サバイバルは遊びから
振り返ると、わたしがサバイバル術を身に着けてきたのはいつだって遊びの中だったな。
若い頃の放浪や野宿経験、いきがってバイクを乗り回していた頃のストリートレースや勝負の極意がいまはある意味で不動心として人生のベースにある(爆)。
登山をするようになって知った空気の湿り気や匂いなどの周囲の微妙な変化から天候の変化を察知して対処する具体的な知識と技術。標高3000メートル級の山はノリじゃ登れない。地図を読む能力はいうにおよばず、五感をフルに働かせて得た現場の生の情報と天気図を結びつける能力や天候が急変した時の判断、道に迷った時の臨機応変なルートの選択。それらを可能にする知識やスキルは遊びながら自然に身についていった。
はじめて水深20メートルの世界を体験して、地上とはまったく違う世界が海の中に広がっていることを知った驚き。魚が食材じゃなくて、釣られる前までは自由に泳ぎ回っていたんだというあたりまえのことを海に潜ることで初めて実感としてリアルにわかったんだよね。
自然相手の遊びは命の危険が常にともなうんだけど、だからこそ不動心とサバイバルの技術が自然に身に着くんだよね。
自然のど真ん中にいると自分が動物だってことを思い出す。
野生の勘が冴えてくる。
もちろん自然の中で遊んでいるひとの誰もが不動心があるとはかぎらないし、自分の欲望のままゲームのように魚の命を粗末にする漁師や釣り人だってたくさんいる。動物としての自己保存欲求からくるサバイバル技術や知識が必ずしも自然や周囲のと調和するとはかぎらない。
全体最適と部分最適のどちらも満たすためには高度な精神の力が必要になってくる。
動物的な野性の感覚と人間が持つ高度な精神の力がうまく統合されると面白い世界がひらけてゆく。
精神の力、いいかえると自分自身を俯瞰すると同時にどっぷりと味わい尽くす視点が育ってくると、たとえば日常的な家事がサバイバルに直結することが理解できるし、日々の生活のあらゆる場面が大きなうねりの一端となって、意味を帯びてくる。
なんでそんなことが言えるかって?
わたし自身が体験しているから。
それに関してはサイコシンセシス入門講座やCEL講座で教えているのでここでは端折る。
そんなわけで視点をかえると日常はサバイバルそのものになる。
料理サバイバル術というのは私の造語で、おおきなサバイバルというくくりの中で日常的な料理という切り口から入るサバイバル術という意味なんだよね。
これは手軽だけど、極めると奥深い。
自分自身の健康保持はもちろん、主婦のみなさま、将来大好きなひとのご飯を作ってあげたいと思う方にはおすすめだよ。
そしてね、サバイバル能力の基本は「目の前の出来事を楽しむ」こと。
面白いと思わなきゃ集中できないし、続かないものね。
そしてサバイバルの目的は生き延びること。
この視点をもって、自然の中で遊ぶときっと素敵な発見があるよ。
そんなわけでまた今年も「自然と遊ぼうサバイバル企画★里山トレッキング」をやりま~す♪
2015年6月24日
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