ポケモンGO雑感
昨日から配信が始まったポケモンGO。
これ、面白いね。
ポケモンは子供たちがまだ小中学生の頃、発売日になると近所のホームセンターで並んで買うのは親の仕事だったなあ(笑)。
いまは20代後半の子供たちは生まれたときからゲームがある環境で育った世代。
ゲーム脳なんて言葉も流行っていて、親たちはなんとか子どもたちからゲームを取り上げようと躍起になっていた時代でもあった。
どんなに親が正論を言おうと、ゲームは面白いんだよね。
だから子どもたちもルールをかいくぐって、結局近所の公園で仲間たちで集まってはゲームをやっていたなあ。
そんな時代を知っている親の目から見れば、ポケモンGOは画期的だ。
ゲームはインドア、もしくは座ってプレイするものだという概念を壊したのがポケモンGOだと思う。
それともうひとつ面白いなと思うのは、ポケモントレーナーはスマートフォンの画面を通して景色を見ることで、いまここにある現実世界にもうひとつの世界がオーバーラップするのを目の当たりにするわけだ。
子供の頃、世界はファンタジーに満ちていた。
家から子供の足で15分ぐらいのところにある海岸でひなが一日遊んでいた。
波に乗って砂浜に流れ着いてくるヤシの実や流木。
台風の翌日には昆布や北寄貝がよく上がった。
それは未知の世界から不思議な物語を運んでくる宝物に見えた。
遊び疲れて日が暮れた頃、家に帰る道すがら大きな桜の木の枝に不思議な生き物がいるような気がしてどきどきしながら木のそばを通り過ぎたこともあったな。
昭和の時代の話だからね。
子どもの頃の家はトイレが縁側廊下の突き当りにあったため、一歩居間を出て廊下に出ると妙に薄暗かった。
なにかいそうなんだよね。
だから夜トイレに行くのが子ども心に怖かった。
トイレの妖怪も桜に木の物の怪も、おとなたちには見えない。
砂浜に打ち上げられた流木もおとなたちにはただの流木。
おとなたちだって子供の頃があったのに、いつのまにか世界が不思議に満ちていることを忘れてしまう。
この世界にポケモンはいないけど、世界は目に見えない不可思議な要素で構成されていて、通常おとなたちが認識できるのはそのごく狭い範囲でしかない。でも心のどこか、無意識のセンサーの奥底では誰もが本当のリアルな現実にうっすらと気づいている。ポケモンGOはそんな無意識のセンサーを刺激するんだろうなあ。
もちろん賛成意見ばかりじゃなくて、お決まりの陰謀論もあちこちから聞こえてくる(笑)。
陰謀があってもいいんじゃないの。
もしもゲームが面白くて、国境を超える原動力、知らない場所に実際に自分の足を運んでみたい原動力になるなら、そこでひととひとがコミュニケーションをとれるなら、簡単に宗教や人種の壁を超えるかもしれない。
未知の面白さを求めるのは人間の業。
権力欲や支配欲もまた人間の業。
業が業を超えるだろうか?
同じ業なら面白さや可能性や、そのためのコミュニケーションや共感、面白くて笑いだす、そっちの業のほうが新しい未来が拓けるかもしれない。
ふと福井晴敏氏の「人類資金」を思い出した。
この小説にもスマートフォンが重要なファクターとして出てくる。
たとえ私たちを管理しようとする陰謀があったとしても、わたしたちはかれらの想像をはるかに越えた未来への扉を開くかもしれない。
それこそが人間のもつ可能性だと信じている。
2016年7月23日
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