シャーマンのわたしがダイビングを始めた本当の理由
海の中は異世界だった
「えっ……海にはいるんですか」
喉の奥がひきつるのを感じつつ、わたしは思わず訊き返した。
2003年1月。その日はスクーバダイビングのCカード講習の初日だった。わたしは心底情けない気持ちで目の前の雨でけぶった海を見つめた。わたしは海や山といった自然の精霊たちの声を聴き、祈りを捧げるシャーマンだ。そのシャーマンがなぜダイビングのCカードを取る羽目になったのか。それには深いわけがある。
ともあれ沖縄本島から飛行機を乗り継ぎ、やっとの思いでたどり着いた日本の最西端の島・与那国島のダイビング講習の初日はこうして始まった。ときおり強い風が吹きつける。いくら安全な湾内とはいえ、ダイビング初心者のわたしにとってはなかなか勇気のいるシチュエーションだ。ふつうは足の立つプールから始めるんじゃないのかと心の中で悪態をつきつつ、わたしはおそるおそる海に足をいれた。
「足は着くから、だいじょうぶ。はい。そこでしゃがんで、頭のてっぺんまで水にはいって」
えー???
風で海面が波立ってるじゃん。
わたしはどきどきしながら腰をかがめた。
胸まではだいじょうぶ。肩も平気。顎もOK。耳に水が触れた。どきっとする。さらに腰をかがめる。耳に軽い圧がかかりはじめる。完全に耳まで沈んだ。次の瞬間、恐怖を感じて、あわてて立ち上がった。
自分がここまで怖がりだとは思わなかった。鼓膜に水圧を感じるあの感覚がだめなのだ。自分にはダイビングなんか無理なんじゃないかと思うと情けなくなった。それでもあきらめなかったのは当時海底遺跡ではないかと言われていた与那国島の沖合いの水深20メートルの海底にある特殊な構造物を実際に自分の目で見て、確かめて、そして海の中で祈りたかったからだ。
翌日は快晴だった。目の前にはどこまでも透明なエメラルドグリーンの海が広がっていた。1月とはいえ、晴れると日差しが強い。わたしはシュノーケルをつけて、インストラクターの後ろついて、ひなびた漁港の船着き場から海に入った。
わたしはどきどきしながら海に顔をつけた。
「うわあ……」
その瞬間、目に飛び込んできた風景はいまでもよく覚えている。まだ足が着く場所なのに青やオレンジ色や縞々もようの色とりどりの魚たちが泳ぎ回っていた。
こんなことがあるんだ。
知らなかった。
おどろきと感動で当初の怖さも吹き飛んだ。
水に身体をあずけると、ふわっと身体が浮いた。
ウエットスーツを着ているので絶対に沈まないのだ。
全身の力を抜いて、水に浮く感覚は生まれてはじめての体験だった。
小学生の頃、夏休みになると毎日プールに通っていた時期がある。
その頃の最初の関門は浮くことだった。
人間の身体は力を抜けば浮くようにできているけど、それでも完全に脱力はできていなかった気がする。
ところがウエットスーツを着ていると完全な脱力を味わうことができるのだ。
海の中は陸上とはまったく別の世界だった。
きれいな縞模様の魚がわたしの鼻先を悠々と横切ってゆく。
今までわたしは世界の半分しか知らなかったのだということに不意に気づいた。
人間は水中では呼吸ができない。
だからふつうに生きていたら決して知ることはなかっただろう。
海のなかは生命があふれ、かぎりなく豊かな世界だった。
講習が終了すると、わたしはさらに数日間滞在して海底遺跡のある海に潜った。
東京に戻るとふたたび陸上の生活が始まった。
日々の仕事に追われて、ダイビングに行く機会もないまま8年の歳月が過ぎた。
予知ではひとは救えない
2011年3月11日、東日本大震災が起きた。
わたしは震災直後からシャーマンの仕事をするために北東北にはいった。
森や大地の声を聴き、丁寧にその揺らぎを感じてゆく。
その年は多忙を極めた。
それは2012年の10月の終わりのことだった。
深夜、心臓の激痛で目を覚ました。
あまりの痛さに声も出せず、指一本動かすこともできなかった。
じつは震災からしばらく経った頃から、ときおり震災後のもろもろの仕事にきりがついたら自分の寿命は尽きるかもしれないと感じることがあった。
だから深夜の激痛に驚きはしなかった。
このまま心臓が止まるのかな。
これはけっこう苦しい死に方かもしれない。
その夜はまんじりともせず朝を迎えた。
翌朝、近所の病院に行ったが原因不明で返された。
5日間ほど寝込んで、もう一度病院に行くとこんどはCTを撮られた。
医者の見立てでは過去に大動脈解離になっていた可能性があるが、現在は回復している。
つまり治っているということだ。たしかにもう痛みはなかった。
ちょうどその頃、わたしは自分の立ち位置がわからなくなっていた。
シャーマンだったわたしは数年前から大地震が起きることを知っていた。
だから「その日」のために人生の全てを賭けて全力でシャーマンの役割を果たしてきた。
けれど人間の力など微々たるものだ。
実際にたくさんの方が被災されて亡くなった。
わたし自身も大きな代償を払うなかで、ひとつだけわかったことがある。
それは予知では人を救えないという事実だ。
その結果も含めて現実を受けいれなければ前に進めなくなっていた。
じゃあ、ひととして何ができるだろうか?
日本人はつねに自然災害とともに生きてきた。だからどんなに大きな被害をこうむっても、「ひと」の心さえ失わなければ乗りきれるし、なんどでも再生できる。
人間が人間でいる条件はひととしての心、すなわち「愛する心」を保てるかどうかだ。
だからこそシャーマン活動のかたわら、誰の心の中にも存在する「愛する心の種」を育てるサポートが急務だと思って、この16年間心理のプロとして講座や個人カウンセリングというかたちで活動してきた。
けれど時代が大きく変わろうとしているいま、わたしがそれまでやってきたスタイルではいずれ対応できなくなる。
その理由は時間がかかり過ぎるからだ。
もっと即効性があって、簡単で、誰でもできて、着実に生きる力と愛する力が育つような「なにか」をいずれ多くの人々が必要とする時がくる。でもそれがどういう方法なのかわからなかった。
原初の海
2013年の秋。たまたま家族旅行で泊まったホテルのロビーに1枚のポスターが貼ってあった。
わたしは目が釘付になった。
青い海底の風景。
出雲海底遺跡?
やばい。
心の奥で何かが動いた。そう自覚した瞬間、海底遺跡に潜ってみたくてたまらなくなった。
あのときと同じだ。
与那国島海底遺跡に惹かれて、それまで縁のなかったダイビングを始めたときの恋心のような情熱に似ている。
こうしてわたしは10年ぶりにダイビングを再開した。
わたしは休みのたびに海に潜るようになった。
海に身体をゆだねて無心に潜る。
そのたびに震災でぎゅっと固まっていた筋肉や精神的な疲労がすこしずつ軽くなってゆくのがわかった。
まるで海はゆだねてもだいじょうぶ、世界を信頼してもいいと無言で語っているような気がした。
深い愛とともに、自分の身体を自分でコントロールできる確かな自信と安心感が細胞ひとつひとつに刻印されてゆく。
海は生命の源だからだろうか?
海に抱かれていると自分の中の野生ともいうべき生命力が甦ってくるのだ。
その日は再開してから何度目かのダイビングの日だった。海から上がって、ウエットスーツを片付けて、のんびり潮風に吹かれながら海を見ていたときに不意に啓示にも似た思いが胸の奥から湧き上がってきた。
海は原初の海に戻ろうとしている。
原初の海?
生きものの進化を促す力を持つ海。
そうだったのか……。
震災以降、心のどこかで放射能汚染を危惧していたわたしは海から遠ざかっていた。
ところがダイビングを再開して気がついた。
海に入ったあとは肌の調子はもちろん、体調がすこぶるいいのだ。
集中力や注意力もアップしている。
海には放射能汚染を相殺する以上の力があるのだろうか。
不思議に思って調べてみると、海水に入ることで男性はテストステロン、女性はエストロゲンの分泌が活性化するのだそうだ。
ちょうどその頃から骨格の繋がりや身体機能を高めるフェルデンクライスメソッドを学び始めたのもあって、海で純粋に身体を動かすことの面白さにはまっていった。
友人たちが続々と海にいく?
そんなある日、急遽徳之島にクジラを観に行くことになった。
徳之島は鹿児島県奄美大島の南に位置し、毎年12月から3月にかけてクジラが子育てにやって来る。わたしはクジラウォッチの合間にスクーバで海に潜ってみた。
徳之島の海は透明で、どこまでも青かった。
驚いたのはアオウミガメが多いこと。
40分ほど潜っているあいだに3匹のアオウミガメに出会った。
わたしは持っていた水中カメラでアオウミガメの姿を追った。
夕飯の時に陸で待っていた友人にさっそく動画を見せた。
「うわあ……カメだ。いいなあ。会いたいなあ」
友人は声をあげた。
じつは彼女はサーファーのくせになぜか海が怖いという不思議な経歴の持ち主だ。
彼女は何度も動画を再生しては目をきらきらさせて画面を見入っている。
「そんなにカメが見たいなら、潜ればいいじゃない」
「え~でも怖いし」
「そう? 地球に生まれて、この世界の半分を知らないなんてもったいないと思うよ」
そのときはそれで会話は終わったのだが、なんと彼女はその年の秋に徳之島でスクーバダイビングを始めたのだ。
同じ頃、別の友人がわたしの撮ったカアオウミガメの動画を見て数年ぶりに連絡をくれた。彼女は最愛のパートナーを亡くして以来、心が干からびたみたいに何も感じなくなっていた。
ところがアオウミガメの動画を見た瞬間、涙があふれてとまらなくなって、感情が戻ってきたのだと話してくれた。
そして自分の目でアオウミガメのいる海を見たいと言って徳之島に旅立っていった。
それぞれのヒーローズジャーニー
わたしの知らないところで不思議なことが起きていた。
彼女たち以外にもわたしのまわりでは徳之島に行くひとが続出しているのだ。
島に行って、海に触れて、何かを掴んで帰ってくる。
その結果がすぐ出るひともいれば、じわじわと人生の流れが望む方向に動き始めるひとなどさまざまだ。
いったい何が起きているんだろう?
海が大好き過ぎて、ただ熱く語っているだけなんだけど、なぜかまわりの友人知人が徳之島の海に行き始める。もちろん最高に素敵な海だし、島ご飯は絶品だし、誰もが島のファンになる。そして元気になる。それにしても多すぎやしないか?
あ! わたしははたと気づいた。
もしかしたら友人たちの心の中でヒーローズジャーニーが起動しているのかもしれない。
ヒーローズジャーニーとは人類の無意識に組み込まれた普遍的な心の成長物語のことだ。
わたしたちひとりひとりの心のなかにはヒーローズジャーニーのひな形が組み込まれている。
もしも海にはいることで、ヒーローズジャーニーが起動しているのだとしたら……。
これはとんでもないことになるかもしれない。
誰もが心の奥底では本気で生きたい、夢を追いたい、愛したい、貢献したいと思っている。
人生は終わることのない成長物語だ。
けれど昨日までの日常から新しい一歩を踏み出すのは、いつだって勇気がいる。
なぜなら一歩踏み出せば今までと同じではいられない。
過去の自分のパターンを脱ぎ捨てて、現在の状況に適した新しい生き方を身に着ける必要に迫られるからだ。
勇気? そう勇気だ。
でもこれは思いのほか難しい。
ところがある条件がそろえば、このハードルはかろやかに超えてゆくことができる。
その条件とは、個人を越えた大きな力を信頼してゆだねることで得られる「安心感」と自分の心と身体と頭を使って生き抜く「生きる力」の二つをあわせ持つことだ。
じつはこの二つの力を最短距離で身につけることができるのが海遊びなのだ。
母なる大地からの伝言
これまで1万人以上の方の個人セッションや心理学を教えてきた経験からわかったことがある。
インドアで自分の心と格闘するよりも、海で身体を動かして遊ぶほうが簡単に生きる力を取り戻すことができるのだ。
その理由は海に身体をゆだねることで得られる「安心感」と身体能力を高めて安全に帰還する「生きる力」の両方が細胞に刻み込まれるからだ。
2017年、海と心理学とシャーマニズムが融合した滞在型プログラムをスタートさせた。
乙姫プロジェクトの始まりだ。
三泊四日のプログラムが終わる頃には参加者全員が力強く、なおかつ美女度がますますアップしていた。
やっと見つけた。
東日本大震災以降、ずっと探し求めていたものはここにあった。
体育会系の海トレーニングだけでは愛され感は育たない。
インドアのカウンセリングだけでは野生の強さは育たない。
すべての出会いと大自然が無言で教えてくれた無数のヒントがあったからこそ時代の大転換期にドンピシャなプログラムが完成したのだ。
15年前、なぜシャーマンのわたしがダイビングを始める羽目になったのか、いまならわかる。
それは海を通して母なる地球からの伝言をひとりひとりが身体で理解するための水先案内人が必要だったからだ。
その伝言はあなただけのスペシャルな無言のメッセージに違いない。
2019年6月、今年も乙姫プロジェクトをやります。
2018年5月7日(初稿)
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なぜ眠り姫は海で目覚めるのか? 超ネガティブ思考を解除する3つのメソッド
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「なぜ眠り姫は海で目覚めるのか?~超ネガティブ思考を解除する3つのメソッド」
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