無意識と意識 3無意識プログラムとフェルデンクライスメソッド

 
 先日4年間のトレーニング期間を経て、やっとフェルデンクライス・プラクティショナーになったことはご報告したよね。フェルデンクライスメソッドについては、ときどきブログ記事にも書いているけど、このメソッド自体が日本ではあまり知られていないんだよね。
 

 う~ん。。。サイコシンセシス(統合心理学)といい、フェルデンクライスといい、世界的にはベーシックな体系でありながら、日本ではマイナーというカテゴリに縁があるのかな(^^;

 

 というわけで、「無意識と意識シリーズ3では、この無意識つまり潜在意識という巨大なシステムの存在を前提に、あらためてフェルデンクライスメソッドでは身体に対してどういうアプローチをしているのか? というテーマを書いてみようと思う

 

 

「3 無意識プログラムとフェルデンクライス」
 
 

 これまでの話を整理すると、人間の神経系・筋肉・骨・内臓・ホルモン・内分泌はもちろん、記憶やイメージ、感情、欲望、思考、行動の大部分は潜在意識などと呼ばれる個々の無意識プログラムに支配されていること、これに対して顕在意識の役割は意思決定(目標設定)であるという話を書いてきた。ここまではすでに現代の脳科学では解明されている。
 
 フェルデンクライスメソッドでは無意識プログラムと顕在意識の意志決定(目標設定)というシステムはどう使われているのか、わたしなりに仮説を立ててみた。ひとつ例をとって考えてみよう。
 

 たとえば床に仰向けに寝て、両膝を立てて、右ひざの上に左ひざを組んで、左側にゆっくりと膝を倒して、またもとの位置に戻るという動きをしなさいと指示されたとする。生徒は指示通りに動きながら、その瞬間瞬間、自分の体の内部で何が起きているのか、自分はその動きをするために骨盤や背骨、胸郭、肩甲骨をどのように使っているのかに注意を向けながら、この動きを感じ取れる速度で、ゆっくりと動きを行う。
 

 人間の体は面白くて、同じように膝を倒す動きであっても、たとえばこれまで意識したことがなかった肋骨の動きを意識すると、それまで動きがあまりなかった肋骨に存在感がでてきて、膝を倒すという動きに生き生きと参加し始めるんだよね。
 
 
 その結果、それまで1枚の壁のような塊として動いていた上半身が肋骨・胸椎・肩甲骨・背骨というパーツが組み合わさり、それらが連動しながら動く精密な組織へと変化する。それが膝を倒すという一連の動きの中に組み込まれるため、結果的に動きの質が上がるわけだ。
 

 ちょっと例えは悪いけど、100円のガンダムのプラモデルは両腕と両足ぐらいしか動かないけど、10000円のやつは胸や腰などの細部を動かして好みのポーズをとって飾れるようにできているよね。人間の身体もこのプラモデルの質の違いに似ていて、上半身を動かすために肋骨・胸椎・肩甲骨・背骨などのパーツが細かく動けるかどうかで動きの柔らかさに大きな違いがでる。
 

 これを無意識プログラムと意志決定(目標・目的設定)という観点でみてみよう。人間の動きには必ず意志と目的がある。まず仰向けに寝て膝を倒しては戻すという動きをすると決めることで第一段階のわかりやすい目的が設定される。そして動き始めると、すぐさま無意識プログラムが発動し始める。
 

 フェルデンクライスメソッドを始めたばかりの頃は、自分の無意識プログラムに気づくと、もっと正しい動き・より良い動きに変化させたいという気持ちになることが多々ある。もちろんその心境も気づきには違いないけど、まだ経験の浅い気づきにすぎない。
 

 そんな気持ちが自分の中にあるなあと眺めつつ、変化を焦る気持ちも、いま働いている肋骨の動きも、どれに対しても興味深く、柔らかな気持ちで受けとめると、無意識プログラムは自分の内部でフィードバックを繰り返しながら、膝を倒すためのより最適なプログラムを創作し始める。ここからは仮説だけど、じつはこの段階で第二の、より本質的な指令が無意識プログラムに出されるのではないかと思う。
 

 それは「育て」という指令だ。
 

 ご存知のとおり禅やサイコシンセシス、シャーマンの祈りなど、世界各地の変容に関する修行法には普遍的な法則がある。どういうことかというと、無意識プログラムをより精巧で上質のものに改善するには逆説的だけど、変化させようとせずに、ありのままの現在の無意識プログラムの状態を柔らかく受けとめることなんだよね。その瞬間、無意識プログラムに変容という指令がインプットされる。
 

 この指令を出す方法が柔らかく受けとめる行為であり、これを「観る」と言う。
自分を観る、状況を観る、心を観るなど、いろいろな場面でこの言葉を使うけど、「観る」には三つの段階が内包されている。
 

 まずは、見る・気づく・意識する・注意を向ける、という入り口だ。
 その次は、見たもの、気づいたものを批判せずにありのままの状態を受け止める段階。
 そして、共感をもって、そのありようと一緒に居る状態。すると植物が太陽の光を浴びてすくすくと育つように、あるいは子供がお母さんに見守られてのびのびと育つように自然に変容が始まる。
 

 たとえば赤ちゃんがお腹が空いて泣いているとするよね。
お母さんは赤ちゃんが泣いていることに気づいて、赤ちゃんの気持ちを受けとめつつ、客観的に状況を判断して、おっぱいを飲ませるなど必要な対処する。そんなふうに世話されることで赤ちゃんはすくすく成長してゆく。このときお母さんは赤ちゃんを成長させようとしておっぱいを飲ましているわけではない。ただその気持ちに寄り添いつつ、同時におとなの視点で必要な世話をしているだけだ。結果的にお母さんのその在り方が赤ちゃんを心身ともに成長させるんだよね。
 

 「観る」はこの姿勢によく似ている。
 

 「気づく」→「受けとめる」→「育む」という三段階を内包した「観る」という行為を通して、人間の心も含めた無意識プログラムをより良い状態に変容させる方法は古来より万国共通の認識があったようで、釈迦などもこのシステムに精通していたのだろう。
 

 フェルデンクライスメソッドもこの人類共通の普遍的なシステムを使っていて、それは現在の最新脳神経学でも説明が可能だということがわたしにとっての新たな発見でもあった。
 

 ふう。。長文、読んでくださってありがとうございました。
 
2017年1月22日
 

■無意識と意識シリーズ
 2017年1月16日 「無意識と意識 1 わたしたちは無意識プログラムに支配されている?」
 2017年1月20日 「無意識と意識 2 不測の事態」
 2017年1月22日 「無意識と意識 3 無意識とフェルデンクライスメソッド」

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