激動の時代を乗り切る極意 4 『我』
さて本日のテーマは『我』について。
だいたいこのテーマは先日予告したものの、ゆっくり時間をとって考えないと書けない内容なだけに、忙しさにかまけてつい後回しにしていたんだよね。
・・・・はい。これは自己正当化だね。
つまり相手から非難される前に防御をはっておこうという姿勢だよね。ま、ブログの更新程度なら実害はないんだけど、これを対人関係や仕事であまりやりすぎると具合の悪いことになってくる。
自己正当化する時っていうのは、自分を守ろうとしている状態なんだよね。つまり保身に走っている状態。当然、そういう時は相手の置かれた状況や気持ちを理解するなんていう精神的な余裕はない。まして状況を客観的に把握して対策を練るなんてことは不可能にちかい。
相手も人間だからね。往々にしてこっちのそんな態度に反応して感情的になる。そうなるとこんどは確証バイアスが働くんだよね。確証バイアスというのは社会心理学などで使われる用語で『選択的思考』のこと。
どういうことかっていうと、人間は多かれ少なかれ、自分の信じたいものを信じたいんだよね。
あたりまえだって? うん。
たとえばAさんという若い女性がいたとするよね。彼女は「わたしは魅力的なので男性からモテる」という信念の持ち主。ある日同期の男性Bさんが残業で残っていた彼女の仕事を手伝ってくれたとする。その結果、彼女は「やっぱりわたしはモテるんだわ」と自信を深めた。事実はたまたまBさんは手があいていただけだったんだけどね。
これが確証バイアスというやつ。自分が信じたい信念や考え方の裏付けとなる事実だけを重要視して、自分の考えを否定するような事実には目を向けなかったり、軽んじたりすることによって信念が強化されていく。
Aさんの場合は、「自分は魅力的なので男性にモテる」からBさんが手伝ってくれたと考えた。このとき「Bさんは誰にでも親切である」「Bさんはたまたま手があいていた」という彼女の信念を否定する可能性のある事実は無視されている。
ま、この例はかわいいもので、たいした実害はないよね。ところが自己正当化にこの確証バイアスを使うと話が深刻になってくる。
だいたい対人関係における揉め事の多くは自己保身からくるんだよね。傷つきたくない、失敗を認めたくない、自分の置かれた厳しい現実を認めたくないというとき、多くのひとは自己正当化する。つまり自分に言い訳をするんだよね。
「あのひとがあんな言い方をしたからいけないんだわ」
「まわりが悪い」
「たしかに失敗はしたけれど、こうなったのはあのひとのせいよ」
「あのひとはわたしの価値観なんて認めてくれないんだから、どうせ言ったってわかってくれないわ」
etc.
こちらが上記のような気持ちで相手に接すれば、相手だって気分が悪いし、自分を守りたくなるよね。その結果当初予想したとおりの(それもネガティブな!)反応がかえってくる。このとき「やっぱり思ったとおりだわ」と思うことで確証バイアスが深まってゆく。その結果、人間関係はどんどんこじれて、悪循環にはまってゆく。
上記のやりとりのなかで最大の問題点はなんだと思う?
それは、相手がネガティブな言動をするように自分から仕向けていることなんだよね。
そして相手も自分もそのことに気づいていない。
じゃどうしたらいいのか?
それは『激動の時代を乗り切る極意 3 自己正当化~対人関係編』で書いたとおり、まず自分の状態に気づくこと。
そのうえで客観的に事実を検証してゆくこと。
確証バイアスの罠に陥らないためには、相手のプラス面とマイナス面の両方をみてゆくこと。これは対人関係だけではなく、仕事でも同じ。そのプロジェクトの状況を客観的に見てゆくことに尽きる。
前回自己正当化の正体は『我』だと書いたよね。
もういちど整理すると、自分を守ろうとする気持ちやちいさな自分の考えに執着する気持ちが『我』。そしてこの『我』を押し通そうとするとき自己正当化が始まる。
どうやらわたしたちが心身ともに気持ちよく生きるには『我』の攻略がポイントだってことがわかってきたよね。
そこであらためて考えてもらいたいんだけど、
そもそも『我』とはなにか?
なぜわたしたちには『我』が備わっているのか?
それは『我』が「モノ」の特徴的な性質だからなんだよね。
「モノ」というのは「物、物質」であり「者」のこと。わかりやすく「物質」に限定して説明すると、物質というのはある特定の形を保持しようとする性質を持っているんだよね。
たとえば木の机は炭素をはじめとした分子の集まりだよね。いったん机という形をとると、こんどはその形を維持しようとする作用が働き続ける。わたしたちの肉体も同じ。この肉体を維持するためにわたしたちは自分以外のモノを殺し、食事という形で肉体に取り込む。他者から攻撃されて生命の危機を感じれば、わたしたちは本能的に生きのびようとするよね。
つまりいちど出来上がった形を維持しようとするのがモノの本質なんだよね。こうしたモノである肉体の性質は当然のことながら、わたしたちの精神にも大きな影響を与えている。
客観的にみれば、日常生活のなかで多少の失敗や自分の非を認めたって生命の危機に結びつかないことのほうが圧倒的に多い。にもかかわらず傷つきたくない、失敗を認めたくないといった自分を守ろうとする気持ちが生まれてくるのは、わたしたちの多くが肉体というモノの支配下から脱していないということなんだよね。
人間が机と違うところは「モノ」の性質と純粋な「精神・神性」の両方をあわせもっているところなんだよね。
「精神・神性」というのは、モノの性質を越えたところにあって、モノを創りだしたり、モノの働きを制御したりする力。ただしわたしたち人間は「精神・神性」が未熟な状態で生まれてくるので、これは意識的に育てなきゃいつまでたっても未熟なまま。
もちろん赤ちゃんはそこにいるだけで周囲のひとを暖かい気持ちにさせるように、精神が未熟だってその存在価値はなにひとつ輝きを失ったりしない。けれど精神が未熟な状態でいることは、たぶん生き辛さやしんどさを抱えたまま生きている状態なんだよね。その状態から抜け出したいなら、自分自身の精神・神性を育てて、モノの影響下から脱却したほうがいい。
精神が育ち、モノの影響下を脱するとどうなるか?
こんどは今までとは逆にモノを自由にコントロールできるようになる。ひらたくいうと、人間関係がスムーズになったり、願望を実現する力が格段に強くなる。いまの時代を生きのびるためにはとても必要な力なんだよね。
どうしたら精神が育つのかって?
昔はこうした力を駆使できる人間は限られていて、かれらは魔法使いとかシャーマンなどと呼ばれていた。ヨガや禅の高僧なんてのもそうかな。でもいまはこうした心の成長過程は心理学ではかなり解明されていて、魔法でも奇跡でもないことがわかっている。わたしもセッションや人間力養成講座で主婦やビジネスマンに教えているくらい普通のことになりつつある。
具体的には『激動の時代を乗り切る極意 3 自己正当化~対人関係編』で簡単に箇条書にしておいたので実践してみてね。もっと詳しく個人に状況に特化して教えて欲しい方は個人カウンセリングか、夏にやろうと思っている(・・・の予定)人間力養成講座に参加してみてね。
2009年5月27日
【サイト内参考記事】
激動の時代を乗り切る極意 1
激動の時代を乗り切る極意 2 『逆転』
激動の時代を乗り切る極意 3 『自己正当化~対人関係編』
激動の時代を乗り切る極意 4 『我』
激動の時代を乗り切る極意 5 ハーメルンの笛吹き
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こんにちは。…まさに今精神を育てている最中です。 思考が大人の分だけ、子供の頃から感情を抑える事に長け過ぎて、感情がいつまでも子供のままで成長していません…(笑)。 感情を肯定すると思考が否定されたように感じたりするので、相反する二つのモノを統合するのはとても大変ですが…ゆっくり頑張っています。 また一人でしんどい時は、お世話になるかもです(^^)
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mikoちゃん こんばんは。思考(優等生サブちゃん)と感情(子供サブちゃん)を統合するのは難しいけど、どっちも大切なmikoちゃんの一部だものね^^ >ゆっくり頑張っています。 うん。そうね。応援しているね。 いつでも連絡くださいね。