2006年01月29日

バンド少年とホリエモン

 先日、ひさしぶりに立川の貸しスタジオに行った。
 今回は歌の個人練習じゃなくて、ヒーリングセッションの第5チャクラワークを行うため。

 メンバー募集の張り紙が所せましと張られた薄暗い階段をあがり、古ぼけたドアをあけると、一瞬タバコの煙が鼻をつく。広い待合室の一画に革ジャンを着た金髪のバンド少年たちが陣取り、二重ドアの向こうからドラムの振動が伝わってくる。


 (あいかわらずだなあ・・・・)

 ここに来る子の大半は、学生や20代後半から30代前半なんだよね。わたしみたいにヒーリングセッションに使うために来る人はまずいない。

 でも彼らを見ているといつも思う。
 形になるかどうかわからない夢に情熱をかけられるってかっこいいなって。髪を金色に染めて、擦り切れたジーパンをはいてイキがっているけど、音楽が好きな気持ちは本物なんだよね。

 ボイストレーニングの先生が以前言っていたけど、日本の音楽界はいい歌をうたう人が売れるわけじゃない。むしろプロダクションからみれば、売れる素材、時代が求めている音楽を量産しているのが現実だという。だから当然、本物を育てるという発想はないし、リスナー側もいいものを聞き分ける能力が育たない。実際、その曲がヒットチャートに入るかどうかは、プロダクションがどれだけお金をかけたかで決まるんだそうな。

 つまり流行歌手になりたいなら、チャンスさえあれば夢はお金で買えるってことなんだよね。
 ただしそれはお金で買える程度の小さなものでしかない。

 いい声がでたとき、納得できる歌をうたえたときの、あのなんともいえない至福感は練習を積み重ねなければけっして手にはいらない。
 スティービー・ワンダーは、たしかそれをこんな言葉で表現していた。

 「すべての音は寸分の狂いもなく宇宙の調和の中にある」

 このせりふはボイストレーニングの先生からの又聞きなので、もしかしたら正確じゃないかもしれない。でもわたしには彼の言いたいことがわかる気がする。技術面は別にして、いい声が出せたときっていうのは、祈りに似ているんだよね。

 わたしにとって祈りというのは、何かを頼んだり願ったりするものではなく、ただ神・宇宙と一体化することなんだよね。その時は、自分でありながらすべてなんだよね。わたしはわたしであって、同時に風であり、大地であり、道端の小石であり、この宇宙すべてが自分の中にあるとでも言ったらいいかなあ。

 いい声がでたときっていうのは、まさにこれと同じで、自分は歌っているんだけど、同時に音そのものなんだよね。音になって振動しながら、わたしの肉体は空気やテーブルや壁や街路樹やすべての粒子と混ざり合って、かぎりなく透明になってゆく。この感覚は自分が本当にうたいたい歌、納得した歌じゃなきゃでてこない。

 多くのアマチュアパンドをやっている子たちが大切にしているものって、この、自分たちが納得できる音を出すことなんだと思う。もちろん自分の内側から生まれるものよりも、世間に迎合した売れる路線の曲を作るアマチュアもいるし、プロダクションからのそうした誘いに乗る子たちだって大勢いる。かれらにとって、夢はお金で買えるものなんだろう。

 でもそうじゃなくて、自分の内側から生まれる音を大切にしているアマチュアだって大勢いる。少なくともわたしの大切な友人たちはみんなそうだ。 
 音楽は魂。
 わたしはそうした彼らの音楽が大好きだし、とても心を動かされる。
 感動はお金では買えないんだよね。

 今回の一連のライブドアの件を見ていて思うのは、ホリエモンというのはまさに現代社会の象徴だなあってこと。
 かれの「ひとの心はお金で買える」という言葉に対して、政界や経済界の重鎮(?)たちが口をそろえて非難していたけど、これはブラックジョーク以外の何者でもないね。

 だって「ひとの心はお金で買える」っていうのは、かれらの本音でしょ? ホリエモンは、建前ではきれいごとを言っていたかれらの本音をずばり体現していたんだよね。それは日本という社会そのものの大半を占める価値観を体現していたといっていい。

 だからこそある時期からホリエモンはマークされたんだと思う。このままいけば、日本を覆っていた建前が崩れ、社会のシステムの矛盾や醜悪な実態が白日のもとにさらされ、やがて多くの人がおかしいと声を上げ始める危険性があるからだよね。それが引き起こす現実は、既得権をもっている人間にとっては崩壊の足音そのものにほかならない。

 簡単にお金で買えるものにしか価値を見出せないひとたちがいる一方で、バンド少年たちのような人間もいる。

 今回の事件は社会の価値観をくっきりと浮かび上がらせてくれたけど、日本社会の裏側に巣食う闇は深い。表だった派手な報道の裏側に思いをめぐらせたとき、事件の本質が見えてくる。
 
 スタジオの帰り道、ホームで電車を待っていると、スポーツ新聞を熱心に読んでいる仕事帰りのサラリーマンがいた。「新社長就任」という見出しが目に飛び込んでくる。ふうん。フジテレビはどう動くのかな。

 電車がホームにはいってきた。
 乗り降り客でごった返すホームでギターを担いだ学生とすれ違った。
 
一瞬、目が合った。

 未来はけっこう捨てたものじゃないよな。
 ふいに発車ベルが鳴って、ゆるやかに電車は走り出した。

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この記事へのコメント
キョーコさん、こんにちは。
歌うときに、いい声が出ると音そのものになる・・・その感覚はとてもよくわかります。
ただ歌っているだけなのに、涙が出てくるくらい感動する。
あの体験は忘れられず、もちろんいくら積んでも買えるものなんかじゃない。一人でいても、同じ歌を何年も歌い続けることができます。
本当にいい歌は、一生モノなんだなぁ・・と思います。
Posted by Betty-A-Sateau at 2006年01月29日 14:26
Bettyさん

こんばんは。
Bettyさんもうたう楽しみを知っていらっしゃるんですね♪
いい歌はほんと、一生ものですね。無人島に行っても、歌うことができれば退屈しない気がします^^
Posted by キョーコ at 2006年01月29日 22:32
こんばんは。
私の妹もここ数年前まで ボイストレーニングを積み重ね、歌う事に積極的にしていたのですが、市場に出るための圧力とか、年齢(まだまだ若いのですが)すっかり辞めてしまいました。でも、圧力からくるストレスから解放されてよかったな〜という反面、楽しみを一つ無くしたように見えて、残念でもありました。歌う場ってたくさんあるんですよね。本当は日常の中に。
妹が歌っている時の顔、めちゃめちゃ好きです。
おまえさん、とろけすぎ〜〜☆とこちらまで、とろけてきます。
妹にキョーコさんのブログを紹介させてもらいます☆
妹ならこの感覚しっているはず☆

日常的なステキな感覚を
あたたかい表現で ありがとうございました☆
Posted by 梨恵 at 2006年01月29日 23:49
梨恵さん

こんばんは。
妹さんも歌をうたっていらっしゃるんですね。
私が通っているところは、日本では数少ないロックやポップスを歌うための発声法を教えているスクールなんですが、そこの若いトレーナーの先生たちの話を聞いていると、本当に歌い続けたいのなら、いくらでも道はあるんだなあと思うんですよ。
わたしの担当の先生はたしか30前後だったと思うんですが、彼女も本気で歌手になりたくてプロダクションに所属していたことがあるんだそうです。いまはトレーナーをしていらっしゃるけど、本当に歌が好きで、楽器としての自分を少しでも磨いて、いい歌をうたいたくて日々練習をつづけているんですよ。
その姿に感動するし、いつも勇気をもらっています。
妹さん、肩の力が抜けたら自分の道が見えてくるかもしれないですね。
なんだかつい長々と書いてしまったけど、心から応援しています♪


Posted by キョーコ at 2006年01月30日 00:23
こんにちわ^^

私歌の事はよく解らないけど、上手いだけじゃない
心のこもった歌って聴いていてわかりますね。
魂の喜ぶことをしてる時って何だか涙出ちゃいますね。

ホリエモン・・・私は嫌いじゃないです。
新聞もテレビも騒ぎすぎだと思う・・・。
Posted by みずき at 2006年01月31日 16:16
みずきさん

こんばんは。
心のこもった歌は素直に共感できますよね。

>魂の喜ぶことをしてる時って何だか涙出ちゃいますね。

その気持ち、わかります。
そういうことをしてる人を見ていると、つい応援したくなっちゃいますよね。
ホリエモン、わたしもけっこう可愛いなあと思います。ほんとの巨悪は後ろにいるってことに気づけよ、マスコミって感じかな(笑)。まあなんだ、奴らも手がだせないんでしょう。

Posted by キョーコ at 2006年02月01日 00:58