「風をひらく」第三の耳とストーリーテリングの世界 ルポ
きのうは「風をひらく」第三の耳とストーリーテリングの世界というワークショップに行ってきた。
この集まりに参加するそもそものきっかけは、浜岡原発関係の記事を検索していたときに偶然たどり着いた北山さんのブログだった。北山さんの取り扱う記事はネイティブアメリカンと核廃絶がメインなのだが、じつはわたしにさまざまなことを教えてくれた目に見えないスピリットのひとりがネイティブアメリカンの血を引いていたため、ネイティブに関しては少々なじみ深いものがある。
そんな事情も絡んで、何気なく原発や核、そしてネイティブアメリカンについての記事を読んでいるうちに、ふと目にとまったのが今回のワークショップだった。
わたしが参加したのは夕方5時半から始まるパート2のほうだったので、東横線の学芸大学についたのは夕方5時をまわっていた。どことなくひなびた空気を感じさせる駅前の商店街を抜け、いくらも歩かないうちに今回の会場bears wellという喫茶店についた。
あたたかな木のぬくもりを感じさせる店内には、素朴なネイティブの置物らしきものが白い壁のくぼみを利用した棚に飾られている。フロアの中央には太い丸太のような柱がすっと一本立っており、天井にも何本かの木が渡してあった。
5時半をまわると、パート1を終えた北山さんが二階から降りてきた。
さっそく「風をひらく」のワークをする前の簡単な説明が始まった。
じつはわたしはこうした精神世界系のワークショップに参加するのは初めてなんだよね。
自分は日常的に大地や精霊・神々とお話するくせに、今まで出会ってきたひとは、普通の地元のおばァであったり、音楽関係の人間であったり、たまに神社の宮司さんと親しく話させてもらうこともあるけど、総じてごく普通の感性で生きているひとたちだった。
ところが今回参加している方たちを見て、正直軽いカルチャーショックを受けた。
精神世界系のひとたちというのは、空気がみんな似ている。なんていうか・・・・・男も女もやさしいというか、どこか浮世離れした匂いを漂わせている。
そういえば、以前似たような空気を感じたことがある。
あれはたしか、二十年以上前のことだ。
当時、たけのこ族が流行っていて、毎週日曜になると、原宿の歩行者天国にあちこちから集まってきた派手なタケノコファッションに身を固めた若者たちが踊っていた。
その日、たまたま歩行者天国をうろうろしていると、タケノコ族に混じって奇妙に集団が目についた。オレンジ色の服を着たインド系僧侶の姿をした若者が太鼓のような楽器を叩き、サリーを着たインド系女性が踊っている。かれらはインドの宗教団体で、ハレクリシュナと名乗っていた。その中に、ちょっと前に人気のあったロックグループ・イエローのメンバーのひとりがいたのでよく覚えている。
踊りの輪に飛び入り参加させてもらったのがきっかけで、かれらと仲良くなり、何回かかれらのテンプルに遊びにいったことがある。かれらの話によると、神(クリシュナ)に感謝して日々を過ごすから、とても幸せなのだと言っていた。それを聞いて、まだ若かったわたしは、なんだか現実感がないなあ・・・と思った記憶がある。
話を戻すが、店内にいる多くのひとが、どこか日常を飛び越えた空気を持っているように感じた。それともひとりひとりはそれぞれに個性があるのだけど、そうしたひとたちが集まるとまったく毒気がないというか、かぎりなくやさしい、ふわっとした雰囲気になるのかなあ。。。
わたしは中央の壁を背にしてすわっている北山さんを眺めがら、そんなことを考えていた。
ところが北山さんが話しはじめると空気が変わった。
北山さんにはいっけん攻撃的とも思える独特の強さがあって、言葉に現実感がある。行動してきたひとのもつ説得力といってもいい。
その強さは話が深まってゆくにつれて、しだいにあたたかなオーラに変わっていった。
さてワークは近所の公園で始まった。
それぞれ好きな場所にすわり、周囲の音に耳をすませて、音をひろうというワークだ。これは瞑想とかヨガではなく、耳、つまり五感を鍛えるワークらしい。
わたしは桜の木のすぐそばの地面に腰をおろした。
目を閉じて周囲の音に耳をすませる。
瞑想・祈りモードにはいらないように極力注意しながら五感に意識を集中する。
ゆっくりと暮れてゆく都会の一角の公園には、さまざまな音が聞こえてくる。
車の走る音
裏のスポーツセンターから聞こえるにぎやかな音楽
近くの建物のボイラー(?)のかすかなうなり
近くのひとが体を動かしたのか、衣服のズレる音
誰かが木を踏む音
人工的な機械音やさまざまな音に混じって自然の音を聞こうと耳を澄ます。
やがてそうした音に混じって、最初に聞こえてきたのは自分の呼吸の音。
どっくんどっくん・・・これは心臓の音。
ずっと、絶え間なく水が流れる音。
耳を澄ます範囲を上空10メートルまで拡大する。
すると、とても高い音が聞こえてくる。
たぶんふだんは耳で聞こえない音なんじゃないかな・・・・高周波ってやつ?
ああ・・・・・・風の音だと思った。
上空を飛ぶ風の音。
あ、ちょっと祈りモードがはいりそう。やばい。耳に意識を戻して繋ぎとめる。
葉っぱが揺れる音かな?
やっぱり絶え間なく流れる水の音が聞こえる。
どこから聞こえるのかな?
地面に耳をすます。
どっくんどっくん
私の心臓の音
地面から伝わってくる音
どっくんどっくん・・・・・
どっくんどっくんという心臓の音が大地の鼓動とふいに重なった。
意識が拡大した。
大地の確かな息遣いが聞こえ、上空の風がどこまでも吹いてゆく。
北山さんは都心でのこうしたワークは初めての試みだと言っていた。自然の中と比べて圧倒的に音が少ないとも。わたしもさまざまな場所で大地の精霊たちと交流したきたから、それはよくわかる。
でもそんな都会であっても、大地の鼓動や風の音は絶え間なく流れ続けている。
たぶん気づくか気づかないかの違いでしかないのだろう。
都会の真ん中だろうと、豊かな森のなかだろうと、大地の鼓動は絶えることなくわたしたちに語りかける。
野外ワークが終わって店に戻ると、こんどはインディアンフルートの演奏。そしてストーリーテラーの古屋和子さん、インディアンフルート奏者ののなかかつみさん、北山さんのトークが始まった。
とくに物語についての古屋さんの話は共感する部分が多かった。
やがて室内の明かりを消して、大西さんの火おこしが始まった。
木をキュルキュルとこすってゆくと、やがてあわい半透明の煙が立ちのぼった。
真っ暗な店内に木のこげたような匂いがゆっくりと漂ってくる。
ときおり通りを走る車のライトが店内を照らす。
ふいに、小さな火が見えた。
大西さんが麻(?)の束の中の火種に何度か息を吹き込むと、ぽっと周囲が明るくなった。
次の瞬間、麻が燃え上がり真っ赤な炎が生まれた。
古代のひとが火を神聖だと感じる気持ちがわかる。
真っ暗な闇のなかで、原始的な方法で木をこすって火をおこしてゆく作業は、火のもつ神聖な力や自然に対する敬意を思い起こさせるんだよね。
最後はろうそくに明かりをともし、インディアンフルートの演奏を聴きながら古屋さんの語りが始まった。「虹の戦士」というネイティブの物語の一節だった。
それはネイティブに伝わる物語。
きっとぜんぶ聞くには長い長い時間がかかるのだろう。。。。
結局、終わったのは9時半を回っていた。
耳を澄ますっておもしろいな。
祈りによって大地とのリアルな繋がりを感じられるひとはそう多くはない。
でも五感を研ぎ澄まして大地をはじめとした自然と繋がってゆく方法は練習さえすれば誰にでもできる。なにより肉体を通して音をキャッチするぶん、より強く自分たちが自然の一部であることを実感できると思う。
自然に息づく命の音に耳をすませて、野生の勘を取り戻す。
わたしも自分の感性を研ぎすまし、また生命の発する音を聞いてみようと思う。
もちろん、こんどはもっともっと耳をすませて。
そうすることで、きっと・・・いま夢中になっている歌の可能性がひろがるような気がするんだよね。
2004年4月30日
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