生きている意味がわからないとき
長い人生、誰でも一回ぐらいは本当に苦しくて、生きている意味がわからないと思うこともあるかもしれない。そんなときひとはどうやってそれを乗り越えてゆくんだろう。これはわたしの経験談だけど、何かの参考になればと思うので書いておくね。
わたしの場合は小学校低学年から10代後半までの期間がそうだった。
自分自身の病気・家庭のごたごた等いろいろあって、毎日生きるのが苦しかった。
孤独で、つらくて何度も死にたいと思ったけれど、ぎりぎりで踏みとどまらせたのは私の中にあるちいさな「誇り」だった。
いま死んだら、あまりにもみじめだ。
苦しむために生まれてきたわけじゃない。
絶対に最後には笑ってやる。
それまでは絶対に生き延びてやる。
….という負けん気の強さと言い換えてもいいかもしれない。
よく自殺したら親やまわりのひとが悲しむから死んじゃいけないというけれど、それはまだ追いつめられていないひとへの提案だと思うんだよね。
本当に追いつめられたときは周囲の思いが救いにはならないほど本人は孤独に陥っている。
むしろ悲しんでくれることに思い至れるほどの関係があれば死を選ばない。
わたしの場合は死を選ぼうとしたとき、自分の内側にある生命力みたいなものがブレーキになったんだよね。
それが、誇り、だった。
そのことがあってからいちど死んだ気になって生き始めたとたん、健康が急激に回復し、人間関係もじょじょにいい状態に変化していった。
19歳のときの話だ。
その後、26歳ではじめて子供を産んだとき、分娩室で生まれたてのわが子を抱いた。
おっぱいをふくませると、頼りなげな真っ黒な瞳がじっとわたしを見つめかえしてきた。
その瞳をみたとき、一生分の愛をもらった気がした。
子供は生まれてきただけで一生分の親孝行をしているんだよね。
10代の頃、「生まれてこなきゃよかった!!」と父親に叩きつけるように言ったことがある。
そのとき父親はぽつんとつぶやいた。
「おまえがいるから、がんばれるんだぞ」
その言葉は10代のわたしには届かなかったけれど、もうすぐ52歳になるいまのわたしにはよくわかる。
生きる理由が変わった。
自分という一個の存在を存続させるための「意地と誇り」から、大切なものを守ることへと時間をかけて変化していった気がする。
家族、友人、仲間、etc.、大切な人たちとかれらが住むこの世界を守りたいと心から思う。
たとえば子供の大切な友人が苦しんでいれば子供の笑顔も曇る。子供の友人の友人やその家族が深い悩みを抱えていたら、子供の友人やその家族の笑顔も曇る。それを見た子供の笑顔も曇る。
結局わが子だけが幸せになる道などありえない。
わが子の幸せを願うなら、住んでいる環境を整えてゆかなければ個人の幸せなんか簡単に消し飛ぶ。
世界を見渡した時、内戦や経済崩壊という環境の中で個人だけの幸せを守りきるのは難しいと痛感するんだよね。
だからいまはみんなが幸せになれることが最大の願い。
「我」が服を着て歩いていたような人間が変われば変わるもんだと思う。
だからまずは自分。
本当にくるしいとき、
孤独なとき、
生きていてよかった、と思えるまでは生き抜いてみるのもひとつの手かもしれないよ。
誰のために?
もちろん、自分自身のために、ね。
あなたの人生はあなた自身のものなんだから。
2013年10月7日
★白鳥澄江の著書
なぜ眠り姫は海で目覚めるのか? 超ネガティブ思考を解除する3つのメソッド
★白鳥澄江の新刊はこちらから、1章丸ごと立ち読みできます
「なぜ眠り姫は海で目覚めるのか?~超ネガティブ思考を解除する3つのメソッド」
でーぷすぎる記事やメルマガ限定記事は無料メルマガで配信しています。
興味がある方は、ぜひ下記のフォームから登録してみてね。
↓↓↓