世の中のこと」カテゴリーアーカイブ

時事、社会問題など世の中で起きる様々な出来事について思うことを語っています。

浜岡原発をとめたい

 こんばんは。
 ここ数日テレビにも頻繁にでているけど、中央防災会議の基本計画が大幅修正されるなど、政府の地震などの災害への取り組みが本格化してきたね。
 先日の東京震度5もあったばかりだしね。
 

 地震が起きたとき、なにより怖いのは原発震災になることなんだよね。原発は日本中にあるけど、現在懸念されている東海・南関東地震が起きた場合、静岡県の断層のほぼ真上に建っている浜岡原発はひとたまりもない。かりに原発に直撃しなくても、津波が起きれば、当然原発も被害は免れない。津波の恐ろしさは、去年のインドネシア沖地震でいやというほど見せ付けられたよね。あれは断層が集中しているにもかかわらず、原発を推進し続けているわたしたちに対する警告かもしれない。
 

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原発と地震 その2 ~自分にできること

 先日の地震・原発関連の記事ですが、読んでくださって、あらためてありがとうございました。たくさんの方からメールをいただいたのですが、なかなかお返事を書く時間がとれなくてすいません。順次、書いてゆきますのでお待ちください。
 
 
 さて先日の記事に関しまして、いくつか質問をいただきました。
 そのなかで多かったのが、具体的な行動とは何をしたらいいのか教えてほしいという内容でした。
 

 この答えはひとによってさまざまだと思うんですよ。
 それを理解したうえで、あくまでわたしの個人的な考え方として受け取ってください。
 
 原子力発電所、日中問題(排他的経済水域etc.)、拉致被害者問題、日韓問題(竹島関連etc.)、憲法改正、イラク問題と自衛隊の位置づけ、産業廃棄物、ゴミ処理場、ゆとり教育の是非、etc.。ざっと見渡しても、未解決な問題が山積みなのがこの国の現状です。どれをとっても難しい課題ばかりですが、なかでも原発に関しては緊急を要する問題だと思うのです。
 

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地震と原発 その1~愛するひとを守りたい

 伝えたい思いがある。
 

 そんな時いつも、なにをどう伝えたら、ほんとの気持ちが伝わるんだろうと思う。
言葉は言葉でしかなくて、その「言葉」に対して感じるイメージや意味はひとそれぞれ違うからだ。
 

 これまでブログやサイトにいろんなコラムを書いてきたけど、ほんとに伝えたいことがどうしても書けなかった。それは、ひとりひとり受け取りとりかたが大きく違うということを考えたとき、文章の一部分だけがひとり歩きしてしまったり、私の伝えたい真意とは違った受け取りかたをされてしまうのが怖かったからだ。
 

 ここしばらく、シャーマンモードに入っていたと昨日の記事に書いた。
 私をとりまく無数の精霊たちや大地や風、地球のすぐそばにいる親しい友人たちや遥かかなたの銀河から聞こえてくるささやき。そうしたものと共にいながら、心のなかの迷いが消えてゆくのを待つのにずいぶん時間がかかってしまった。

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浜岡原発が危ない

 以下のリンクは日本原子力事業株式会社(現・株式会社東芝)の社員として、中部電力浜岡原子力発電所2号機の設計に当たった技術者の書かれた4/15付けの記事です。
 ぜひ読んでみてください。
 

「浜岡原発は制御不能になる」
 原発@ブログさんにもリンクを張ってありますのでそちらも参考になると思います
こちらは実際に浜岡原発で事故が起きた場合、どういう状況になるかという図解入り解説です。チェルノブイリの事故と対比して書いてあるのでわかりやすいと思います。
 

「原発震災と緊急避難」
 

 ここ数日シャーマンのほうの感覚が強く入ってきています。
 龍・・・のせいかな(笑)。
 アセンションや地震、東シナ海の排他的経済水域の問題と中国・台湾をめぐるきな臭さ、全体的なことも含めていろいろ感じることがあります。それについては、明日にでもアップできればいいなと思っています。地震と原発に関するわたしの気持ちは、1/15付けの「ぜってぇあきらめねえ!!」を参照してくださいませ。
 

TB関連記事のご紹介
Native Heartさんの「最大の敵とたたかおう」
以前シャーマニックワークの最中に何百年か前のネイティブアメリカンの村にトリップしたことがあるのですが、そのとき感じたものと重なるような気がします。その話はいずれまた。
SENZA FINEさんの「核惨事 歴史も文化も ミズノアワ」 こちらは原発関係の記事を多く取り扱ったブログです。
 

2005年4月21日

根のない国~戦後日本を思うとき~ 

東北の蝦夷の武将アテルイの生涯に関する記事を読んで、ふと戦後日本の現状を書いてみたくなりました。
心理学の観点から見ると、人間の心の成熟とは、自分の嫌な部分も好きな部分もふくめて、ありのままの自分自身の存在を受け入れてゆくところから始まる。ひらたく言えば、ハッピーな出来事はもちろん、いやな思い出も含めて自分の人生の責任を引き受けることができたとき、人間の心は成熟してゆく。
じつはこれは「国」に置き換えても同じなのだ。祖先たちが築き上げてきた歴史の積み重ねのその先にわたしたちがいる。

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