陰徳
じつは2016年7月に『陰徳と陽徳』というタイトルで陰徳について書いていますが、先日大好きな気功の恩師の出版記念パーティーがありまして、その本にも陰徳についての記載がありました。
いまは亡きクンダリニーヨガの師匠もよく言っていたのですが、修行における最後の最後は技術ではなく、陰徳を積んだかどうかがすべてだと。気功の師匠もクンダリニーヨガの師匠もまったく同じことを言っているなあと改めて思ったんです。
じゃ陰徳とはなにか?
もともと陰徳とは仏教で使われる言葉で、ひと言でいうと、無私の心で人のために行動しなさいという教えです。
たとえば駅で体調が悪くて困っている人がいたら手を貸してあげたくなりますよね。そのとき相手のためにした行為を誇示したりすることなく、淡々と手を貸してその場から去っていくのが陰徳です。ここで恩着せがましくしたり、承認欲求からそれを友人知人にアピールした場合はその行為の徳は失われて、自己承認欲求の業を積んだことになるわけです。
ようするに行為のもととなる動機が重要になってくるわけです。
たとえば祈りもそうです。若い頃のわたしはどこそこで祈ったとか、ついブログ記事に書いてました。祈ったアピールです。これは本当は書かなくてもいいことなんです。どこかに承認欲求が潜んでいるから書くわけです。この心の状態は個人としての徳は積んでいません。陰徳ゼロ。
そんなわけでコツコツ地道に生きたいものですね。
2018年7月19日
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