絶望の中の希望
東日本大震災から二度目のお盆がくる。
あれはちょうど震災から1年が過ぎたころだった。
わたしは心底この国に絶望していた。
崩壊した福島第一原子力発電所からは放射能が排出されつづけ、海や河は汚染され、深刻な生物濃縮が進行している事に対してではない。
それについては地道に解決に向けて努力を重ねてゆくしかないし、望んだ状況を創る意志さえあれば、いつか解決できると確信している。
わたしが絶望していたのは、現在進行形の危機があるにもかかわらず、それを直視しないひとの多さに対してだった。1年以上経ったいまも東北道を走っていると、福島に近づくにつれてガイガーカウンターの数値が上がる。0.2,0.3,0.4,0.5,0.6・・・・。福島を通り過ぎると数値は急速に低下する。
いまとなっては見慣れた数値に驚きもしない。
だけどカウンターが0.5を示している町にはたくさんの人が普通に暮らしている。原発では被曝覚悟で見通しの立たない作業を続けているひとたちがいる。日本中に汚染された食べ物が拡散し、安全な食べ物を手にいれるのは難しい。わたしは東京の空気も安全だとは思っていない。このまま無策でいるなら、健康被害は確実に増加するだろう。
その一方で街には面白おかしいイベントやグルメがあふれている。
西日本はもちろん、東京の住民ですら、自分たちの喉元に刃が突き付けられていることに気づかないのか、見て見ぬふりをしているのか、どちらにしても羊のような顔をして通勤電車に揺られている。
それっておかしいよ。
だっていまも、こ瞬間も、わたしたちがいっけん平穏な暮らしをしている陰で、必死で作業をしている人たちがいる。
幼い子供が放射能にまみれた食べ物を食べている。
わたしには、子供たちの体の中の細胞たちが、無垢な命が泣いているように感じる。どうしておとなたちはそれを黙ってみているんだろう?
震災から1年の世界は、あまりにも虚構に満ちていて、わたしには耐えられなかった。
わたしは自分自身の内面と向き合うために1週間山にこもった。
今年の三月のことだった。
そして山から戻り、もういちど一から自分にできること始めようと思った。
そんな決意をしてから半年が経つ。
いまわたしは絶望を持ち続けているけれど、同時に希望も持っている。
なぜならこれほどの悲しみを、ひとの心の発する痛みと一緒にいることのできる自分という存在の一部に、人類という種が持つ可能性を感じるから。怒りや悲しみ、深い絶望のエネルギーを希望に変える力が人間にはある。絶望の底の、命の根源にある、混沌としたエネルギーに触れて、それを抱きしめる力が私たちにはある。
それはあなたの中にもあるんだよ。
現実を直視すること、変化することは恐ろしいかもしれない。
けれど、もういままでのやり方は通用しない世界になってしまったんだよ。
だから目をそらすのはやめよう。
ほんとうの声を聴かせて欲しい。
勇気をだして、自分の中の本当の声を聴いてみて。
きっと道は拓ける。
だいじょうぶ。
あなたはそのために、この世界に生まれてきたのだから。
2012.8.10
文責 キョーコ
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