無条件の愛ってなに?
「ねえ、無条件の愛ってなんだと思う?」
先日、友人がわたしの顔をみるなりこう言った。
「そりゃまた・・・えらい壮大な質問だね(笑」
「ん~わたし、わかんないんだよね。最近よくいろんなひとに、無条件の愛をもつことが大事だって言われるんだけど、なんか、納得できないっていうか・・・なんとなく違和感があるんだよね」
そもそも「愛」ってなんだろう?
親子、恋人、友人、さまざまな関係があって、その関係の数だけ愛の種類があるのかもしれない。考え方はひとによってさまざままだけど、わたしにとって「愛」というのは、相手がありのままで存在することを認めることかな。
自分と価値観の違う部分があってあたりまえだし、いやな部分もある。どうしても改善してほしいと思えば、素直に自分の気持ちを伝えて、お互いの妥協点を見つければいい。いやな部分もふくめて、それでも相手を大切だと思えるなら、その気持ちが愛と呼ぶものなんじゃないかな。
人間は美しさや優しさといった善の気持ちだけをもって生きているわけじゃない。ときには嫉妬に苦しんだり、不安や恐怖、怒りの感情をおさえられなくなったりすることだってある。これはごくあたりまえのことなんだよね。
青春マンガを見ているとときどき、「相手のよい部分を信じろ」ってせりふがでてくることがある。
それは相手の真実の姿を見ていない。
それどころかそうしたものの見方は、相手の一部分しか認めていないってことなんだよね。これは言葉を変えれば、条件付きで相手の存在を認めるってことなんだよね。
「あなたの『良い』ところだけ存在を認めます。あなたの『悪い』部分はなかったことにします。すなわち、あなたの中に悪は存在しません」
親にこれをやられたら子どもはきつい。
言うことをきくよい子の自分、勉強をする自分、友達に優しい自分、一生懸命がんばる自分、明るくて活発な自分、親の期待どおりの自分しか認めてもらえなかったら、子どもはいつしか自分の感情をもつことに罪悪感をおぼえるようになってゆく。
そして、ありのままの自分は愛される価値がないんだと思いこむ。
だって親がなんと思おうと、心のなかには、怠けたい気持ちや遊びたい気持ち、友達と喧嘩して落ち込む気持ちが間違いなく存在するんだもの。それらを世界で誰よりも大切な親に完全に否定されたら、子どもは仮面をつけて生きるしかなくなる。
むかしうちの子がまだ幼稚園の頃、近所にものすごく活発な少年がいて、いわゆる問題児と呼ばれている中学生だった。ある日、その子がわたしのバイクを盗もうとしたんだよね。たまたま現場を目撃したわたしは、次の瞬間、その子の胸倉をつかまえていた。
頭に血がのぼっていたから、たぶん相当こわい顔をしていたのかもしれない。
どのぐらいにらみ合っていたのか、ふいにその子が目をそらした。
で、ひとこと。
「・・・・クソばばあ」
その子はそう言って、ふてくされたように去っていった。
そんなことがあってから、道ですれ違うと、なんとなく話しかけてくるようになったんだよね。
そんなある日、バイクのオイル交換をしていたら彼が寄ってきた。
「オンナのくせに、バイク乗るのかよ」
・・・・あいかわらず小憎らしいこぞうだな。
「どうせ直線しかスピードだせないヤツが、わたしのバイクを盗もうなんて百年早いよ」
「・・・・」
「図星でしょ」
「なんでそんなオンボロバイク、大事にしてるんだよ」
「型は古いかもしれないけど、よく走ってくれるんだよ」
「ふ~ん」
彼はちょっとニヤけたような顔をした。
それ以来、妙になつくようになった。
ずいぶんたった頃、彼はぼそっと言った。
「自分を本気でにらみつけてきたオトナとはじめて会った」
べつに彼を更生させようとか、難しいことを考えていたわけじゃない。
話してみればかわいい部分もあるけど、バイクを盗もうとしたのを見た瞬間は本気で腹が立ったし、あいかわらず顔をしかめたくなる部分もある。そうしたさまざまな部分をぜんぶひっくるめて、彼という人間なんだよね。それ以上でも、それ以下でもない。
&nsp;
ムカつくところもあるけど、それはそれ。すべてを受け入れる必要はないし、この子はそういう子なんだなあ・・・と思うだけだ。ただその子がその子でいるのを認めるだけとでも言ったらいいかなあ。
たぶんわたしが他人で、彼とは何の利害関係もないから、ありのままの姿を見ることができたんだろうと思う。でも本当の親子や恋人同士であっても、精神的に自立できていれば、こんな心の距離感をとることができるんだよね。
ひとが健康に成長する過程で、かならず誰かに100パーセント依存する時期をとおる。
順番的には幼児期がこれにあたる。
この時期にじゅうぶんに甘えて、はじめて自立に向かうことができるんだよね。
子どもの頃の傷ついた気持ちや満たされない気持ちが残っていると、無条件で自分のすべてを受け入れて欲しいという思いが、つねに心のどこかにある。
無条件の愛って言葉は、いっけん美しい響きだよね。でも必要以上に「無条件の愛」を強調するとき、その無条件の愛をいちばん必要としているのは、その言葉を口にしている本人なのかもしれない。
「・・・そうか・・」
友人はため息をついた。
「そういう話を聞くと、なんだか彼女のこと、憎めなくなっちゃったわ」
でも人間はオトナになったとき、自分で自分を育てることができるんだよ。
わたし自身がそうやって自分を癒して育ててきたんだから、これは自信をもっていえる。
なにより、人間って素敵な生きものだと思わない?
弱さや愚かしさ、そうしたものすべてをもっているからこそ、魅力的なんだよね。
2005年7月1日
★白鳥澄江の著書
なぜ眠り姫は海で目覚めるのか? 超ネガティブ思考を解除する3つのメソッド
★白鳥澄江の新刊はこちらから、1章丸ごと立ち読みできます
「なぜ眠り姫は海で目覚めるのか?~超ネガティブ思考を解除する3つのメソッド」
でーぷすぎる記事やメルマガ限定記事は無料メルマガで配信しています。
興味がある方は、ぜひ下記のフォームから登録してみてね。
↓↓↓
Comment
SECRET: 0
PASS:
キョーコさん。 私の違和感をこんなにわかりやすくお話してくださって、どうもありがとうー! 弱いところ、愚かなところ、全部ひっくるめて、 人間って、本当に魅力のある生き物だと思う。素敵だと思う。 見方が変わると、また新しい入り口が用意されていて、 また一歩、クリエイティブに動きだせることが出来るの。 ありのままを認めることは、綺麗なことばかりじゃないけれど、 だからおもしろいのかもしれない、 人と関わることって。 7月になりました。今月もやることいっぱいだよー。 またお話聞いてね! Cherryでした♪
SECRET: 0
PASS:
ため息ついていた友人(笑)ことCherryちゃん こんばんは。どういたしまして~♪ わたしこそネタをもらって感謝です。 無条件の愛なんて、もう10年以上もほとんど意識にのぼったことがなくて、書くにはいいきっかけをもらったみたい(笑。 人間ってほんと、おもしろいよね。 しょーもない奴ほど魅力的だったりするしね(笑。
SECRET: 0
PASS:
キョーコさん、こんにちは。 愛についての お話 興味深く拝見しました。 先日のコメントから 私のシャーマン観については 全く 怪しいという見解はないことを お伝えします。 これも 書籍からの知識のみですが、 マイケル・ハーナーの「シャーマンへの道」というのを20年も前ですが読んでいます。 (ニューエイジムーブメントの流れが とても好きでした) 昨日、HPを少し拝見していました。 驚いたのが 同じ市民だったことです。私は動物園のそばに住んでいます。 ここはいい町だと思っています。今後ともどうぞ、よろしくお願いします。
SECRET: 0
PASS:
りこうさん こんばんは。 ヒプノや心理カウンセリングのみ、あるいはサイコシンセシスしか知らない場合は、霊的な影響下から逃れられない可能性はありますが、ヒーリングエネルギーを併用したセッションでは、個別にそういったものに対応する必要がないんですよ。 このあたりのことは書くと長くなるのと、コメント程度の内容では誤解を招く可能性もあります。なので先日お邪魔させていただいたときに、あえてコメントを書くのを控えさせてもらいました。 それにしても同じ市内だなんて奇遇ですね。 こちらこそ、どうぞよろしくお願いします♪
SECRET: 0
PASS:
無条件の愛♪ 見返りのない愛かなあと感じました。 たとえば太陽みたいに見返りなく惜しみなく 愛と恵みを与えてくれているような存在。。。 裏も表もひっくるめて。 そんな風に感じました。
SECRET: 0
PASS:
なおこさん こんばんは。 太陽みたいな愛。。。。自然の精霊や神々と交流しているとき、いつもそんなふうに感じます。 人間を越えた愛。。。無限の愛。。。かな。