イスラエルの旅⑦(終章) 赦し~ネゲブ砂漠にて

 砂漠の色合いは日本のどの景色とも違う。コントラストがはっきりとしているのだ。極度に乾燥しているため、発色が空気中の水蒸気に邪魔されないからかもしれない。
 
 星空を眺めながら、ひとりで黙々と乾いた丘陵地帯を歩いていると、時折まだ暗いのにどこからか鳥の声が聴こえてくる。周囲には誰もいない。動くものは自分だけだ。ずっとここに来たかった。生きるために最低限のものしか与えられていない過酷な場所だからこそ自分の本音と否応なしに向き合わされる。何者でもない、ただの人間として、この世界と向き合ってみたかった。
 

 風が強い。
 夜明け前の吹きさらしの大地は容赦なく風が通り抜ける。
 胸の奥がきりきりと痛む。
 東日本大震災以降、わたしは胸の奥でずっと挫折感を抱えていた。

 
 自然や大きな歴史の動きを相手にするシャーマンという仕事は消防士や自衛官に似ている。事前に予知という形で情報を受け取り、それに対して対処するよう指令が下るので、黙々と対処する地味な仕事だ。東日本大震災のときも9か月前の2010年7月に首都壊滅の予知を受け、さらに直前の2011年元旦にも神示を受けた。被害を最小限に食い止めるためにできることはやった。結果はたくさんの方が命を落とされ、未曾有の原子力発電所の事故が起きた。もちろんわたしの責任じゃないのは重々承知。それでも予知していながら被害の拡大を防げなかった、職務をまっとうできなかったとの思いが強かった。そんな思いに向き合う暇もないほど慌ただしく震災直後の東北入りと祈りの被曝ヒーリング勉強会の開催もあって身辺がおちついたのは震災から2年が過ぎた2013年になってからだ。
 
 その頃になって、自分の中のどうしようもない無力感と挫折感にやっと気がついた。うっすらとPTSDだと気づいていたけど、それを受け入れることすらできなかった。シャーマンの仕事はもうやらないと思った。降りてくるメッセージをシャットアウトして、フェルデンクライスを学びはじめ、趣味やルテラムウの仕事に軸足を置いて生きるのは楽だった。でも心のどこかでリミッターがかかっているような感じで、ぬるく生きている感触がぬぐえない。目の前に薄い幕がかかっているような感じだった。
 
 考えてみればこの「ぬるい感」はあたりまえで、全方位で開いていた精神をたとえ部分的であっても閉ざすわけだから結果として精神そのものを抑圧することになる。全開でいた時と比べると世界が色あせるんだよね。
 

 今年にはいってから自分が思った以上に深手を負っていたことに気づいた。それでもどうしていいのかわからなかった。ただ前線に復帰する時期が近いことだけはひしひしと感じていた。
 

 明け方の砂漠の風の中であのときの痛みと悲しみがごっちゃになってこみあげてきた。そう、わたしは悲しかった。自分の力のなさが許せなかった。大切なものを守りたかった。だから自分を責めて、それにかかわるものに心を閉ざした。
 
 しんとした乾いた空気の中でその思いを静かに受け入れていく自分がいた。
 ーーーそうか。。。悲しかったんだな。自分は。
 そう思った。
 精一杯やれることはやった。
 素直にそう思えた。
 

 シャーマンに戻ろう。
 自分の心に従おうと素直に思えたのだ。
 
 不意になにか大きな力に呼びかけられて目をあけた。目の前に眩しい光があった。砂漠に積み重ねられてきた数千年の歴史。人間の悲しみや叶わなかった願いや限りない希望、はるかな想いがいまこの瞬間に集約されてそこにあった。未来を託されたのだと思った。
 
 わたしたち人間はひとりであって、ひとりじゃない。個人であって、個人じゃない。ひとりの人間が一生のうちにできることなど限られてる。どの時代でも人々は果てしない夢を見る。あたりまえに家族や恋人、友達の笑顔がそこにあること、喜びを分かち合って生きること。そうした無数の人々の思いを今に生きるわたしたちの誰もが託されているのだ。私たちの人生は私たちのものであって、私たちだけのものじゃない。誰もがみな命の連鎖の中で繋がっているのだ。
 

 たしかに受け取った。
 あなたたちができなかったことをわたしがやる。わたしの代でだめなら次の時代を担う子たちに引き継いでゆくだろう。
 

 目を開けると、東の地平から最初の太陽の一筋の光が届いた。 
 数千年前にモーゼがユダヤの民を引き連れて40年間さまよった荒野。
 遊牧民やナバテア人が香をもって隊商を組んで旅した道。
 
 いずれこの地で戦争が起きるだろう。
 それでもひとの子として喜びを分かち合い、悠久のときを生きよ。
 
 予知が降りた。
 それすらもネゲブの大地はただ静かに見つめつづける。
  

 もうだいじょうぶ。
 日本に戻ろう。
 仲間のいる場所に帰ろう。
 (了)
 
2017年11月20日
 

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砂漠にて

 
◆イスラエルの旅シリーズ
イスラエルの旅① 帰ってきました
イスラエルの旅② イスラエルの朝ごはん
イスラエルの旅③ テルメギドと最終戦争
イスラエルの旅④ イエスと聖母マリア
イスラエルの旅➄ 死海
イスラエルの旅⑥ ネゲブ砂漠の宿
イスラエルの旅⑦ 赦し~ネゲブ砂漠にて

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イスラエルの旅⑦(終章) 赦し~ネゲブ砂漠にて」への4件のフィードバック

  1. なおねえ

    キョーコさま
    おかえなさい。そして素敵な報告ありがとうございます。魂の旅、楽しく読みました。
    キョーコさんご自身の写真すごくきれいです。とてもいい顔をされてます。
    これからまた楽しみですね。ますますのご活躍期待してます。

    返信
    1. キョーコ 投稿作成者

      なおねえさん
      ただいま戻りました。
      いろいろありましたが、やっとふっきれたので、前に進みます(^▽^)
      いつも温かい目でみてくださって本当にありがとうございます。
      写真、えへへ。嬉しい。ありがとうございます!!

      返信
  2. 大石康代

    こんにちは。キョーコさん 初めてコメントします
    熊本のヤスヨと申します。
    イスラエルの旅⑦(終章)とても心を打ちました。
    私自身も去年から色んなことに心を閉ざしてもくもくと進んできて
    生活するだけで精一杯で、でも今日目にしたイスラエルの日の出は
    私にもすごく必要だったようです。
    (へんな文章になっちゃいましたが、伝わるかな(笑))
    これからもお体を大事にされて、ご活躍くださいね。

    返信
    1. キョーコ 投稿作成者

      ヤスヨさま
      はじめまして。コメントをありがとうございます。
      ああ・・・そうだったんですね。
      イスラエルの日の出、ヤスヨさまに届いてよかった。

      返信

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