原発とエアコンと
さてひさしぶりの『ブログで囲もう浜岡原発』の第四回企画です。
詳しい内容は以下のブログ内過去記事を読んでね。
今回は原発問題を考えるうえで絶対はずせない電力について、個人的な体験談をすこし。
じつはうちは数年前までエアコンがなかった。もちろんセッションルームではしっかり使うけど、自宅のほうは一昨年知り合いから中古のエアコンを譲り受けるまで、扇風機で過ごしていたんだよね。べつに主義主張があったわけではなくて、単に買いそびれていただけなんだけど・・・。
都下とはいえエアコンのない暮らしっていうのはやっぱり暑い。夜になって外気が下がっても、集合住宅のコンクリートの壁にこもった熱はなかなか冷めないんだよね。そんな生活だったので、一昨年エアコンが来たときはじつにものめずらしかった(笑)。夜はエアコンをつければそれなりに快適だし。でもなんとなく体に合わない感じがあって、実際にはあまり使わなかったなあ。
で、今年である。
東京は連日の暑さなんだよね。都市部のヒートアイランド化は年々過激になってゆくような気がする。そんなわけで今年はエアコンを使う回数が多いかもしれないと思って早めにお手入れをしていたのに、いざ使おうと思ったらリモコンがない。家中ひっかきまわして探したんだけど見つからない。
これにはまいった・・・というかびっくりした@@
狭い家の中、なくなるはずはないんだけど。
でも本当はエアコンなしの生活もけっこう好きなんだよね。
たしかに暑いんだけど、だからこそ感じるものもいっぱいあるんだよね。たとえば夕方のかすかな風のありがたさや夏特有のもあっとした空気。開け放した窓から聴こえる蝉の声。
めいっぱい汗をかいて体がすっかり夏の暑さに慣れた頃、すこしずつ季節が変わり始める。朝晩の風に秋の気配を感じる頃になると、しみじみ生きててよかったなあと思う。夏のあの暑さがあるからこそ、夕方の風の涼しさがありがたい。
しんどかったけど、夏を乗り切ったという充実感は何ものにも変えがたいんだよね。特別なものは何もないけど、穏やかになってゆく陽射しを感じているだけでじゅうぶんに満ち足りてくる。夏の厳しさをしっかり体で感じるからこその楽しみだという気がするんだよね。
快適な生活ばかりを求め過ぎると、かすかな季節の変化や日々の暮らしの中のささやかな喜びを感じる感性が鈍くなってしまうかもしれないね。
2006年8月9日
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Comment
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こんにちは 「快適な生活ばかりを求め過ぎると、かすかな季節の変化や日々の暮らしの中のささやかな喜びを感じる感性が鈍くなってしまうかもしれないね。」 これはほんとそうですね。 自身もオフィースでは仕方がないのですが、寝るときは窓を開け放して寝ています。というより単にエヤコンが着けていないだけなのですが、朝起きたときに変な疲れが残らずかえって快適です。 地震国日本で浜岡原発は危険であり、不要です。 (すべての無駄と利権の塊で古臭い原発は不要です。) 日本は原発ゼロでも充分やっていけます。 又、原発推進の方々は戦争や命の大切さに無関心か、単にお金の奴隷になっている方が多いのも事実です。 ※さて最近久々に自身のブログを更新しました。 一言でも二言でもコメント頂ければ幸いです。
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ふるさん こんばんは。コメントありがとうございます。 わたしも基本的には原発は危険すぎると思っています。 代替エネルギーの問題は、ある程度見通しがつきつつあるという話も聞きます。 やはり利権にまつわる人の心がいちばんのネックなのでしょうね。 ブログ、あとでゆっくり見に行きますね。