自分自身のリーダーになる~乙姫プロジェクトのご感想③

 12月も半ば。いよいよ今年もあと半月を切りましたね。
 さて10月6日満月からスタートした乙姫プロジェクトのご感想をいただいたのでご紹介します。
 
 そもそも乙姫プロジェクトはヒーローズジャーニーが凝縮された作りになっているので、たった3泊4日の滞在にも関わらず、このプロジェクトに参加することで実人生が魂の望んでいる方向に大きく動きだすという特徴がある。なのでプロジェクトが終わってからもどんどん人生が動く。C様はそんな大きな動きの真っただ中で、ご感想を書いてくださいました。ありがとうございます! 以下、ご感想を掲載しますね。
 
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◆C様のご感想
 徳之島で行われた乙姫プロジェクトに参加したのは、2017年10月6日(金)から9日(月)の4日間。そして、その感想を書いている現在は、それから丸2か月後の12月6日。
 
 旅を振り返り文章に記すまでに2か月も時間がかかってしまったのは、帰京後に自分自身が根底から覆されるほどの揺さぶりを受けたからだった。
 今もなお揺さぶりは続いている。直接のきっかけとなった出来ごとによって、意識の底の底、いってみれば私の中の深い海の底の砂の下にひっそり隠れていた「私のある一部分」と対面している。それはたぶん、幼少期からずっと私を守り続けてきたもので、後ろ盾も力もない若い私が、生きていくためにつくりあげた決意みたいなもの。それが今、浮上してきたのは、プロジェクトを体験したことと無関係ではないと思う。
 

 徳之島はほんとうに素晴らしい場所だった。島の優しい空気に包まれて、凝り固まっていた心も身体もほぐされていくのを感じた。海も空も風も木々も鳥のさえずりも。どこまでも澄んでいて、それでいてふんわりとした感触がした。そんな気配が島のそこかしこを満たしていて、身体の芯から癒しをもたらしてくれたように思う。東京から遥か遠いこの島で今回のプロジェクトが開催されたのは、この島の持つ癒しが私たちに安心感を与えて、スムーズに変化を促してくれるからなのだと思った。
 

 このプロジェクトに参加する際の約束ごとがふたつあった。まずは自分が自分のリーダーになること、つまり自立(自律)してできる限り自分でできることは自分でやる。けれどその一方で、必要な時には躊躇せずに仲間に助けを求めること。特に海など自然と対峙する際には、チームでサポートしあって臨む。自然のなかで事故がなく安全に過ごすために、これらを柔軟に素早く判断して選択することを求められた。
 

 けれど、そのどちらもが私にとっては緊張を強いられるものだった。完璧に出来なければいけない、失敗は許されない、出来ない自分は認められない。そんな「・・ねばならない」制約をまだまだたくさん抱えていた。自分にできることを自分でやる、たったそれだけでも、その行為が「間違っていないかどうか」を判断するのに時間がかかる。判断基準のほとんどが自分になく常に外部にあるからだ。さらに、人に助けを求めることが何より苦手だった。人に迷惑をかけてはいけない、無理をしてでも自分だけでやらなくてはならない。問題はなるべくひとりで判断してひとりで何とかする。
 

 そんな生き方をずっとしてきたから、チームワークは非常に苦手だった。人の助けになりたいと常日頃から思っている一方、人に何かを頼むということは難しかった。さらに、すべてにおいて判断に時間がかかるので、慣れないこと、慣れない場所ではほかの人とリズムが合わず気後れしてますます時間がかかる。合わせようと焦りを感じてますます状況と感情が悪化する(と感じる)。もちろん、何十年と社会生活を経験してきているので、こうしたことを周囲に悟られないようにうまくごまかす術も身につけてきたけれど、今回はその本質の部分と向き合わざるを得なくなった。
 

 3日目に、チームで追い込み漁をして自分たちの食糧を得るというプログラムの時だった。疲れからか朝から体調が悪く、漁をするエリアまでたどり着いた時点で身体がしんどいと感じた。我慢して最後までチームと共に行動するべきだという使命感のような考えがこれまでの自分。けれど、今回は素直に弱音をはいてボートにつかまって待機させてもらった。リタイアする勇気。仲間に助けを求める勇気。迷惑をかけてしまうけれど、きっと受け止めてもらえる。新しい私の選択だった。
 

 チームのみんなが網をはるためにさらに沖にでて、長時間海に浮いたままでいるのが遠くに見えた。私だけ楽をしているなぁと少し胸が苦しかったけれど、ひとりボートの舳先につかまって長いこと波に揺られていた。ときどき舳先から手を放して、仰向けになって海にぷかりぷかりと浮いて空を眺めてみたりした。これまで海で泳いだ経験は数回しかない。ウェットを着てシュノーケルをつけているとはいえ、時折いいようもない不安や恐怖を感じる。
 

「その不安は自分が作りだしている」前日にシュノーケリングをレッスンしてくれたインストラクターの鈴木さんが教えてくれた言葉を何度も心の中で繰り返した。ウェットスーツを着ていれば体は沈まない。けれど、不安などから体の一部が緊張してこわばると途端にバランスを崩してしまう。そんな時は体の力をすべて抜いて海にゆだねることだ、と。海を信頼して、海に自分の体を預けてしまうことができると体が安定して波がベッドのように体を支えてくれた。
 

 海を信頼して、思い切って私を丸ごとゆだねてしまう。すると、海はしっかりと私を受け止めて守ってくれる。この時の体験は、私の身体と意識に深く刻まれたように思う。たぶん、海だけではなく、どこにいても私はこうして守られているのかもしれない。私さえ勇気をもって信頼してゆだねることが出来れば。遠くで網をもって頑張って浮かんでいる仲間を見ながら、そんなことを感じていた。
 

 東京に戻って数日経ったころ、ある出来ごとが私の感情を大きく揺さぶった。これまでの私であれば平常心を取り戻すまでに数週間はかかると思われる出来ごと。次々に湧き上がる感情を受け止めながら本来の自分自身と繋がろうと試みた時に、あの海に浮かんでいた時の体感を思い出した。体の力を抜いてすべてをゆだねてしまう感覚。胸の中心から暖かい何かが広がっていく感じ。それは緊張した体に安心感のようなものをもたらして、すっと自分自身と繋がることが出来た。さまざまな感情は繰り返し押し寄せてくるけれど、それとは別に自分の中にひとつのラインが通っていて、冷静な自分と会話することが出来る。おかげでほんとうの自分の気持ち、自分がどうしたいのかを速やかに確認出来て、当初予想したほどの混乱もなく、驚くほど冷静に判断することが出来たように思う。
 

 とはいえ、このラインはまだ強固さに欠けるようで、疲れや体調によって負の感情に覆われそうになることもある。それでも、諦めず繰り返し力を抜いてゆだねてみる。すると、時間はかかるが必ず平常心を取り戻せる。そんなことを今、日々繰り返し試している。
 

 海にすべてをゆだねてしまう感覚は、祈りの際に「繋がる」時の感覚とよく似ていると思う。これまで、繋がる感覚を得るまでには、祈り始めてから心を徐々に鎮めていくため時間がかかっていた。それが今は海に浮かんでいたあの感覚を思い出すだけですぐにあの暖かな安心感、私にとって繋がったサインである感覚を得ることが出来る。
 

 今回のプロジェクトで得たものは、海での体験のほかにフェルデンクライス、気功、ビーチでの瞑想、ダンスを通して、身体の感覚が鋭敏になったこと。信頼できるバディ、仲間を得たこと。たくさん話したこと。たくさん笑ったこと。理屈抜きに目いっぱい楽しんだこと。苦手だった海が大好きになったこと。行動に移すことが早くなったこと。特に楽しいことはすぐ実行するようになったこと。などなど、手にした宝物はたくさんある。
 

 いつか徳之島にまた行きたい。きっとまた何か大切なものを得られる気がする。
 

☆ ☆ ☆
 

 C様、キョーコです。お返事にも書きましたが、ご感想を読んでなんだか深く心の響いたんです。C様にとって大きな体験だったんだね。それは徳之島の海と自然と仲間たちとの繋がり、そしてそれらを受け取ることを自分に許したC様自身がもたらしたものなんだろうな。。。と思いました。ありがとう。
 そしてシュノーケリングレッスンの特別カリキュラムを制作かつ指導してくださった徳之島のダイビングショップマリンサービス海夢居の鈴木さんに心から感謝します。超一流の海のプロフェッショナルの鈴木さんがいたからこそ、海初心者でもこんな素敵な、たぶん希有の体験ができたのだと思うのです。本当にありがとうございました。これからもよろしくです。
 2017年12月15日 
 キョーコ

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