仕事をばりばりしたいならマインドフルネスなんかやめたほうがいいかもしれない
順当に年を重ねると人間は浮世の欲に興味がなくなって仙人になっちゃうというけど、本当かもしれない。少なくともわたし自身は最近どんどん欲がなくなっている。とくに自己顕示欲とか文章での自己表現欲求がめっきり減った。等身大の「いま」にYESという、シンプルにマインドフルな状態である。
世の中にはいろんな考えや価値観があるので、それぞれ好きなものを大事にすればいいんじゃん、てな感覚が強くなっていて、よくも悪くもこだわりがなくなってしまった。友人知人の話を聴きながら、そのひとが本当の意味で納得した人生を生きることができますようにと神さまに祈ることが本当に多くて、これはこれでちょっと困ったなと思っている。だってこのスタンスが生活全般に波及しているので、メンタルケアの仕事の場合も商売モードに入れない。ただただ祈るひとである(--;
そんなわけである年齢になると生業から引退して、死について学ぶというインドのスタイルは案外人間の本質に基づいているのかもしれない。欲望は仕事の原動力になる。若いうちは欲望や自己顕示欲が強いけど、それは生きていくうえで必要なことなんだと思う。すくなくとも仕事の上では自分が自分がという気持ちは結構大事なのかもしれない。
その欲が抜けると、社会的なお約束みたいなものからも自由になるので、なんでもOKになる。ただ日々身体を動かして、水に潜って、人と話して、ご飯を作って、ときどき電車の中で不当にいじめられているひとを助けるために戦闘モードになるくらいだ。いちおうマナーとして人間の振りをしているけど、あきらかに人間社会からはみ出した変な生きものだ(爆)。
そのへんな生きものが社会に適応するために昨年の暮れから学んでいた文章講座が先週で終わった。自由な生きものにとって、文章を書く型を身に着ける勉強は社会という枠におさまる勉強でもある。枠という制限の中で、深く掘り下げて意識の奥にあるものを表現する作業はリハビリテーションに近い。
なんのリハビリテーションかって? もちろん正当な欲望をもって、社会の一員として生産活動をするためのリハビリテーションだ。いったん自由を知った生きものが社会に適応する感覚は創造性に満ちている。何故なら枠を知ったうえでその境界を自由に行き来する術を知っているからだ。10年前のまだいろんなものに囚われて不自由だった頃に見えていた世界といまわたしの目に映る世界は違って見える。いや、社会とはこういうものだと思い込んでいたわたしの中の枠組み自体が大きく変わったのだろう。
そんな生きものがガイドするマインドフルネス座禅瞑想教室はちょっとヤバイかもしれない。
2018年4月24日
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Comment
記事を読ませていただき、瞑想のためにも運動が足りない!
ということのくだりを読んですごく納得しました。
瞑想しても、呼吸が入っていかず、ストレートネックで頸椎なども不調が気になっていました。
昨日のサンプラザのお教室に行きたかったのですが、今度伺いたいと思います。ほかでやっていることはないのでしょうか。
ということでーいま整形にきて、レントゲン撮ってもらいにきました。
フェルナンクライスで、ある程度、調整できるものなのですか?
藤井えつこ様
コメントをありがとうございます!
呼吸がはいりにくいこと、頸椎の不調が気になっているんですね。
フェルデンクライスメソッドは治療を目的をしたものではないのですが、レッスンをとおして全身のバランスが整ってゆくので、結果的に楽になったり、動きが良くなることは多々あります。
現在は中野クラスで瞑想&フェルデンクライス、西国分寺クラスではフェルデンクライスのグループレッスンをやっています。わたしのフェルデンクライスのサイトのURLを張り付けておきますね。
http://vividring.com/