのすべてを認めることができた瞬間、はじめて本当の彼自身と出会えた。二十年間ともに過ごした日々のなかではけっして見えなかったもの、許せなかった相手のすべてを認めて受け入れている自分がいた。
わたしはわたしで、あなたはあなたで、それ以上何を望むだろう? そう思えたとき、心から感謝の思いがあふれた。
出会えたことや一緒に過ごせたことはまるで奇跡だと思えた。
同時にこれまでおたがいの違いをとおして、たくさんのことを学んできたけれど、それも卒業の時期なんだなと思った。彼もわたしもおたがいに交わることのない、自分の道を歩きはじめるのだろう。
ひととして自分自身に正直であること、なによりも相手と自分自身の魂に誠実でいようと思った。それが依存でもなく、執着でもない、二十年間一緒にいたひとへのわたしにできる精一杯の誠意だと思ったから。
そしてわたしのなかで彼と過ごした時間が終わった。
誰もが永遠に続く道の途中なのだろう。
愛や憎しみやむなしさや孤独、それすらも生きるという時間のなかでなんて愛しいのだろう。ときには愚かで臆病だったけれど、それでも精一杯生きてきた。
長い年月をかけて取り組んできたひとつのテーマが終わったとき、目の前に新しい道があらわれた。
それはわたしがこれまで知らなかったまっさらな道。
いま新しい人生を楽しんでいる自分がいる。
もっと真剣にレッスンに取り組もう。
先生のように透明な、どこまでも通る声をだしたい。
田んぼの企画も進行中だし、そろそろ夏の白山登山のトレーニングも開始したい。
毎日がわくわくに満ちている。
けれどほんとうに大切なのはいま生きていることそのもの。心の奥から満ちあふれてくる愛しさや友人たちの優しさ。当たり前の日常の、そのどれもがなんてかけがいがないのだろう。
ひとは誰かとかかわりなしには生きられない。
誰もが誰かを愛し、ときには誰かを傷つけながら生きているんだよね。
わたしの「いま」がそうした日々の積み重ねなのなら、精一杯いまを生きてゆこうと思う。
ひとである痛みも喜びもしっかりとこの手で受けとめて。
彼女を担当してくれたのはオーナーの先生で、わたしにとっては彼のレッスンを受けるのは四年前の体験レッスン以来のことなんだよね。内容はヴォーカルにとっての複式呼吸の意味と実践、リップロールといった初歩的なもの。
簡単な説明のあと、先生がギターに合わせてリップロールをはじめた瞬間、頭をガンと叩かれた気がした。
唇をふるわす音と同時に、「うー・・・」というかすかに聞こえる旋律。ほんとうにかすかであるにもかかわらず、どこまでも伸びる透明な声。それはわたしが毎回レッスンでやっていたリップロールとはまったく別次元のものだった。
リップロールであんな音がでるなんて・・・・。日頃のレッスンでわたしは何をやっていたんだろう。このところなんとなくある程度やったからもういいかなと思っていたけど、冗談じゃない。自分の未熟さをいやというほど思い知らされた。
いま思うと四年前、ヴォイストレーニングを始めた頃はこんな音の違いすらわからなかった。ああ・・そうか。喉ができてきたからこそ、この微妙な違いがわかるまでになったんだ。
地道な日々の練習を丁寧に積み重ねてゆくことで、まちがいなく得るものがある。わたしなりの速度でしかないけれど、それはたしかな手ごたえとして感じる。歌だけではなく、人生も同じなのかもしれない。
思えば昨年夏頃からプライベートのほうは激動だった。あの頃はありえない偶然が次々と起きるなか、抗いようのない力に動かされるまま必死で生きていた気がする。
どうして? なぜ? 渦中にいたときはそう思っていたけれど、いま思うとそれは必然だったのだと思う。ひとりのひとと長い年月をかけてともに生きるなかで、きちんと自分と向き合ってきたからこそ、自然にそれぞれの生きる道が拓けてきたのだといまならわかる。
そんな日々のなかで相手のありのままのすべてを認めることができた瞬間、はじめて本当の彼自身と出会えた。二十年間ともに過ごした日々のなかではけっして見えなかったもの、許せなかった相手のすべてを認めて受け入れている自分がいた。
わたしはわたしで、あなたはあなたで、それ以上何を望むだろう? そう思えたとき、心から感謝の思いがあふれた。
出会えたことや一緒に過ごせたことはまるで奇跡だと思えた。
同時にこれまでおたがいの違いをとおして、たくさんのことを学んできたけれど、それも卒業の時期なんだなと思った。彼もわたしもおたがいに交わることのない、自分の道を歩きはじめるのだろう。
ひととして自分自身に正直であること、なによりも相手と自分自身の魂に誠実でいようと思った。それが依存でもなく、執着でもない、二十年間一緒にいたひとへのわたしにできる精一杯の誠意だと思ったから。
そしてわたしのなかで彼と過ごした時間が終わった。
誰もが永遠に続く道の途中なのだろう。
愛や憎しみやむなしさや孤独、それすらも生きるという時間のなかでなんて愛しいのだろう。ときには愚かで臆病だったけれど、それでも精一杯生きてきた。
長い年月をかけて取り組んできたひとつのテーマが終わったとき、目の前に新しい道があらわれた。
それはわたしがこれまで知らなかったまっさらな道。
いま新しい人生を楽しんでいる自分がいる。
もっと真剣にレッスンに取り組もう。
先生のように透明な、どこまでも通る声をだしたい。
田んぼの企画も進行中だし、そろそろ夏の白山登山のトレーニングも開始したい。
毎日がわくわくに満ちている。
けれどほんとうに大切なのはいま生きていることそのもの。心の奥から満ちあふれてくる愛しさや友人たちの優しさ。当たり前の日常の、そのどれもがなんてかけがいがないのだろう。
ひとは誰かとかかわりなしには生きられない。
誰もが誰かを愛し、ときには誰かを傷つけながら生きているんだよね。
わたしの「いま」がそうした日々の積み重ねなのなら、精一杯いまを生きてゆこうと思う。
ひとである痛みも喜びもしっかりとこの手で受けとめて。
2008年02月08日
雪見酒が呑みたい
どうもご無沙汰しています。
立春を過ぎて、ようやくひと段落ついた今日この頃です。
セッションルーム移転の関係で、プロバイダを変更したため一時的にメールが不通の状態になっていたんですが、先日やっと開通しました。
で、たまったメールにお返事を書いたり、迷惑メールを処理したりと、てんやわんやだったんですが、ようやく落ち着きました。
ただ一部私サイドの不備で見落としたメールがありました。もしメールを出したのに返事が来ないという方がいましたら見落とした可能性があります。
なのでたいへん申しわけないのですが、キョーコまで再度メールしてくださいませ。
それにしてもあっという間に立春。
もう春ですね〜。もっとも春というには関東は雪が多いですが・・・・。
先日の日曜日も東京は大雪でしたね。
わたしはといえばあの日は雪のなか、心理カウンセラーの資格更新の単位取得に必要な交流分析関係のセミナーに参加していました。
講義を聴きながら、窓の外をみると雪。
降りしきる雪を眺めながら、温泉で雪見酒でいっぱいやりたいなどと不謹慎なことを考えていたのでありました。
立春を過ぎて、ようやくひと段落ついた今日この頃です。
セッションルーム移転の関係で、プロバイダを変更したため一時的にメールが不通の状態になっていたんですが、先日やっと開通しました。
で、たまったメールにお返事を書いたり、迷惑メールを処理したりと、てんやわんやだったんですが、ようやく落ち着きました。
ただ一部私サイドの不備で見落としたメールがありました。もしメールを出したのに返事が来ないという方がいましたら見落とした可能性があります。
なのでたいへん申しわけないのですが、キョーコまで再度メールしてくださいませ。
それにしてもあっという間に立春。
もう春ですね〜。もっとも春というには関東は雪が多いですが・・・・。
先日の日曜日も東京は大雪でしたね。
わたしはといえばあの日は雪のなか、心理カウンセラーの資格更新の単位取得に必要な交流分析関係のセミナーに参加していました。
講義を聴きながら、窓の外をみると雪。
降りしきる雪を眺めながら、温泉で雪見酒でいっぱいやりたいなどと不謹慎なことを考えていたのでありました。
2008年01月24日
お知らせ 1/28追記
いつも読んでくださってありがとうございます。
このところ公私共に多忙のため2〜3週間ほど更新がとどこおるかもしれません。
ひと段落したら更新するので待っていてくださいね〜♪
1/28日追記
クライアント様各位
仕事場移転の関係で、現在サイトの更新をはじめ、メールおよびネットが使えない状態になっています。
そのため予約・お問い合わせのご返信はネットがつながる一週間から10日後ぐらいになります。
まことにご迷惑をおかけいたしますが、ネット接続がつながりしだい順次ご返信いたしますのでよろしくお願いいたします。
サイト更新もままならないので、ブログでご連絡です。
それにしてもブログはどこでも更新可能なので助かります。
記事のほうはネットがつながったらまたゆっくり書くね。
このところ公私共に多忙のため2〜3週間ほど更新がとどこおるかもしれません。
ひと段落したら更新するので待っていてくださいね〜♪
1/28日追記
クライアント様各位
仕事場移転の関係で、現在サイトの更新をはじめ、メールおよびネットが使えない状態になっています。
そのため予約・お問い合わせのご返信はネットがつながる一週間から10日後ぐらいになります。
まことにご迷惑をおかけいたしますが、ネット接続がつながりしだい順次ご返信いたしますのでよろしくお願いいたします。
サイト更新もままならないので、ブログでご連絡です。
それにしてもブログはどこでも更新可能なので助かります。
記事のほうはネットがつながったらまたゆっくり書くね。
2008年01月23日
2008年 動向予測
毎年、年頭にその年のこの国の動向を見るんだけど、今年の神示は、「道はひらける」だった。
ただしこれは棚ぼた式に未来がひらけてゆくのではなく、己の道を見つけようとしている者にとっては、という条件がつく。解説は時間があったら書くけど、これまでのブログの内容を読めばこれが何を意味しているのか見当がつくと思う。
どちらにせよ、今年は大きなエネルギーが動く。
6月末がひとつの区切り。
この時期ぐらいまでに、自分にとって何が本当に大切なのか見極めよとの啓示がひとつはいっていたな。
経済関係は5月、自然災害は8月が要注意。
とりいそぎ要点のみ書いておくね。
ただしこれは棚ぼた式に未来がひらけてゆくのではなく、己の道を見つけようとしている者にとっては、という条件がつく。解説は時間があったら書くけど、これまでのブログの内容を読めばこれが何を意味しているのか見当がつくと思う。
どちらにせよ、今年は大きなエネルギーが動く。
6月末がひとつの区切り。
この時期ぐらいまでに、自分にとって何が本当に大切なのか見極めよとの啓示がひとつはいっていたな。
経済関係は5月、自然災害は8月が要注意。
とりいそぎ要点のみ書いておくね。
2008年01月21日
熊野にて
2008年01月17日
熊野
連休中、熊野三山に行ってきた。
熊野参拝は今回で二回目になる。
はじめて熊野に行ったのは5年前だけど、当時は自分が何者なのか、どう生きたいのかもわかっていなかった。あれから5年の歳月が流れ、わたしのなかでさまざまなものが変わった。
熊野の神様は懐が広くて、そのときどきのそれぞれの心の状況や器に応じて得るものがある。今回はなにを感じるだろう? そんな自分自分の変化も楽しみだった。
そして今回、あらためて感じたのは熊野の森の深さだった。豊かな自然はただそこにいるだけで多くを語ってくれる。熊野古道は古くからの熊野詣のための道だけあって、山道とはいえ石畳が敷かれ、ところどころに石段がある。大雲取越えのルートを歩きながら、はじめてこの道を拓き、石段を積んだ人々のことを思った。
生きてゆくうえで、ひとそれぞれ大切にしていることがあると思うけど、じつはそれはとてもシンプルなことなのだろう。
わたしにとってのそれは自分自身に誠実であること。
自分をごまかして世の中の常識にしたがって安穏と生きることもできるけれど、それをしてしまえば、わたしはひととして母親として前を向いて生きることができなくなる。どちらかといえば母親らしくないわたしが子供たちに教えられることなんてほとんどないけれど、たったひとつあるとしたら、それは生きる背中を見せることじゃないか。
いつか子供たちも長い人生のなかでいちどは意に染まぬまま周囲に迎合してゆくか、誇りを失わずに自分の道をゆくか、選択を迫られるときがくる。そのとき無言でかれらにエールを送ることができるように、自分に恥じぬように生きたい。つらいときもあるけれど、その思いがあるかぎりここに踏みとどまっていられる。
山を拓き、ひとつひとつ石を積み上げ、熊野に続く道を造った古の人々の生きかたをとおして、あらためて勇気をもらった旅だった。
熊野参拝は今回で二回目になる。
はじめて熊野に行ったのは5年前だけど、当時は自分が何者なのか、どう生きたいのかもわかっていなかった。あれから5年の歳月が流れ、わたしのなかでさまざまなものが変わった。
熊野の神様は懐が広くて、そのときどきのそれぞれの心の状況や器に応じて得るものがある。今回はなにを感じるだろう? そんな自分自分の変化も楽しみだった。
そして今回、あらためて感じたのは熊野の森の深さだった。豊かな自然はただそこにいるだけで多くを語ってくれる。熊野古道は古くからの熊野詣のための道だけあって、山道とはいえ石畳が敷かれ、ところどころに石段がある。大雲取越えのルートを歩きながら、はじめてこの道を拓き、石段を積んだ人々のことを思った。
生きてゆくうえで、ひとそれぞれ大切にしていることがあると思うけど、じつはそれはとてもシンプルなことなのだろう。
わたしにとってのそれは自分自身に誠実であること。
自分をごまかして世の中の常識にしたがって安穏と生きることもできるけれど、それをしてしまえば、わたしはひととして母親として前を向いて生きることができなくなる。どちらかといえば母親らしくないわたしが子供たちに教えられることなんてほとんどないけれど、たったひとつあるとしたら、それは生きる背中を見せることじゃないか。
いつか子供たちも長い人生のなかでいちどは意に染まぬまま周囲に迎合してゆくか、誇りを失わずに自分の道をゆくか、選択を迫られるときがくる。そのとき無言でかれらにエールを送ることができるように、自分に恥じぬように生きたい。つらいときもあるけれど、その思いがあるかぎりここに踏みとどまっていられる。
山を拓き、ひとつひとつ石を積み上げ、熊野に続く道を造った古の人々の生きかたをとおして、あらためて勇気をもらった旅だった。

















