サイコシンセシス」カテゴリーアーカイブ

「自分ミッションをGetする! ボディ&サイコシンセシス実践講座」のご案内 その2

 前にも書いたけど、今年の年明けの神示のキーワード「開港」。
 何に対して? エネルギーというか、地球や宇宙を取り巻く気というか、そういったものの質が今年の6月くらいに三段ぐらい一気にシフトアップした感じがあるんだよね。それにともなって、私自身も目の前の現実も大きく変化していて、いろんなことの再定義づけをやり直したり、新しいことを修得したりいろいろ変化があった。9月は大きな変化の波が動き、さらなるエネルギーのシフトアップが加速しているのを肌で感じる今日この頃。
 というわけで10月15日スタートの「自分ミッションをGetする! ボディ&サイコシンセシス実践講座」は人数にまだ余裕があるよ。興味のあるかたはぜひどうぞ。
 この講座はちょっと思い入れがあるんだよね。
 愛と自由の心理学サイコシンセシスと自由な身体を育てるフェルデンクライスを同時に学べるつくりになっていて、このふたつはめちゃ相性がいいんだよね。心と魂と肉体の三つの方向から「自分」と向き合うことで相乗効果がある。さらに自分を多角的に観ることができるので、自分という存在に対する理解がより深まっていく。
 正直、今回はいつもより少人数クラスなのでかなり濃い内容になりそう。
 そろそろこれまでのような仕事形態ではなく、本格的に地方拠点に移住して半自給自足の生活に移行する時期なのか、フェルデンクライスをメインにしろということなのか、それともいま取り組んでいるレスキューの技術を生かして最前線の現場に行け(行きたい)ということなのか、そのあたりはまだわからない(笑)。
 ただ確実にわたしにも「開港」の風は吹いているということなのだろう。
 それはかなり新鮮で、体が軽くて、おもしろいと感じている自分がいるもの。
 そんなわけで講座はいまの「わたし」をフルにつかって、開港したあとの世界を生きる術を全力でお教えします。                   
「自分ミッションをGetする! ボディ&サイコシンセシス実践講座1」(全8回)土日コース

◆日程
1回目 10月15日(土)
2回目 10月22日(土)
3回目 11月5日(土)
4回目 12月10日(土)
5回目 1月15日(日)
6回目 1月29日(日)
7回目 2月4日(土)
8回目 2月11日(土)
◆時間 9時~16時30分
◆会場 中野サンプラザ研修室(JR中央線中野駅北口徒歩1分)&都内会議室
◆受講料 30万円(税込)
◆トレーナー 白鳥澄江 
◆特典 
 受講期間中は無料で個人セッションを3回まで受けることができます。
◆お申込み方法
『自分ミッション実践講座』受講希望と明記のうえ、 info@lutera.bizま出お申込みください。
分割払いがご希望の方はご相談にのりますのでお申し出ください。
※ 「第1期 ボディ&サイコシンセシス講座」はお試し的な取り組みだったため受講料を安く設定してありましたが、今回は講座の回数を6回から8回に増やし、さらに無料フォローアップセションもついているため、受講料が通常の料金設定となっています。
第1期 ボディ&サイコシンセシス実践講座を受けた方のご感想はこちらからどうぞ!もちろん、10月開講の「自分ミッションをGetする! ボディ&サイコシンセシス実践講座1」はさらにバージョンアップします。
   ↓ ↓ ↓
オフィス・ルテラムウのホームページ「お客様の声」 http://lutera.biz/menu/voice.html          
 ピンときたら、動くとき! あなたとお会いできるのを心から楽しみにしています。
 シャーマン流の不動心を手に入れてみない?
「自分ミッションをGetする! ボディ&サイコシンセシス実践講座」の詳細はこちらからどうぞ


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サイコシンセシスとフェルデンクライスメソッド

 昨年秋からスタートしたボディ&サイコシンセシス講座(全6回)が昨日無事終了した。
 サイコシンセシスとフェルデンクライスを組み合わせた講座はわたしが知っているかぎりでは日本初の試みだ。それだけにメニューを組むのに試行錯誤したけど、それがまた面白かった。
 というわけで、少々サイコシンセシスとフェルデンクライスメソッドについて1年前にはこんなことを書いていた。
    ↓ ↓ ↓
       
 いま自分が何を感じ、どんな衝動に駆られ、何を考え、どういう行動をとっているのかに気づいていられる意識を育てるための技術と理論が体系化されているのがサイコシンセシスの大きな特徴のひとつだ。
 自分の手持ちのカードを変えようとするのではなく、自分がいまどんなカードを持っているのか気づいていることが大事。アサジョーリはこの意識を「観察する自己」と名付けたんだけど、モーシェ・フェルデンクライスもまったく同じことを言っている。
「意識と自覚の間には、本質的な違いがある。自覚は、意識のなかで起こっていること、あるいは意識しているときに私たちの内部で進行していることについて、それを明確に知っている意識である。」(by モーシェ・フェルデンクライス)
※ ここでいう「自覚」はアサジョーリの言う「観察する自己(セルフ)」のこと。
 これね、釈迦も言っていた。
 どの道を通っても、それが普遍的な真理なら同じところに着く。
 サイコシンセシスやフェルデンクライスメソッドがすごいのではなく、尽きることない真理を希求する人類の眼差しこそが偉大なのだ。
 そしてそこに通じる道はわたしの中にも、あなたの中にも、誰の中にも、間違いなく存在している。
 
                                                   (2015年5月)
                      ☆ ☆ ☆
 あらためて1年前の記事を読むといい事を書いてるじゃん(笑。
 日本ではサイコシンセシスはあまり知られていない。
 サイコシンセシスは100年前に体系化され、トランスパーソナル心理学の基本的な体系でありながら、あまりにも未来的なので、保守的な日本の心理学の世界ではついてゆけなかったからだろう。
それでもサイコシンセシスの枠のとどまらず、新しいことや未知の情報には柔軟でいたい。それが真のシンセシス、つまり統合へ至る道だからだ。良いものであればあるほど、その枠に落ち込んでスクエアになるのではなく、それを捨て去ることでより深く道を得る。
 そうそう面白いのはわたしにサイコシンセシスを教えてくれた伊藤さんは日本にサイコシンセシスを持ち込んだ先駆者のひとりだけど、その伊藤さんが面白いことを言っていた。
 アメリカのサイコシンセシス研究所では合気道の授業を取ることが必須。理由は精神を扱うので、身体的な感覚を磨かないとバランスがとれなくなってゆくからだというようなことを言っていた。
 その話を聴いたとき、なるほどと思ったんだよね。
 サイコシンセシスでは「感じる」ことが基本なので、そのベースがあって初めて深いところからの変容が起きるからだ。ちなみにサイコシンセシス研究所の授業の一環でフェルデンクライスATMも受けたことがあると言っていた。
 さすが。
 いろんなことが、ま~るく円になっていくよね。

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CELシャーマンコースのご感想

 昨年10月にCEL講座第2期シャーマンコースを卒業されたC.T様からご感想をいただきました。
 やっぱり文章にしてもらうと嬉しいなあ~。
 ありがとうございます。
 ホームページとブログに掲載させていただきますね~。
第2期CELシャーマンコース受講 C.T 様
【CEL講座を受講して】
 2013年の11月からちょうど1年をかけて、プラクティショナー、マスター、シャーマンのコースを受講させて頂きました。
 このコースを通して、特に自分の中で印象的だったのは「自分の心の声を聞く」ということでした。人の心には、優しさ、使命感、情熱といった素晴らしい働きをする部分があります。同時に、怒り、憎しみ、悲しみといった、一見すると不調和をもたらしがちな部分もあります。こういった、俗にネガティブと言われる感情は、正面から見つめるのは辛いと思ってしまうので、無意識のうちに蓋をしてしまうことが多いです。
 しかし、学んだことを実践し、「今ここ」に意識をおいて、心の声を体感として聞いていく中で、全ての感情は必要だったから存在しているのであり、悪い感情などないのだということが分かってくるようになりました。そして、もう役目を終えた感情は手放して、自由になるということもできるようになりました。
 自分の中では、とても大きな変化があったのですが、CELの講座が効果的な理由は
・理論とワークを組み合わせて学ぶ
 ワークが多めなので体感として新しい視点を学ぶことができる
・複数の視点から学ぶ
  同じ問題について、複数のアプローチ・手法を用いて学び、実践 するので理解が深まりやすい
・具体的、実用的である
  学びは抽象的なものではなく、生活の中でどのように問題が現れるのか実際にどうすれば良いのかを具体的に学ぶことができるといったところにあると思います。
 上に「自由になる」という表現を使わせて頂きましたが、まさに、自分の本当の意志、自分の本当の意図を持って人生を生きていけるようになるのがCEL講座の素晴らしいところだと感じています。
 また、白鳥先生、講座を一緒に受けた仲間との普段の交流が、学ぶと言うことの意味を私に教えてくれました。感謝の念にたえません。本当にありがとうございました。
                               2014年12月24日 
 C.T様、あらためてありがとうございました。6月のブラッシュアップ講座でまたお会いしましょう♪  byキョーコ

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本当の自由

 多くの人々は自由ではなく、じつは支配されることを望んでいる。 
 なぜなら精神の牢獄にとらわれている人々にとって自由とは苦痛が伴うものだからだ。

 一般的に自由が大事だと思われているけれど、じつは私たちの多くは本当の意味での自由を望んではいない。たとえば好きなファッションをしたり、好きな職業に就いたり、好きな時間に好きな場所に行くことは社会上の暗黙のルールに払拭しない範囲での自由であり、本質的な自由とは違う。一見常識から外れた行動や感情的な言動をとることもまた本質的な自由とは違う。むしろ感情や思い込みにとらわれているという意味では牢獄にとらわれたままだ。
 真の自由の獲得は精神の自由から始まる。
 いつでも好きな時に特定の感情にどっぷり浸かることもできれば、それらと自在に距離を置くこともできる。つまり感情からも、思考からも、感覚からも自由であることが真の自由を獲得した状態だ。表面的に静かな状態であっても、その精神は遥かに自由であることは多々ある。
 こうした自由な精神を持ってこの世界を生きる時、わたしたちは誰に仲介されずとも、直接この宇宙の深い愛を感じ、育まれていることを実感することができる。
 根底のところでこの世界を肯定できると言い換えてもいい。
 
 だから自分で考えて、自分で決めて、その結果を自ら引き受けることができるわけだ。
 たとえそれが世間の人々から支持されなくても、失敗に終わったとしても、何があっても自分自身でいることができる。なぜならどんな自分であっても、この世界を育む大いなる力から無条件に愛されていることを知っているからだ。
 ところが本質的な精神の自由を獲得していないひとはGoかStopか、いま幸せかそうでないかを判断するとき、自分自身の内側から湧き上がる答えを待つのではなく、親から刷り込まれた古い思い込みや恐怖等の感情、世間や自分の所属している社会の常識に照らし合わせる。
 つまり宇宙の根底につながる自分自身の内なる答えを優先せずに、幼少時より刷り込まれた社会的な枠組みの中で正しいと思われる答を選択するのだ。もちろんそれはローカルルールでしかない。あるいは特定の感情の暴走に任せて選択すれば、それは感情の奴隷でしかない。その意味ではやはり不自由なのだ。
 ずいぶん昔、都会育ちの姪っ子を伊豆の保養地に遊びに連れて行ったことがある。近くを流れる川で遊ぼうと思って、姪っ子を外に連れ出して一緒に田舎道を歩いていると、はじめは物珍しそうにきょろきょろしながら歩いていた彼女が不意に立ちすくんだ。
 どうしたんだろうと思って彼女の視線を追うと地面を歩き回っているアリが目に入った。照りつけるような真夏の日差しのせいか、むっと土の匂いがする。アリたちはせっせと餌を探して歩き回っている。
「アリがいっぱいいるね。餌を探しているんだよ」
 どうやら都会育ちの姪っ子はこんなにたくさんのアリを見たことがなかったらしく、すっかり怖気づいて、突然、宿に帰ると言い出した。仕方なく宿に連れて帰ると、そのあとは部屋の中で持ってきたゲームばかりしていて、結局東京に帰る日までゲーム三昧でほどんど外にでなかった。
 慣れない環境の中で恐怖という感情が彼女の行動にストップをかけたのだ。好奇心やチャレンジという選択肢もあったはずなんだけど、それまでオートロック式のマンションに住み、常に親やおとなの目の届く範囲で安全に守られて生きてきた姪っ子の目には、その枠の外の世界はおそらく恐怖と不安を引き起こす危険な世界に見えたのだろう。
 真の自由を獲得しようとすれば、幼少期より刷り込まれてきた幾重にも重なる思い込みと真正面から向き合うことになる。自分の本当の望みから目をそらして生きてきたひとにとって、それはこれまでの人生を否定することにすらなりかねない。
 それくらいなら多少不自由でも誰かが決めてくれたルールにのっとって生きていったほうが楽だと思う人のほうが多いのだろう。日本にかぎっていうなら、天皇制をはじめとして戦後に出来上がった社会的なルールがそうだ。唯我独尊といったのは釈迦だと思うけど、唯我独尊でいられるほど自由で成熟した精神を獲得している人類はそう多くはないけど、それでも釈迦にできたんだから同じ人間。私たちにできないはずはない。
 戦後の社会構造の矛盾は2011年3月11日に起きた東日本大震災をきっかけにとっくに露呈しているはずなのに、わたしたちは壊れかけた社会構造にいまだしがみつこうとしている。社会が私たちの安全を担保してくれていると思い込んでいるならそれは幻想だ。
 じゃあ安全はどうしたら手に入るのだろう?
 簡単だ。
 本当の自由、精神の自由を手に入れることだ。
 ひとりひとりが本当の自由を手に入れたなら、あっというまに世界は変わる。
 愛と思いやりが戻ってくる。
 自分の人生を愛し、自由に生きているひとは他者の人生も自分の人生と同じように尊重できるからね。

 ホビット3「決戦にゆくえ」のラストシーンで、ドワーフの王であるトーリンが言っていた。
「誰もがお前のようにGoldではなく、家を大事にするようになれば世界はもっと住みやすいのだろうな」
 と。映画の中で、家とは愛と自由の象徴だ。
 トールキンがホビットを書いた時代は言うに及ばず、遥か古代から人類にとって愛と自由は課題だったのだろう。
 人類の歴史が戦いの歴史なら新しい時代を担うわたしたちがそれを塗り替えてゆけばいい。
 
 愛と自由の歴史へと、ね。
  2015年3月11日
  文責:キョーコ

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ひとを育てる極意

 子育ても、職場で若い子たちを育てるときも、教師として人間を育てるときも、いちばん大切なのは、その人の中に眠る育つ力、すなわちそのひとの持つ可能性を信じること。
 人間相手だから思い通りにならないことのほうが圧倒的に多い。
 答えを教えるのは簡単だけど、そのやり方だと別のシチュエーションで応用がきかないんだよね。だから答えを教えるではなく、相手が試行錯誤しながら自分で答えを見つけるまで待つことが大事。
 信じるだけでいいの? って、よく若いお母さんたちから聞かれるんだけど、信じるだけでいい。
 どんなにきつい状況でも、心の底から信じてくれるひとがいれば、ぐっと踏みとどまれる。
 そして必ず未来を掴む。
扇さくら もちろん育つのを待つには忍耐力がいる。
 育てる側は心配したり、不安になったりしつつも、信じるところに戻る意志の力が必要なんだよね。
 この力、不動心といいかえてもいい。
 サイコシンセシスの言葉を使うなら、セルフを育てるということだ。
 
 これは自ら育ててゆくしかない。
 だから子育てはもちろん、ひとに何かを教えることは自分育てになるわけだ。
 育てることを通して、自分もまた育つんだよね。
 だから新米お母さんや新米教師は自分を育てるつもりで取り組むと、人生の一時期、きっととても濃く、有意義な時間を過ごせると思うよ。
 

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