2回目の生まれ変わり ①

 生まれ変わりという言葉を聞いて、あなたはどんなイメージを持つだろう?
 じつはわたしは生まれ変わったと思ったことがある。誤解のないように書いておくけど、それはいわゆる前世とか過去世といったたぐいのものではなくて、今生の人生においての話だ。
 

 あれはたしかいまから13年ぐらい前のことだったかな。話を当時までさかのぼると、2002年からシャーマンとして活動を始めて2年の間にいろんなことがあって、やっと自分に無条件に100パーセントOKをだせたのが13年前の42歳のときだった。
 

 100パーセントOKてどんな感じかというと、「弱い自分でもいい」「無力な自分でもいい」「ダメな自分でもいい」「無条件で、どんな自分でもここに存在していていい」というあたりまえといえば当たり前なんだけど、若い頃のわたしはこの感覚が持てなくて、必死で結果を出そうとしたり、何者かになろうとしていたんだよね。
 

 無条件で自分に100%OKを出す心境に至るまでに特別なワークをやったわけではなかった。日常の子育てや雑事をこなしつつ、導かれるようにシャーマンの仕事で家を空けて旅に出るという暮らしの中で、自分の心の揺れを受け入れる作業を地道にしていただけだ。
 

 なにかに集中すると後先顧みずに突き進む生まれついての業と愛情との葛藤や孤独や無力感といった感情をただただ受け入れていった。そしてあるとき突然、胸の奥から自分という存在に対する深い愛情がこみあげてきたんだよね。
 

 ああ。。。わたしはずっと愛されていたと思った。
 

 誰に?
 この世界に。
 この宇宙に。
 無力でもいい。
 無条件に存在を許され、受け入れられ、大切にされていた。
 

 これは13年前のわたしにとっては世界が変わるほど大きなことだった。生まれてきた意味や目的があるとしたら、わたしにとっての人生の目的は仕事で結果を出すことでもなければ、何事かを成し遂げることでもない、この無条件に存在を肯定される感覚を体感するということに尽きる。だからこのとき、42歳にして人生の目的を遂げちゃったんだよね。

 
 ただ空気を吸っているだけで静かな喜びに包まれる。当たり前の日常が穏やかな喜びとともにある。心境がかわっただけでシャーマンとしての力は飛躍的に上がった。無力だからこそ、ちっぽけな自分だからこそ、大いなる力の掌の上に在って、すべてをゆだね、受け入れるというスタンスが取れるようになったからだ。 だって無力だもん。
 
 
 で、そんな状態で半年くらいたった頃だったかな。
 ある晩、祈っていると唐突に気づいた。
 魂が肉体から抜けようとしている! というか、魂はふ卵器の役割を果たしていた肉体を必要としなくなっていて、もっと自由に働くために肉体を抜け出るので顕在意識の「わたし」に覚悟を促しているんだよね。「わたし」が同意すれば、その瞬間魂は身体から抜けるだろう。
 

 当時のわたしにはそれもまたありなのかという気持ちと子どもたちを悲しませたくないという気持ちとが同居していた。そうした人間的な「わたし」を静かに観ている「私」がいる。
 

 子どもの頃、大病を患い、つねに死を意識して生きてきたわたしにとって、死はとても身近な友だった。いつそれが訪れてもいいように生きてきたせいもある。結局わたしは魂の決断を受け入れた。
 
 
「御心のままに」
 

 次の瞬間、どすんと身体が重くなって、わたしはその場に崩れ落ちた。
 数時間後、目を覚ました。
 まだ朝になっていない。
 どうやら死んではいない。
 生きている。
 

 わたしは身体を起こそうとして、のろのろと畳に手をついた。その瞬間、ぎょっとした。身体がスカスカなのだ。もちろん見た目はそれまでと変わらない。ところが感覚としてはまるで全身の肉が乾いたスポンジのようになっていて、重さも半分になってしまったような感じとでもいったらいいのか。
 

 そして次の瞬間、耐え難い絶望と孤独が襲ってきた。

 

②につづく

 
2017年8月5日
 

【ブログ内参考記事】
2回目の生まれ変わり ①
2回目の生まれ変わり  ②

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