始まりの夢、始まりの気配
20年前の今日、1月17日は阪神大震災が起きた。
以来、毎年この日は多くの人々が黙祷を捧げる。
一方で天河弁財天では1月17日は恒例の牛王神事の日でもある。
この神事は諸国万民の安穏無事と五穀万菜の実りが豊穣であることを祈願するもので、伊勢神宮、熊野神宮と並んで「三大牛王神事」として1300年の伝統を持つ神事だ。
あちこちでたくさんの出来事が起きる。悲しい事もうれしい事も、祈りに満ちた時間も。大きな、ひとの歴史を見た時、ただそう思うのだ。人の営みのはかなさと愛しさを思う。
最近、頻繁に津波の夢を見る。
この夢見はリアルな津波の予知ではない。
この場合の津波は人類の集合無意識を象徴しているんだよね。
ひとりひとりの無意識に大きな力が注ぎ込み、それが無意識下に収まらなくなって、無意識と意識を隔てる扉を破って、顕在意識に上がってくるイメージかな。
前に同じような夢を頻繁にみたのは1999年のちょうど今頃だった。
その頃から私個人の人生も大きく動いたし、2000年問題などもあって社会全体もひとつの区切りの年だった。
このところあの頃と同じ空気を感じるんだよね。
もうひとつ古代日本の3~5世紀くらいの古墳時代が終わり新しい時代へ移行するくらいの時期の歴史がときどき意識にふっと入ってくる。これもやっぱり時代の境目。
そうそう、12000年~15000年前の沖縄一帯を中心に栄えた古代文明の気配も感じる。
古代文明が崩壊した大きな要因はよくも悪くも精神の力を文化の中心においていたにもかかわらず、社会がピラミッド構造だったために、支配層は良かれと思って庶民のために尽くし、あるいは搾取し、庶民は支配層に依存して精神的自律を果たせなかったことが大きな要因だと感じる。
そしてピラミッド構造の社会はいまも続いている。
この津波に象徴される増大した無意識の力を使いこなすには自分が自分の主人公であること、自分が自分の王であることが大事なんだよね。釈迦がいうところの唯我独尊というやつだ。
無意識の波それ自体幸・不幸、善悪はない。
その波に乗って、どんどん変容してゆけるなら、これほど強い味方はいない。
でも変化をしたくない、てこでも今の状態から変わりたくないひとにとっては恐怖だろう。
わたし?
うん。じつはわくわくしている。面白くて仕方がない。
社会は変わる。
無理やり大きな運動みたいなものを起こさなくても、ひとりひとりの心の中が自由になって、自分という体験を楽しめる人が増えてゆけば、それはいずれ集合無意識の変化という形で社会を根底から変えてゆくだろう。
歴史を振り返ると、時代の変化はごく一部の為政者が起こすのではなく、人々の集合無意識のうねりこそが歴史を動かしてゆくことは明白だ。
誰かが、ではなく、わたしたちひとりひとりが自分自身の人生の主人公になることで社会は面白い方向に動き出す。自ら奴隷になることを選択したい人もいるかもしれない。それでも、わたしたちの無意識の泉はそれぞれの意識にこんこんと叡智を注ぎ込み続ける。やがて時が満ち、寄せては返す波のようにまどろみ続ける幼い赤子を揺り起す。
海や山で遊んでいるひとはすでに流れの気配を感じているかもしれない。
波や風を感じて瞬時に流れに乗るサーフィンやダイビング。
あるいは山奥深く分け入るトレッキングや登山をするひとは人一倍こうした気配に敏感だからね。
今の時期、こうした無意識の叡智とエネルギーを感じたかったら、アウトドアもおすすめだよ。
潮風を感じてみてもいいし、クジラを見てきてもいい。近くの里山を歩いてもいい。
素敵な波に乗りますように!!
2015年1月17日
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