贈る言葉
今日は午後から下の娘の小学校最後の保護者会に行ってきた。子供たちも混じって家庭科室でお茶を飲みながら一年生の頃の写真のスライドをみたり、子供たちの合奏を聴いたりしたんだよね。
会の終わりに近づいたとき、担任の先生が言った。
「はじめて君たちと出会ったとき、君たちは『先生これどうやればいいの?』とか、『次はどうしたらいいの?』ってな感じで、なんでもかんでも人に聞くばかりの、いわゆる指示待ち人間だったんだよな。正直どうしようかと思った。このままじゃ指示してくれる先生がいなくなったら、何もできない人間になってしまう。
だから自分たちで考えて行動できる人間になって欲しいと思って、考える方法を徹底的に教えてきたし、君たちはそれを使って自分たちのやりたいことを実行に移す力をつけていった。いま君たちは卒業式のテーマも自分たちで考えて、手作りの卒業式をやろうとしている。それにこの二年間のすべてが凝縮されていると思うんだ。君たちは自分で考えて、それを形にできる力をもう持っている。自分に自信をもっていい。
中学に行ったら授業を消化してゆくだけで精一杯で、なかなか今みたいに試行錯誤しながら自分で考えてゆくこと自体が難しくなるかもしれない。システムの中でいやおうなしに、適応してゆかなきゃならないことも多々あると思う。
だけどこれまで学んできたことは大人になったときに必ず役に立つ。自分が何をしたいのか、自分で考えて行動することは、生きてゆくことの基本だから。その力を君たちはすでにもっているってことを忘れないで生きていってほしい」
う~ん。なんでこう、いいこと言うんだろうなあ。
思わず涙腺が・・・・。
そうなんだよね。心理カウンセリングやコーチングをやっていて思うのはここなんだよね。失敗してもいいから、この『自分で考える力』ってやつを育ててきたかどうかが人生の大きな分岐点になるし、これを育てるのがコーチングの目標のひとつでもあるんだよね。
学校や家庭の教育の問題もあるけれど、それ以上にちょっと前までは社会全体がそういった力を発揮しなくても生きていけるシステムになっていたんだよなあ。だから日本ではなかなかコーチングが根付かなかったんだよね。極端な言いかたをすれば、子供を育てる親の世代が、すでに自分の頭で考えることを放棄したまま大人になってしまったってとこに問題の根がある。
うるうるしながら校舎をでると夕闇の空に雪が舞っている。
茨城沖ではM4~5クラスの地震がお昼過ぎから立て続けに起きているし、なんとも変な天気だよなあと思いつつ、鞄の中の自転車のキーをごそごそとさがした。
脳みそのなかでは武田鉄也の『贈る言葉』がエンドレスで流れっぱなし。
卒業式っていえばこれでしょと思いつつ、世代が古いかな、やっぱり(^^;
2006年3月13日
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Comment
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「自分で考える力」は大切ですよね。 試行錯誤することによって力が生まれると思います。 先に人に答えを求めたら道程というものがないだけに脆いかと。 私の場合、自分で考えすぎて走りすぎるので、これも拙いかと。 「贈る言葉」懐かしいです。金八1世代なので。
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Mizukiさん >私の場合、自分で考えすぎて走りすぎるので、これも拙いかと。 なかなか難しいですね(^^; 走り過ぎて痛い目をみても、そこから学び取ることができればその経験は生かされますからね。 わたしも昔、ローリング族をしていた頃はよく峠でコケて怪我をしてました。ちょっとやそっとのことじゃビビらない自信がついたのが収穫といえば収穫だけど、考えてみたらバイクの腕はぜんぜん上がってない。 ・・・・これってぜんぜん生かされてないってことか(爆)? そういえばMizukiさんとはほぼ同世代ですね(笑。