無意識・潜在意識」カテゴリーアーカイブ

無意識と意識 1わたしたちは無意識プログラムに支配されてる?

  人間の潜在意識と顕在意識には役割に明確な違いがある。
 昨日読んだディヴィッドイーグルマンの「あなたの知らない脳」という本にのっていた事例が面白い。以下、
 

 前向性健忘症のひとは新しいことを覚えられない。それどころか、昨日初めてテトリスをやったことすら覚えていない。にもかかわらず、翌日テトリスをやると明らかに昨日よりも上達しているという。つまり昨日のテトリスで学んだ経験は潜在意識の領域に蓄積されて生きているのだ。ただ潜在意識に蓄積された経験に対して、顕在意識の側がアクセスできないだけだ。ちなみにテトリスで勝つにはこれは問題にならない。
 
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君のために祈るよ

 ずいぶん昔、自分には価値がないと思い込んでいた時期がある。
 親やまわりのおとなたちが理不尽な言動をしたときも、
 仕事で背後から弾が飛んでくるという想像を絶するトラブルが勃発したときも、
 客観的にみて、相手のほうが数倍悪いという状況でも、
 長いことわたしは「わたしには能力がない。だからわたしはあのひとたちと仲間でいる価値がない」と思い込んでいた。「悪いのは私。自分には価値がない。」と思うことで、心の奥にある最後の砦をずっと守り続けてきたんだよね。
 

 最後の砦。
 それは、この世界に対する根本的な信頼感だ。
 

 幼いこどもにとっては世界とは身の回りがすべてだ。おとなたちに理不尽な仕打ちを受けると、こどもはこの世界は恐怖と不安に満ちているのだと認識してしまう。まだ自分で自分の身を守ることができない幼いこどもにとって、この世界の実態が愛や優しさではなく、悪意や暴力なのだと認識することは耐え難い苦痛なんだよね。
 

 それよりも、
「自分に価値がないからこんな仕打ちを受けるのだ。いつか自分も価値のある存在になれば、まわりも優しくしてくれるに違いない。この世界には価値がある。この世界は愛とやさしさに満ちているはずだ。ただ価値のない自分にはまだ受け取る資格がないだけだ」
 

 こんなふうに自分を悪者にしても、この世界は生きるに値すると認識するほうがずっと楽なのだ。
 ひとは真の絶望を抱えて生きることはできない。
 幼いわたしもそう思い込んだんだよね。
 だから成人してからも長いこと、根底にある無価値観に悩まされてきた。
 

 そんな自分の気持ちを眺めては受けとめるという作業をするようになってからずいぶん経ったある日のこと。胸の奥で鈍く疼く感覚を感じつつ、その感覚に優しく訊いてみた。
 

 ーーー自分には価値がないと思うことで、どんないいことがある? 何を守ろうとしてきたの?
 
 「信じること。この世界は信じるに値する。人間を信じていいんだ、という気持ち。自分の中のこの世界に対する根本的な信頼感を守りたかった」
 
 ---じゃ、その気持ちを十分に味わって。・・・どんな感じ?
 
 「安心。。。ほっとする」
 
 ーーーじゃ、その気持ちを十分に味わって。・・・どう?
 

 首、そして肋骨がぐぐ・・・・っと動く。筋肉がゆるみ始めている証拠だ。背中と丹田があたたかくなる。
 気づいたら気持ちが楽になって、筋肉や骨格も変化していた。
 

 あれからもうずいぶん経つ。
 いまはもう子どもの頃に抱えていた無価値感はない。もちろん人間の心は玉ねぎみたいなものだから、次のジャンプの時期がきたらさらに深いところのコード化された古い感情が浮き上がり、さらに深い部分を観ることになるだろう。でもいまはじゅうぶんに幸せだ。
 

 そして思うんだよね。 
 自分の中の幼いこども(サイコシンセシスではサブパーソナリティーと呼ぶ)はなんて健気で、一生懸命なんだろう。自分が悪者になってまでも、「わたし」を守りたかったんだよね。「わたし」が生きるこの世界は残酷で恐ろしいものではなく、発展途上ではあるけれど、それでも本質的に愛とやさしさに満ちた世界であるという世界観を守りたかったんだよね。
 

 そんな自分の中の幼いこどもに守られて、私は絶望することなく、ここまで生きてくることができた。
 あらためて私の中の幼い「君」に感謝。
 

 「君」のために時間を超えて祈り続けるよ。
 ・・・・ずっと。ずっとね。
 
 
2014年12月5日