おとなになるって何だろう?

 長い物に巻かれない、自己主張のはっきりした若者をつかまえて、「大人になりなさい」と言うひとがいるよね。
 
 大人になるって何だろう?
 
 それは大切な誰かのために自分の欲求を納得して捨てられるようになったときじゃないかなあ。
 

 わたし個人の話をすると、26歳で子供を産んだものの、当時はまだ「自分って何だろう?」という悩みを抱えた初々しい若者だったわたしは一日の大半を家事や育児に費やすことに焦りや不満を感じていたんだよね。
 

 で、上の子が1歳の誕生日を迎える頃には自分の人生を取り戻すためにあれこれ模索を始めた。まだやりたいことをやりきっていない。そもそもわたしは何がやりたかったんだっけ? そんな思いに突き動かされるように、子育てをしながら小説を書き、沖縄や日本各地に取材に飛び回り、占い会社を立ち上げ、DJをやるなどしているうちにシャーマンの道に踏み出した。
 

 いま思うと、あの頃は自分のことしか考えてなかったな。自分が、自分が、と思ったまま、人生の前半を駆け抜けてきた気がする。ようするに子どもだったんだよね。シャーマンの修行をするなかで徹底的に自分自身を見つめるはめになり、やっと自分が欲しかったものに気づいた。
 

 それは「やりたいこと」でも、「生まれてきた意味」でもなかった。もちろん仕事で認められることでもなければ、お金や地位・名声でもなかった。
 

 それは、なんの力もない、無力な自分がこの世に存在していていい、という無条件の肯定だった。それに気づいた瞬間、この世界に無条件に愛されていることを腹の底から実感したんだよね。たしかシャーマンの修行を始めて3年ぐらい経った頃だった気がする。
 

 それからかな。気持ちが落ち着いたのは。
 同時にその頃から自分の欲求ややりたいことよりも、子どもと一緒にいる時間をかけがえのない瞬間だと感じられるようになった。先に生まれた者が後から育つ世代の養分となって枯れてゆくことを自然に受け入れられるようになっていったんだよね。かれらの笑顔を守ること、育てることの前では、自分のわくわくなんてばっさり切り捨てられる程度の価値でしかないと思えるようになっていた。わたしもやっとおとなになったってことなんだろう(笑)。
 

 子どもでいられる時期に周りとぶつかったり、痛い思いをしながらも、なによりも自分の欲求を優先して、やりたいことを夢中で追いかける時期が人生には必要なんじゃないかな。まわりの目を気にして我慢したり、いいひとになろうとしていると、自分という人間の本質がわからないまま年を取ってしまうでしょ。そうすると自分を生きようとしている若者を応援できないどころか、その生き方に嫉妬して足を引っ張るような真似をするつまらないオジサン、オバサンになっちゃうからね。
 

 たまたまきのう封切された映画「ドクター・ストレンジ」を観てきたんだけど、そこで印象的だったのが「ひとのためにあれ」というセリフ。ネタバレになるので、これ以上は書かないけど、マーベルなのになかなか意味深な映画だったよ。
 

 「ドクターストレンジ」はさておき、自分の欲望と真っ正直に向き合いながら、その欲望との付き合い方を学んで、はじめてその欲望よりももっと高次の価値が腹落ちするんだよね。争うことやぶつかることを避けて、その場をまるく収めようとばかりしていると本当の愛も責任もしらない薄っぺらい偽善者になっちゃうよね。
 

 というわけで、人生に迷える若い君に送る言葉はこれ。
 

 「おとなになりたかったら、いいひとになるな! 欲望のまま突っ走れ!」
 


 

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