歌いたい気持ち
このところ月二回のヴォイストレーニングが楽しい。
わたしはこと音楽に関してはけっこう波がある。精神的に安定しきっているときは歌の練習もそれほど気合がはいらないんだよね。存在して、呼吸しているだけでじゅうぶんと思える、達観したクリアな意識だったここ一年ぐらいがそうだった。
でもこの年で悟るわけがないので、精神の成長のブレークタイムだったんだろうな。夏頃から始まった自分のなかのあらゆる感情の波を眺めながら幾度となく自分のなかにこんな感情があったのかという新鮮な驚きと戸惑いを感じていた。そんなとき心の内側から歌いたい思いがあふれてくる。
生きるっておもしろいなと思う。
怒りや悲しみ、喜びや慈愛。認めたくない感情と向き合って、その思いを抱きしめることができたとき、怒りや悲しみは深い愛にかわる。ひとつひとつの感情はなんて愛しい存在なんだろう。
誰もが一生懸命生きているんだよね。
愛するがゆえに大切なわが子を無意識のうちに安全だと信じる場所に閉じ込めてしまうこともあるかもしれない。そして無垢な子供たちは無意識にその愛を感じるからこそ、それに応えようとして自分の本当の気持ちをがんじがらめに縛りつけてしまうこともある。
そんな人間がとても愛しい。
不器用で、でも精一杯生きようとする、あなたの命の輝きに気づいている?
だいじょうぶ。
気づいたその瞬間から、ひとは変われる。
本音で生きることはこわいかもしれないけれど、きっとうまくいく。
なぜならひとはみんなひとりじゃないから。
わたしのなかの歌いたい気持ちを呼び起こしてくれてありがとう。
内側から歌があふれてくる。
やっぱり達観するより渦中にいるほうが楽しい。
いまはまだ夢の途中。
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はじめまして。レイラインを辿って来ました。
まだ拝見したばかりなのですが、最近知りたかったことがテンコモリで大感激です。
学びながら自由に生きるのは最高に幸せな事ですね。
「本音で生きるのは怖い」とありますが、本音とは私にとっては「子供の心」のようです。
私はある馬鹿馬鹿しい娯楽だけのために、老人を抱えた病気持ちの親を置き、海外へ行きたいと考えています。
自分でもいい年をしてなんて情けなくで幼稚なのかと思います。でも本音では叶えたいのです。
馬鹿らしい夢でも意味があるものなんでしょうか…
mari さん
はじめまして。
コメントありがとうございます。
>馬鹿らしい夢でも意味があるものなんでしょうか…
mariさんが心から望んでいるなら、それは決して馬鹿らしい夢なんかじゃないのでは?
ひとそれぞれしがらみやさまざまなものを背負っているので一概にはいえないけれど、いま私が思うのは最後の瞬間自分の人生に納得して死ぬことができれば、それでいいんじゃないかと思います。
自分に正直に生きようとすれば、ときには他人に迷惑をかけることもあるかもしれないけれど、他人に迷惑をかけないで生きている人間なんてひとりもいませんから(笑)。
なにが自分にとって本当の幸せなのか、ゆっくり考えてみると自然とこたえがででくるかもしれませんね。
キョーコさま、こんばんは
昨日、何度も読み返していました。そして、ずっと考えていたんです。
多分上手く言えないけど、私の想いがキョーコさまに届いて答えが返ってきたような、そんな気持ちなんです。
数日前、いつかキョーコさまに会いに行きたいねってパパと話していたんです。絶対会いたい人リストのおひとりで〜すっ^^
前回投稿したときから、ガラリと変って私の中の何かがかわったようです。自分の名前に少し近づけたような、そんな心に近づけたような、魂に近づけたのかのかなぁ?と思っています。ありがとうございます。
Yaccoさん
こんばんは。
>多分上手く言えないけど、私の想いがキョーコさまに届いて答えが返ってきたような、そんな気持ちなんです。
そうでしたかぁ。。。シンクロしているのかな。
>絶対会いたい人リストのおひとりで〜すっ^^
ありがとうございます。
素直にうれしいです^^
>自分の名前に少し近づけたような、そんな心に近づけたような、魂に近づけたのかのかなぁ?と思っています。
なにか心境の変化があったんですね。
自分の名前に近づくというコメントを読んで、ふと「ゲド戦記」を思い出しました。
「本当の名前を教えておくれ」というフレーズがありましたね。
お返事、ありがとうございます。
シンクロというより、私がキョーコさまに「縋ってる」って感じでしょうか。重くてすみませ〜んっ^^; あちこちに縋ってる私かもしれません(TT)
そうなんです。「ゲド戦記」
とても辛かった6日に、観ていました。たまたま7日に返さなきゃいけなくて、観ずに返すのはもったいないっ。なんて思って^^;
娘の質問に答えながらで、じっくり観られなかったんですが、本も読んでみたい。と思うくらいでした。そして少し勇気を貰えたような感じです。きっと肉体の名と魂の名は別物で、そこに近づきたいのかなぁ。とも思います。それが言葉になったんでしょうねっ (/*^^*)/ハズカシ 今日またレンタルして来たので、浸ってみようと思います。
Yaccoさん
どういたしまして。
>ゲド戦記
そうだったんですか@@
映画と原作は大きく違うみたいですが、それぞれ別物の楽しみがありますね。
>きっと肉体の名と魂の名は別物で、そこに近づきたいのかなぁ。とも思います。
どうなのでしょうねえ。。。むかしの貴族は自分の名前は親しい身内にしか呼ばせなかったといいますが、名前がそのものの本質をあらわす言葉だとすれば理解できます。
すべてが意味のあるシンクロなのだと考えるなら、自分の本質にちかい精神で生きるようになると、肉体の名前のもつ本当の意味するところで生きられるようになるのかもしれないですね。
キョーコさま
私は自分の名前に、ずっとコンプレックスを感じていました。
何て名前を付けてくれたんだぁ!って思う程・・・名前負けしている私。
もうご存知だと思いますので、書いちゃいます。「穏」です。一文字ではありませんが。
これに一番近い精神で生きるようになると、本当の意味するところで生きていけるんだ。と改めて確認出来ました。
キョーコさまのコメントひとつひとつが、私の心に響いてきます。
そして、もっと自分を大好きになって、もうひとりの自分と話しながら、今を生きたい。と思いました。ありがとうございます。
また挫けそうになったら、助けてくださいね^^;
Yaccoさん
はい。了解です^^
こんにちは。
名前について、ちょっと書かせてくださいね。Yaccoさんの名前の一字があまりにも素敵だったので。
私の母から聞いた話。
兄が生まれて名前をつける時、親だとどうしても要らぬ感情が入るからと、両親は当時4〜5歳の長女に決めて貰おうと思ったそうです。幾つかの名前を書いた紙をこよりにして引かせたのだそうです。そうしたら、何度やっても同じ名前を引いたのだそうです。
両親のいなくなった今は名前はとても愛しく、確かに両親から受け継いだ、そしてもっともっと沢山の繋がりを受け継いだその証。私に託された何か。
そんな深い思いを感じます。
テレサさん
こんばんは。
いいお話ですね。
お兄様の名前の話はとても不思議ですね。
命名はそのものに命を吹き込む作業だからこそ、ご両親や世代を超えた魂の深い愛に繋がるのでしょうね。
わたし個人の話で恐縮ですが、子供の頃は澄江(本名)という名前がいやでしかたなかったんですよ。よく親に「どうしてスミレ(一字違いなので)という名前にしてくれなかったの」と駄々をこねたものです(笑)。
でもおとなになって神様事とかかわるようになって、澄江の本当の意味を知ったとき、名前は決して偶然つけられたものじゃないことを知りました。なんだか不思議ですね。
キョーコさん こんにちは。
私事で恐縮ですが、コメントさせて下さい。
「愛するがゆえに大切なわが子を無意識のうちに安全だと信じる場所に閉じ込めてしまうこともあるかもしれない。そして無垢な子供たちは無意識にその愛を感じるからこそ、それに応えようとして自分の本当の気持ちをがんじがらめに縛りつけてしまうこともある。」
ほんとタイムリーなお言葉です。
私は私の気持ちを両親にわかって欲しかった。尊重して欲しかった。
ただそれだけ・・・
自分の感情に気がついたけど、今はまだ両親を憎む気持ちが拭えません。
「許す」と言う考え方は傲慢かもしれないけど、やはり許せません。
こんな私もまだまだ夢の途中、こんな私ですがこの過程もいつか楽しめる時が来るでしょう・・・自分の感情と向き合いながらゆっくり進んでいきます。
柴犬さん
こんばんは。
うん。そうですね。ただわかって欲しいだけなんですよね。
>自分の感情に気がついたけど、今はまだ両親を憎む気持ちが拭えません。
それでいいのだと思います。いま柴犬さんのお心のなかにあるリアルな気持ちをなによりも大事にしてあげてください。どんな賢者の言葉よりも、傷ついた自分の気持ちを慈しみ抱きしめてあげること、そんな自分のペースでゆっくり歩いてゆけばいいんじゃないかな。
いつも応援しているね。
テレサさん、はじめまして?どこかでお会いしてますねっ^^たぶんっ
お兄様の命名の経緯は、何かを伝えるべく起きた現象なんですねっ、きっと
私の場合、「康」・「泰」・「安」を父が考えていたそうですが、母が「お父さん、これしかないわよ。穏」と言ったことで決まったそうです。
託したものは、「おだやかな心、やすらかな心を持って育ってほしい」という思いでした。それは小学生の時、宿題で自分の名前の由来は?で知りました。
成長していくにつれ、それが自分に重く感じるとは思っても見ませんでした。そして今、職場は「醍醐・・・」といい、醍醐天皇とは関係ないと思いますが、妻の名前と同一。といことに驚いています。何か縁があるんでしょうねぇ。またビックリなのは、理事長の奥さんが、私の名前と読みが一緒なんですよっ@@
そんな偶然か必然の中、生かされています。
こんにちは。
Yaccoさんとどこかでお会いしてるんですね?
>お兄様の命名の経緯は、何かを伝えるべく起きた現象なんですねっ、きっと
そうなんです。色んな意味があると思いますが、私にとっては長女の命名ですね。
うちのダンナが他の女性が聞いたらルール違反に思えるような名づけ方をしたので、結婚前にこの話しを聞いてなかったら今この場にいないかも知れませんねえ〜〜〜。
人知を離れた力に託すということだけど、現実は危機回避の話しだったりしてます。ふっふっふ。 ではでは。