ヒーリングソウル

Healing Soul サイコシンセシスとフェルデンクライス・メソッドを使ったメンタルコーチのブログ。心と体のいい状態を見つけてみない?

サハラ・レクイエム 4

 二十歳の頃、アジアハイウェイに憧れた。
 非売品のブリジストンの地図を手にいれ、重たい荷物を背負って長時間ダートを走る体力をつけるために、休みになると10キロの砂袋をザックにつめては愛車のSX50でひたすら林道を走った。健康上の理由から憧れに手が届かないまま断念したけど、いまではそれもいい思い出。
 そういえば最近は山に登るトレーニングのために分厚い本を詰めこんだザックを背負ってマンションの階段を8階まで往復するのが趣味になっている(笑)。ん? バイクが登山に変わっただけで、やっていることは昔とたいして変わらないって? 人間の根本はそう変わるもんじゃないのかもね。
 というわけで『サハラ・レクイエム』第四弾のお届けです。
 『サハラ・レクイエム 4』
 4 砂漠に棲むモノ
 翌日、高杉は日の出とともにシンゲッティをあとにした。早朝の水気を含んで硬く締まった砂は走りやすい。高杉はアクセルを全開にして飛ばした。このあたりはサハラ特有のローズサンドとよばれる粒子の細かい砂におおわれた完全な砂漠地帯だ。まるで映画に出てくる砂漠さながらの、ゆるやかなスロープを描く砂丘が見渡すかぎり、どこまでも続く。
 山崎の話によれば、死んだ中田はここから百キロほど東に走ったあたりで亡者たちのキャラバンを見たという。高杉はとりあえずそのあたりに行ってみるつもりだった。
 シンゲッティの東百キロという話を聞いたときから、高杉はかすかな予感めいたものを感じていた。そして、それは砂に埋もれたシンゲッティの街を見たとき確信に変わった。理由はわからないが、とも子は、いやとも子の魂はこの広大なサハラのどこかにいる。だが何のために? 高杉にはわからなかった。
(とも子……おまえ、何やってるんだよ?)
 日が高くなるにつれて気温がぐんぐん上昇してきた。同時に砂が乾きはじめ、赤茶色の粉砂糖のような軟弱な砂はバイクの行く手を阻みはじめた。ラフなアクセルワークは即転倒をまねく。高杉はなるべくアクセルを開け閉めしないように気をつけながら、できるかぎり砂の硬そうな場所を選んで走った。
 どこまでも続く赤茶色の砂は強烈な日差しを浴びると、立体感がまるでわからなくなる。平坦な砂のつもりで走っていると、突然目の前に一メートルもあるギャップが現れることなどざらだった。それでなくとも長いことオフロードランとは無縁の生活をしていた高杉はスピードを落として慎重に走った。
 それでも走れるうちはまだよかった。深い砂だまりにはまったとたん、SXは走行不能に陥った。
「くそぉ……!」
 アクセルを吹かせば吹かすほど、タイヤは砂を掘ってずぶずぶと埋まってゆく。灼熱の砂漠に爆音が響きわたり、無意味に吐き出されるオイルの混じった排気ガスの匂いがあたりにたちこめた。
 高杉はしかたなくバイクを降りると、タンデムシートに積んだシュラフやリュックサックを全部下ろしてバイクを押し始めた。ところがタイヤが半分まで埋まるほど深い砂の上では、生半可な押し方ではバイクはちっとも動かない。おまけにあたり一帯はいくつもの砂丘がうねるように続き、ゆるやかな上り坂になっている。
 高杉は渾身の力を込めてバイクを押した。とたんに全身からどっと汗が噴きだした。喉がからからに渇き、心臓が悲鳴をあげる。バイクは遅々として進まない。十メートル押しては荷物を取りに元いた場所に走って戻り、バイクのところまで荷物を持ってくると、ふたたびバイクを押す。その繰り返しだ。あまりの暑さに吐き気がこみ上げた。ひたいからは滝のような汗が流れ、バイザーが曇って前が見えなくなった。


「ちくしょう……!」
 高杉は砂の上にバイクを倒すと、ヘルメットの金具をはずしにかかった。 高杉のヘルメットは二十年も前に買った、金具にベルトをはめこむタイプの旧式のもので、グローブをはめたままだと、どうしてももたついてしまう。ヘルメットぐらい新しいのを買えばよかった。高杉は口の中で悪態をつきながら、乱暴にグローブをはずしてヘルメットを脱いだ。汗でぐっしょりと濡れた髪が額にべったりとはりついている。高杉は手の甲で汗ぬぐいながら砂の上にすわった。
 喉が焼け付くように痛かった。高杉は腰につけた水筒に手を伸ばした。キャップをあけるのももどかしく、水筒に口をつけると夢中で水を飲んだ。甘みを帯びた生ぬるい水が体の中に染み渡ってゆく。口の端から幾筋かの水がこぼれ、砂で汚れた首筋をつたってTシャツを濡らしたがかまわなかった。急速に水分を失って乾ききった体はどんなに飲んでも満足するということがない。ほっておけば、あっというまに水筒一本ぐらい簡単に飲み干してしまう。
 半分まで飲んだところで、やっとのことで高杉は水筒から口を離した。ほんの一瞬名残惜しげに水筒を見つめると、誘惑を断ち切るように腰に戻した。なんともいえない虚脱感に高杉はため息をついた。
 ふと、砂に手をついた拍子に何かが指先にあたった。
「なんだ?」
 熱い砂の中から拾いあげてみると、それは高杉の手の平くらいのサイズの円錐形の先端の尖った石だった。先端の部分はいくぶん丸みを帯びて、鋭さは失われていたが、表面は砂で磨かれ真っ白く輝いている。高杉は以前サハラに来たときにも同じものを見たことがあった。
「やじり……か」
 数万年前にこの地に住んでいた人々が使っていたであろう道具に違いなかった。やじりだけではない。サハラのいたるところに土器のかけらや石臼など古代の石器が放置されたままになっていた。そんなものに興味を抱くのは考古学者と観光客だけで、現地の遊牧民たちには何の価値もなかったからだ。
 高杉はやじりを砂の向こうに放り投げると立ち上がった。陽光が赤茶色の砂に反射して目に飛び込んできた。高杉は思わずまぶしそうに目を細めた。強烈な陽射しに蒸された砂からゆらゆらと陽炎が立ち、ガソリンタンクの向こうの風景がゆがんで見える。あたりは物音ひとつしない。だが迷いはなかった。とも子に会いたい。たとえそれがこの世のものでないとしても。高杉はグローブをはめると、ふたたびバイクを押し始めた。
 悪戦苦闘のすえに、ようやく砂だまりを脱出したものの、あいかわらず砂は深く、高杉は何度もタイヤをとられそうになりながら先へ進んだ。目的地に着く頃には、ずいぶん砂が浅くなっていた。うねるような砂丘は遥かかなたへ消え、あたりは赤茶色の平坦な砂漠が続く景色に変わった。真っ青な空と、赤茶色の砂の海を分ける地平線は、陽炎のせいで黄色くかすんで見えた。
(……暑いな)
 エンジンから立ち上る熱気と、容赦なく頭上から降り注ぐ陽射しに体がまいりかけていた。いったんこのあたりで休憩しようと思った、その時だった。
 一瞬タイヤが空回りしたような気がした。
 あっと思った瞬間、タイヤは接地面を失い、宙を飛んだ。
(しまった……!)
 一瞬、目の端に真っ青な空が映った。そして、記憶が途切れた。
 ……焼けた砂のにおいがする。
 高杉は息苦しさに目を覚ました。最初に視界に入ったのは赤茶けた砂だった。
(砂……?)
 高杉はヘルメット越しに見える砂をぼんやりと眺めた。なんだっておれはこんなところに寝てるんだ。そこまで考えて、高杉ははっとして、起き上がろうとした。
 その瞬間、右の肋骨のあたりに激痛が走った。
「うっ……」
 思わず高杉は低くうめいて、その場に寝転がったまま胸を押さえた。胸の奥を貫くような痛みに高杉は呼吸を止めた。
(くそぉ……)
 高杉はおそるおそる息を吐き出した。肺に急激な動きをさせないように、できるかぎり長い時間をかけて静かに吐いた。
 こんどは胸をかばうように、ゆっくりと顔をあげた。
 どこまでも続く平坦な砂漠。だが高杉がいるところからそれほど離れていない場所に、高さ十メートルほどの切り立った崖のような形をした砂丘があった。
 思わず高杉は目をみはった。
「あれか……」
 どうやら高杉は砂がそこで途切れているのに気づかず、あの砂丘のてっぺんからバイクごと落ちたらしい。あたりには、シートにくくりつけていたはずのリュックサックや水用のポリタンクが散乱している。
(バイクは?)
 こんな砂漠の真ん中でバイクを失ったら、助かる可能性は万に一つもない。高杉は首を反対側に向けた。それほど離れていないところにバイクが倒れているのが目に映った。
(あった!)
 とりあえずバイクを発見しただけで、いくぶん気持ちが落ち着いた。
 高杉は極力体に振動を与えないように、注意深くヘルメットを脱いだ。すうっと頭が楽になった。それからゆっくりと自分の体を点検した。痛む箇所は右の鎖骨と肋骨の付近、それに右の太ももだ。動かすだけで激痛が走るところをみると、右の大腿骨と肋骨の一、二本は確実に折れていそうだ。右手の小指も動かすと痛いが、こっちは捻挫程度だろう。とりあえず出血多量で死ぬことだけはなさそうだ。
「くそぉ……しゃれになんねえな」
 高杉はバイクがどうなったのか気になった。十メートルの高さからまっさかさまに落ちたとなると、かなりダメージを受けているかもしれない。応急修理で直るものならいいが、そっくり部品を交換しないとどうにもならないものだったらお手上げだ。もっともバイクのダメージより何より、今の高杉の体でバイクに乗ることができるかどうかのほうが問題だったが。
 高杉はバイクのようすを確かめたくて、力の入らない右足を引きずりながら砂の上を這っていった。苦痛に気を失いそうになったが、なんとかそばまでたどりついた。
 砂の上に無残な姿のSXが横たわっていた。高杉はひと目見るなり事態の深刻さを理解した。
 ざっと見ただけで、フロントフォークがねじれ、ハンドルが不自然に曲がっている。このぶんじゃ、チェンジシャフトも折れているかもしれない。だとしたらやっかいだ。タンクは大丈夫だ。ガソリンが漏れているようすはない。
 すぐ手の届くところにリュックサックが落ちていた。高杉は手を伸ばしてそれを引き寄せた。バイクのツールボックスからレンチを出して、リュックサックから引っ張り出したTシャツを巻きつけると、それを添え木がわりに折れた太もものあたりに当てて、その上からガムテープでぐるぐる巻きにした。たったそれだけの動作なのに、あまりの痛さに途中で何度も中断した。とりあえず応急手当を終えると、高杉はすこしでも陽射しをさえぎるためにタオルを頭からかぶって砂の上にすわりこんだ。
「……まいったな」
 呼吸が苦しくて、その場に横になることすらできなかった。おまけに胸のあたりがむかむかして、いまにも吐きそうだった。刺すような陽射しはさらに強さを増した。元気なときなら耐えられる暑さも、こういう状態では急激に体力を奪ってゆく。日陰に逃げ込みたかったが、砂漠のど真ん中にそんなものがあるわけがなかった。かといって、どこかに落ちているはずのテントをさがす気力もない。
 ここはサハラ越えのルートからは大きく外れた場所だから、車が通る可能性はほとんどない。以前なら遊牧民にばったり出会う可能性もあっただろうが、亡者たちのキャラバンのせいでその可能性もなくなった。生き延びようと思うなら、とるべき方法はひとつ。なんとしてもバイクを修理して自力でアタールまで戻るしかない。
 足元にからからに乾いたナツメヤシの枝が落ちていた。よく見るとあちこちに乾燥した枝がなかば砂に埋もれるようにして落ちている。このあたりには、何十年、いや何百年か前には遊牧民たちのテントがあったのかもしれない。だが、今は不毛の砂漠だ。
「……くそったれ!」
 ふと真っ青な空が目にはいった。高杉はまるで、いまはじめて空に気づいたかのように抜けるような蒼穹を見つめた。
 もしかしたら、おれはここで死ぬのかな。
 バイクに積んであった飲料水用のポリタンクは落下の衝撃でふたつとも側面にひびがはいり、中の水が全部漏れて砂にしみこんでしまった。残っているのは腰につけていた水筒だけだ。高杉が死を意識した最大の理由はそれだった。だが不思議と何の感慨もわいてこなかった。
 ふと目をさますと日がずいぶん西に傾いていた。赤みを帯びた太陽が、音もなく赤茶けた砂漠を照らしている。どうやら、いつのまにか眠ってしまったらしい。あいかわらず息をするたびに胸に激痛が走ったが、そんなことはもうどうでもよくなっていた。高杉はバイクに寄りかかったまま夕日を眺めた。
 万に一つの可能性に賭けてアタールに戻るという選択肢もあったが、結局高杉はこの場にとどまるほうを選んだ。もしかりにラッキーが重なってアタールにたどり着いて無事帰国できたとしても、それに何の意味があるのかわからない。いまさらながら、高杉は東京に戻ることに何の未練もない自分に気がついた。
(おれの運も、ここまでか……)
 考えてみれば、くだらない人生だったなと、高杉は思った。これまで仕事が楽しいと思ったことは一度もなかった。ハイエナと揶揄されながら、いつも死体と火薬の匂いのする戦場をうろついていた。命賭けで撮った写真と引き換えに、すずめの涙ほどの報酬を受け取るたびに、高杉はおれの命の値段なんてこんなもんかと思った。それでもルポライターを続けていたのは、学歴社会というやつから完全にドロップアウトしてしまった高杉には、体を使って稼ぐ以外、生きてゆくすべが見つからなかったからだ。
 それに死と危険に満ちた場所なら、生き延びること以外、よけいなことを考えずにすんだ。緩慢な時間の中でいろいろなことを考える苦痛にくらべれば、危険な場所に飛び込んでゆくのは造作もないことだった。もしかしたら、高杉は無意識のうちに死に場所をさがしていたのかもしれない。これまで生き延びてきたことのほうが奇跡に近かったのだから。
 せめて、死ぬ前にとも子に会いたかった。会ってどうしたいのか、自分にもわからない。ただ青いミサンガの女が本当にとも子なら、なぜ今頃サハラをさまよっているのか知りたかった。それとも、死ねばとも子のところに行けるだろうか。
 高杉はバイクに寄りかかったまま目をとじた。ひどく体が重い。いくらかやわらいだとはいえ、頬にあたる西日がやけに暑い。
 ふとかすかな砂を踏む音が聞こえた。
(足音?)
 高杉は顔をあげた。
 遠く、地平線のあたりで何かが動いた。
 高杉ははっとして目を凝らした。
 はじめは夕日を浴びて一面に赤く発色した砂の上を、黒っぽい影のようなものが動いているように見えた。やがてすぐに、それは無数の人間の行列であることがわかった。まるで夕闇の中からふってわいて出たかのように、前触れもなく黒っぽい影がふくらんでゆく。かれらは長い長い隊列を組み、無言で砂の上をこちらに向かって歩いて来る。
――亡者たちのキャラバン……!
 高杉は目をみひらいたまま、呆然とかれらを見つめた。

4 thoughts on “サハラ・レクイエム 4”

  1. SECRET: 0
    PASS:
    いいとこで終わりますなぁ(ノ><)ノつづき待つ! バイクのシーンがリアルなのはわかりますが、サハラがリアル(*_*) 行ったことあるですか? 私は今日東京帰りまふ(^O^)/ 山、よき旅を~☆

  2. SECRET: 0
    PASS:
    私も砂漠のシーンえらいリアルやと思いました(^^; 今度鳥取砂丘に行くので思い出しながら歩いてみよう♪ 続き楽しみにしております。

  3. SECRET: 0
    PASS:
    め☆ちゃん 昨夜山から帰ってきました。 サハラは行ったことないですよ~。 サハラを走る代表的なレースであるパリダカをはじめとしたさまざまな砂漠関係のビデオやツーリングレポートを見ているので、イメージがわりとリアルに浮かぶんですよ。

  4. SECRET: 0
    PASS:
    ふみちゃん 砂漠のシーンは、憧れるままいろいろ調べたときの資料や記憶が役に立っています。 その当時はまさか小説の題材にするとは思ってもいませんでしたが(笑)。 鳥取砂丘いいですね! ぜひイメージを浮かべて歩いてみてください^^

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です