激動の時代を乗り切る極意」カテゴリーアーカイブ

わたしがマインドフルネス座禅瞑想を教えるようになった理由

 わたしがマインドフルな座禅瞑想を始めたのはいまから37年前、19歳のときだった。始めたのには理由がある。話がさかのぼるが、9歳の秋祭りの夜に当時国内ではまだ症例が知られていなかった重い腎臓病に罹った。そこから10年間におよぶ闘病生活が始まった。
   
 そんなわたしが19歳になったある日のことだ。その日は腎生検だった。腎生検というのは部分麻酔をかけて太い注射針で腎臓の細胞を抜き取る検査のことだ。9歳で病気になってから2,3年ごとに腎生検を受けていたのだ。
 わたしはうつぶせに手術台に寝たまま神さまに祈った。病気を治してくれと祈ったわけじゃない。じつは部分麻酔の注射がめちゃくちゃ痛いのだ。さらに腎臓の深部に針を刺して細胞を吸引するので、麻酔をしていても本チャンの生検は全身に響くほど痛い。だからこう祈った。
 

 神さま、わたしと共にいてください。
 

 心の中でそう言って息を吸い込むと、次の瞬間、強烈な光が現れた。手術室全体が眩しい黄金の光に包まれて、ふわっと体が浮き上がったように感じた。もちろんそう感じただけだ。実際にはドクターたちが麻酔の準備をしていたはずだ。でもわたしにはそう感じたのだ。その光に包まれた瞬間、治ったと思った。次の瞬間、光は消えて、「じゃ麻酔するよ。ちょっとチクっとするからね」というドクターの声が聴こえてきた。
 

 不思議なことに麻酔はちっとも痛くなかった。
 そしてその二週間後、検査結果がでた。それまで2年ごとに腎生検をしていたのだけど、腎細胞20個中16個くらいが炎症を起こしているという結果はもう何年も変わらない状態だった。ところが今回の結果は炎症はきれいにおさまっていて、さらに正常な細胞が増えているというのだ。
 
「おかしいなあ・・・・・・」
 主治医は検査結果を眺めながら首をかしげてつぶやいた。
 絶望的な未来しか残されていなかったわたしの人生はそこから急速に変わった。病気は過去のものとなり、それまでやりたかったオートバイレースにのめりこんだ。
 
 あの光はなんだったんだろう?
 手術台の上で、あのまばゆい光は神さまだと感じたし、病気が一瞬で治ったとも確信した。
 幼い頃から闇が怖いわたしは毎晩目に見えない神さまや精霊に祈らないと眠ることができない子どもだった。クリスマスにはケーキを食べて、大晦日には除夜の鐘を突きにいって、お正月には初詣をするようなごく普通の家庭に育ったので特別に信仰している宗教があるわけじゃない。ただ幼いわたしは妖精がいると信じるのと同じレベルで、神さまは身近で守ってくれる存在だと信じていた。いや正確にいうと信じたかったのだ。10代で未来を絶たれたと感じていた当時のわたしは神さまがいると信じなければ生きるのが辛すぎたのだ。
 
 だからこそあのとき「神さま!」と祈ったのだ。すると本当に神さまが現れた。その後、もういちどあの神さまの光を感じたくて祈るのだけど、なんどチャレンジしてもあのときのような至福感に満ちた光を感じることができなかった。病気は治った。あれはたんなる偶然だったのだろうか? そもそも自分程度の人間が神さまと共にいられるわけがない。
 
 そう思うと深い悲しみと絶望感が襲ってきた。
 もういちどあの光を感じたい。
 もういちど神さまとともにいたい。
 
 その日からわたしは毎日、時間が許す限り何時間でも祈った。
 正座をして目を閉じて、意識を胸に落として、胸の奥の暗闇を眺めながら、自分を投げ出して神さまが降りてくるのを待った。自分から何かを願ったり、発するのではなく、ただ胸の奥の広大な広がりに意識を向けたまま自分を投げ出すのだ。
 
 何時間もただ呼吸をしているだけ。
 最初の1、2年は集中どころか、雑念のオンパレードだった。朝食べた卵焼きやさっきテレビ番組に出ていたタレントの顔といった取りとめもない風景が現れては消えていった。そのうちすこしずつ雑念が浮かばない時間が増えていった。ときおり胸の奥の空間で紫色の光が点滅することもあった。そのうち雑念の質が変わってきた。遠い異国の不思議な風景や古代を舞台にしたさまざまな物語が見えた。頻繁に予知が降りたり、未来に起きる出来事が明確にわかるようになった。けれどわたしが本当に欲しかったのは19歳のときに感じた、あのときの神さまの感触だけだった。
 

 やがて呼吸と呼吸の間がすこしずつ長くなり、呼吸の質が変わっていった。同時に雑念が湧くこともなくなり、集中している時間が徐々に増えていった。何回か爆発するような光を感じる体験を繰り返し、気づいたらクリアな精神状態で神さま、あるいは世界とひとつになっている時間が増えた。36歳のときだったと思う。
 
 いつのまにか19歳のときに欲しかったものは手に入っていた。
 わたしの10代は病気で将来を閉ざされ、絶望と共にあった。けれど19歳のときに起きた奇跡のような体験がわたしの人生を大きく変えた。神さま体験なんて特別なひとだけに起きる出来事で、自分のような病人には手が届かない世界だと思っていた。それでもいちど味わった安心感が忘れられなかったのだ。当時は今のように瞑想は一般的ではなかったし、どこで学んだらいいのか見当もつかなかった。だからわたしは自分の感覚をたよりにたったひとりで模索しはじめた。ずいぶん遠回りをしたけれど、いつのまにか瞑想や祈りの時間だけではなく、24時間どんなときでも神さまと一緒にいるのを信じられる自分になっていた。神さまは奇跡でもなんでもなく、あたりまえの日常になっていた。
 
 ところがあれは2006年くらいだから44歳のときかな。
 あるとき自分の骨格に歪みが生じていて、それが体調不良を引き起こす事態まで進行していることに気づいた。
 
 ショックだった。
 その頃アトピーや初期の癌ならそのひとのために祈ると19歳のわたしが体験したような奇跡がしばしば起きるようになっていた。なによりも神さまと共にいるという感覚がとても大きかったのだ。だから祈りは順調に深くなっていると思っていた。ところが骨格に問題が起きてしまった。どういうことだろう? いったい私の身体で何が起きているんだ?
 
 考えても埒があかない。自己流の限界だ。わたしは正統派のクンダリニヨガの門を叩いた。ここならきっと答えが見つかると思ったのだ。
 クンダリニヨガの稽古は2時間。1時間はみっちり運動、残りの1時間がラージャヨガと呼ばれる瞑想タイムだ。はじめての稽古の日、教わったとおりに丹田呼吸をしてゆくと、一瞬でクンダリニが上がって神さまとひとつになった。瞑想後に先生に聞かれた。
 
「あなたはどこかでラージャヨガ(瞑想)の修行をしていたの?」
「いえ。初めてです」
 先生は怪訝な顔をした。
「さっきのような状態になるにはふつうは何十年もかかる。はじめての人間にできることではないよ」
「本当にヨガは初めてなんです。ただ、19歳のときから毎日何時間も祈っていました」 
「ああ・・・どうりで」
 先生は合点がいったようにうなずいた。
「祈りはバクティヨガというんだよ。日本ではあまり知られていないけれど、インドではバクティヨガの修行をしているひとはたくさんいる。あなたは何十年もバクティヨガの修行を続けてきた。だからいまのあなたがあるわけだ」
 
 
 わたしが19歳のときから毎日何時間も続けてきた「祈り」は立派なヨガの修行法のひとつだったのだ。ああ・・・そうだったのか。誰に師事することもなく、ただ自分の感覚を信じて毎日模索しつづけてきた方法は古代から多くの修行者が行ってきた「行」と同じだった。おまけにバクティヨガという名前までついている。なんだか報われた気がした。 
 
「あなたは高い瞑想の力を持っているが、圧倒的に運動が足りない。瞑想をすると気が動くので、それに対応できる身体を作らないとあちこち問題が出てくる。とくに強いエネルギーと接すると一瞬で頸椎が曲がる。だからラージャヨガ(瞑想)は運動とセットになっているわけだ。瞑想できる身体を作るのは人間の仕事だからね。あなた自身にはもう必要ないが、後から来る人のためにそれぞれのチャクラに対応する開発法を学ぶといい。運動も続ける必要がある。時間があればまたいらっしゃい」
 
 目から鱗だった。運動と瞑想がセットなのは古代インドの叡智だ。
 この日から1年間、この先生のクラスに通ってクンダリニヨガのチャクラ開発方法をしっかり身に着けた。さらにひょんなきっかけから2012年9月から骨格の繋がりを感じて動ける身体を作るフェルデンクライスメソッドを学びはじめた。
 
 じつは座禅瞑想の準備運動&サポートとしてのヨガの体操は大事なポイントが抜けているため、効果を発揮するまでにそれなりの時間がかかるのだ。一般的なヨガの体操(あーさな)は①骨の動きを感じるための仕掛けがわかりづらい、また②骨を視野に入れた理論が一般化されていない、このふたつのポイントが抜け落ちているのだ。そのため骨を視野にいれたわかりやすい指導体系がない。
 
 それに対してフェルデンクライスメソッドでは骨を意識して動く。いちばんびっくりしたのは気功のタントウコウを全く知らないフェルデンクライスのトレーナーの先生に口頭でタントウコウの立ち方を伝えたところ、彼女はすんなりできてしまったのだ。それも最高に完成形の形でだ。わたしの師匠でもあるとある気功のマスターはずば抜けた才能のある弟子にしか秘伝は教えない。ところがフェルデンクライスのトレーナーはその秘伝はまったく知らないにも関わらず、秘伝の角度で立ってしまったのだ。
 
 これがフェルデンクライスメソッドの凄さだ。ヨガや気功では経験を積み重ねることでしかハイレベルの骨の使い方を身に着けることができない。ところがフェルデンクライスメソッドを学ぶと最短距離でハイレベルな骨の使い方を身に着けることが可能なのだ。骨格と意識と気は密接に絡み合っていて、骨格も含めた身体作りと併用で座禅瞑想をするのが安全で効果が早い。わたしが座禅瞑想の準備運動に稽古にフェルデンクライスメソッドを取り入れたのは言うまでもない。
 
 人生は面白い。
 9歳で病気になって辛い10代を過ごしたことや44歳で骨格に問題が起きたことが座禅瞑想の教師としてのわたしの資質を高めてくれた。すくなくともさまざまな失敗を経験してきたことが、座禅瞑想を続けていくうえで多くのひとが陥りやすい課題の解決に役立つノウハウになっているのは間違いない。
 
 先週からスタートしたマインドフルネス座禅瞑想教室はこんなエッセンスがぎゅっと詰まっている。骨格を考えた準備運動とクンダリニヨガと座禅、心理学をバックボーンにしたマインドフルネス、そしてケサラサラな遊び心を混ぜ合わせた1時間45分のお稽古だ。
  
 とにかく楽しい。
 参加してくださったみなさまも、そう遠くない未来に出会うであろうあなたも、日々穏やかに過ごされますように。
 また来週、中野でお会いしましょう!
 
2018年2月22日

マインドフルネスの極意は骨センサーを育てること

 きのうは中野サンプラザでの第一回目のマインドフルネス座禅瞑想教室だった。
 週一回の教室形式ははじめての取り組みなのでどきどきしながら生徒さんを待った。
 
 で、
 面白かった!
 
 参加者は5名様。
 ちょっとした座学のあとに、座禅瞑想のための準備運動。
 本格的に座禅や瞑想に取り組む場合は背骨や股関節、足部などの骨の動きと気の通りを良くする体操をセットで行うことが必要なんだよね。
 
 とくに骨! つまり骨格を本来のバランスで使えると飛躍的に呼吸が深まり、瞑想が進む。ちなみに最先端のスポーツの現場でも骨格で動くということがようやく認知されつつあると師から聞いた。骨はこれからの時代のトレンドになっていくはず。骨を扱う優れた技術がフェルデンクライスメソッドなので、わたしは座禅の準備運動として活用している。さらに準備運動の段階でマインドフルな感覚を養うことができるから一石二鳥だ。
 

 マインドフルネスの基礎は、
「自分がいま何をしているのか、何を感じて、どう身体を動かしているのか」に気づくこと、だからだ。この感覚を言葉で説明するのは難しいんだけど、実際にやってみると、「ああ、なるほど。そういうことか」とわかる。逆にどんなに説明を聞いても、実際に取り組まなければ絵に描いた餅だ。
 
 準備運動のあとは休憩をはさんで、座禅開始。
 座禅にも段階的に技術があるんだけど、今回は基礎から丁寧に。
 
 あっというまの1時間45分だった。
 参加されたみなさまもそれぞれのペースで取り組んでくれて、本当にありがとうございました。一緒に座禅の時間を過ごせたことがめちゃめちゃ楽しかったし、不思議なくらい暖かい気持ちになれたことに自分でもちょっとびっくりしています。わたしは座禅が大好きなんだなあと改めて実感しました。
 
 この胸の奥のあたたかさを大事にしたい。
 これから毎週、息長く活動を続けていきたいと心から思った夜でした。
 本当にありがとう!
 
 教室が終わったあとは中野の居酒屋で浜焼きをいただきました。
 中野の街はディープだな。
 
 ☆興味のある方はこちらからどうぞ☆
マインドフルネス座禅瞑想教室のご案内
 


2018年2月15日
 
 

今年の抱負と記事のお知らせ

 気がついたら今日から2月だね!
 1月中はライティングゼミの宿題に追われて、ブログが更新できない状態が続いていました(滝汗)。2月14日から始まるマインドフルネス座禅瞑想教室のご案内ページをやっとこアップ。
 
 今年はこれまでスペシャル講座で教えてきたマインドフルネスな座禅瞑想を毎週1回の教室で地道にやっていこうと思っています。詳細はメニュー上部のご案内ページでどうぞ。気軽に会いに来てくださいねー。
 

 さて1月中はひたすら宿題で記事を書いていた書きましたが、書いた記事は以下のURLでアップされています。よかったら読んでみてください。
 

◆美味しいコーヒーとマインドフルネスの関係って?
「コーヒーブレイクが人生を変える~マインドフルネス」
 

◆いつか連続シリーズで書きたいと思っていた北東北と縄文のルポ。実際に現地に足を運んで得られた情報をお伝えしていけたらいいなーと思っています。まずは1作目を読んでみて。
「東北の森と縄文のカラス」
 

2018年2月1日

2018年神示

 明けましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願い致します。
 
 毎年恒例の年頭神示ですが、昨年までは年末年始はフェルデンクライス指導者養成コースに通っていたため、東京の自宅で降ろしていました。昨年の正月明けにめでたく卒業したのもあって、今年はお正月から北東北地方に滞在していまして、いまも窓の外の粉雪を見ながらパソコンを打っています。
 

 神示を降ろすにあたって、まず神棚の前で手を合わすと、金色に輝く眩しい光のなかに例年になく珍しいものが現れました。
 
 とてつもなく強いエネルギー。
 そう、黒龍です。黒龍の中でも時代の変革期に現れる、最強の力を持つ暗黒龍王が現れました。で、ひとつ目のメッセージが降りました。
 
 ―――その地を天とせよ
 
 ついで地図が浮かびました。ピンポイントで青森港です。暗黒龍王の本体はそこで待っているのだと直観したので、まずは青森港に向かいました。
 
 滞在先から青森港までは東北道を使えば2時間弱。車を走らせながら思ったのは今年の神示を降ろそうと祈ったとたん、なぜ暗黒龍王が現れたのか? なぜ青森港なのか? 東北、とりわけ岩手、青森など北東北は縄文の遺跡も多く、森や山、土地そのものに縄文の気配が色濃く残っている地方です。さらに青森湾の最深部に位置する青森港は本州と北海道を結ぶフェリーの重要な発着所でもあります。
 
 そうこう考えているうちに雪にけぶる青森港に到着しました。
 港の岸壁に立って目を閉じると、いきなり強烈な風が吹き始めました。雪が横殴りに降ってきます。そして目の前に暗黒龍王の本体のエネルギーが現れました。
 

 黒龍のエネルギーを受け入れて一つになって、ただ在る。
 祈る。
 天と地が繋がる。
 
 光とともに神示が降りた。
 

 というわけで、お待たせしました。ふう。前置きが長くてすいません。やっと、2018年の神示です。
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ショートショート『帝国軍の襲来、そしてわたしは転職に成功した』

 今年もあと数日ですが、お元気ですか?
 じつは先々週から新しい文章スタイルの勉強を始めたんだよね。その一環で毎週なにかしらのコラムを書いて提出するのがお約束なんだけど、これがなかなか難しい。
 
 なんでもそうだけど、新しいことを学ぶときは自分流のスタイルを一回壊さないと吸収できないので一時的にパフォーマンスが落ちる。御多分に漏れず、わたしもまったく書けなくなった。
 
 書きたくてもどう文章を組み立てればいいのかさっぱりわからなくなって、うんうん唸っていたのが先々週くらい。なんとか書きあがった文章はそりゃ惨憺たるもので、とてもひと様の貴重なお時間をいただいて読んでもらうようなしろものではないという(--;
 そんな状態だったので、乙姫のご感想をアップするのが精一杯で、ブログを更新できないまま今日まできてしまったというのが正直なところだ。
 
 でもおかげでわたしは文章を書くのがめっちゃ好きなんだってことにあらためて気がついた。20年近くもインターネット上でブログやホームページを続けてこられたのはその気持ちがあったからだ。というわけで、以下の記事はスランプを脱出した後に書いた2本目です。
 
 この記事は本当はブログに書きたかったテーマだったんだけど、宿題用のコラム記事に使っちゃいました。というわけでここに貼っておきますので読んでくれたらめっちゃ嬉しいです。
 
 タイトルは『帝国軍の襲来、そしてわたしは転職に成功した』です。これは知り合いのA子さんから聞いた体験談をもとにいくつかの要素を絡めて書いたフィクションです。
       ↓ ↓ ↓
 
『帝国軍の襲来、そしてわたしは転職に成功した』
 

 え? ……スターウォーズ?
 思わず振り返ると、黒いダッフルコートを着た若者が駅に向かって歩いていくところだった。連れの背の高いほうの若者がスターウォーズの主人公ルーク・スカイウォーカーについて熱く語っている。スターウォーズは1977年に公開されたジョージ・ルーカスが手がけた作品で、映画界に新しい風を巻き起こした。シリーズはロングランを重ね、つい先月も新作が公開されたばかりだ。ダッフルコートの若者もさっき見た映画の興奮がさめやらぬ様子でしきりに頷いている。夕方のターミナル駅は家路を急ぐ人々と買い物客でごった返している。ふたりの姿はあっという間に人ごみに紛れてみえなくなった。

 じつはスターウォーズにはちょっと思い入れがある。
 話は2年前にさかのぼる。当時勤めていた会社が経営難を乗りきるために希望退職を募った。ところが蓋を開けてみると、当初の予定であった600人をはるかに上回る1200人がいっぺんに辞める事態になった。リストラにつぐリストラがたたって、ただでさえ過重労働状態だった会社は一気に人手不足におちいった。私をはじめ残された社員の負担はそりゃ相当なもので、過労とストレスで同僚や上司がつぎつぎと戦線離脱していった。

 月の残業時間はとうに規則を超過しており、これ以上残業ができないにもかかわらず仕事をこなさなければ集中砲火を浴びる。だから誰もがタイムカードを押さずに深夜まで働いていた。一緒に暮らす家族もいない、夢中になれるものもないまま、家と会社の往復の中でしだいに心身がボロボロになっていきながら、何のために仕事をしているのか、なんのために生きているのかもわからなくなっていた。

 そんなある日、いつものように満員電車のドアがあいて、勤務先のある新宿で降りようとして、身体が動かないことに気づいた。床に根が生えたように足が動かないのだ。私は大勢の通勤客がホームに吸い込まれていくのをぼんやりと眺めていた。やがてドアが閉まり、電車は再び動き出した。見慣れた景色が遠ざかる。気がついたら終点の小田原駅にいた。さっきから鳴り続けているスマホの電源を切り、ふと目に入った駅前のちいさな映画館に入った。そのとき観たのがスターウォーズだった。

 スターウォーズの面白さの秘密はヒット作を生み出す黄金の法則『ヒーローズジャーニー』を使ってシナリオを書いているからだと何かで読んだことがある。『ヒーローズジャーニー』という言葉を生みだしたのはジャゼフ・キャンベルだ。キャンベルは古今東西の神話や寓話、昔話や伝承を丹念に調べてゆくうちにある法則を発見した。すなわち、あらゆる神話は人間の普遍的な心の成長物語なのだ。キャンベルはこの法則を『ヒーローズジャーニー』と名づけた。

 スターウォーズに話を戻すと、主人公のルークは自分の内なる魂の声にしたがって本当の人生を生きる場がどこかにあるんじゃないかと思いながらも両親とともに平穏だけど退屈な日々を送っていた。ところが帝国軍の襲来によって否応なしに冒険の旅に出ざるを得なくなる。彼はいくつもの試練を乗り越え、やがて最大の危機に直面する。

 自分が信じてきたものや成し遂げてきたことはもう役に立たないという事実を受け入れるのは誰にとっても苦痛がともなう。だけどこの局面を打開するには新しい方法や考え方を身に着けるしかない。ルークもそうだった。彼は自分の限界を超えてフォースを操る新たな技術を身に着け、仲間とともに最大の危機を乗り越える。そしてずっと欲しかった自分の居場所を見つける。

 ルークが故郷を捨てて宇宙に旅立ったように、私たちが自分自身として生きていない時、人生の真の喜びとかけ離れているとき、私たちの本質は私たちに呼びかける。あなたが本当に望んでいるものは何? この体と命を使ってこの人生でやり遂げたいことは何? ときに私たちの本質はトラブルという形で私たちの人生に軌道修正をかけてくる。映画は人生と同じだ。映画でも実人生でも主人公はつねに成長することを求められる。自分をごまかして日常をやり過ごしているとき、私たちの本質は自分の人生を取り戻せと呼びかけてくる。

 私の物語の始まりを告げるベルは2年前から鳴っていた。希望退職の話がきたとき、新しい仕事を見つける勇気がなくて見送る側に甘んじた。でも本当はとっくに限界だった。そしてとうとう会社に行けなくなった。

 私はポップコーンを食べながらぼろぼろと泣いた。そして心に誓った。自分自身の人生を取り戻そう。わたしが退職したのはそれから1か月後だった。限界だったわたしの背中を押したのはスターウォーズにでてくる主人公たちだった。映画も人生も終わることのない成長物語なら、きっとわたしにもできるはずだ。寄る辺のない不安の中で、その思いだけが頼りだった。あれから2年、わたしの人生は大きく変わった。

 駅ビルからジングルベルが聴こえてくる。今日はクリスマス・イブだ。夕闇の街にオレンジ色のあたたかいイルミネーションがひとつずつともってゆく。さあクリスマスケーキを買って家に帰ろう。新しい家族とともに迎えるはじめてのクリスマスのために。
(了)
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 今年はもう一本ぐらいブログを更新できるかな。年明けは例年どおり神示をアップする予定です。そうそうイスラエルの砂漠で岩の上に置いたまままわしっぱなしにしていたビデオに、日の出を見ながら降りてきたメッセージが偶然入っていました。それも折をみて何らかの形でお届けできたらいいなと思っています。
 
2017年12月29日