レイライン2 鹿島と香取

 鹿島神宮の宝物殿には布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)が展示されている。
 前兆2.71メートルにおよぶ直刀で、10月に鹿島に参拝したときに実物を見てきたんだけど、とにかく長くて、どうみても実践用じゃないなというのが正直な感想。
 
 
 布都御魂剣は武甕槌神が大国主命に国譲りを迫ったときに使ったものとされている。さらに神武東征のおり、武甕槌神が高倉下に布都御魂剣を授けたという話が日本書紀にのっている。そのとき使ったとされる剣は神武軍を勝利に導いた神剣として、当初は神武天皇の即位された橿原神宮に祀られ、のちの祟神天皇の時代に奈良の石上神宮に移されているんだよね。
 

 じゃ鹿島神宮にある布都御魂剣は?
 じつは鹿島神宮にあるのは二代目布都御魂剣ってやつで、剣が作られたのは1200~1300年前。鹿島付近は古代より製鉄業がさかんな場所なので、初代布都御魂剣のかわりに鹿島の鉄を使って作ったんじゃないか言われているんだよね。
 
 
 ここまでは日本書紀および古事記で語られている通説。
 風土記や各神社の社殿、あるいはその地方の言い伝えなどとくらべると、記紀に記載されている物語はどうも藤原氏の影が見え隠れするんだよね。
 
 
 つまり、うさんくさい。
 そもそも武甕槌神という名前は藤原氏の後付けの可能性が高いんじゃないのか?
 


 藤原氏が歴史の表舞台にでてくるのは、大化の改新の立役者のひとり中臣鎌足が最初。のちに中臣氏は藤原の姓をもらって、以後天皇家のお后をだす家系として、平安時代に絶頂期をむかえるよね。その藤原氏の出自は鹿島神宮の祭祀をあつかう中臣氏の流れをくんでいるんだよね。
 

 藤原氏は物部氏や尾張氏などの名家の向こうをはって、権力を手に入れるためには中臣神話が必要だったんじゃないのかな。そうした意識が記紀の編纂に大きく影響しているのは否めない。なんせ記紀編纂の総責任者は藤原不比等なんだよね。
 

 彼は自分たちの存在の正当性をアピールするために、当時の持統天皇の正当性を真っ向から打ち出す必要があった。同時に持統朝が神代の御世から続いてきた神聖な血統であるという神話を作り上げることで、国の基礎をかためようとしたんだと思う。
 

 じゃ事実はどうだったんだろう?
 話がちょいと飛ぶんだけど、鹿島神宮のすぐ近くに香取神宮の社殿がある。
 鹿島神宮の御祭神は武甕槌神。香取神宮の御祭神は経津主神とも斎主ともいわれている。
 

 ここで気づいたと思うけど、経津主大神(ふつぬしのおおかみ)は武甕槌神とともに、国譲りの交渉にあたっている神だよね。なによりこのネーミングが布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)と似ているでしょ。
 

 鹿島、香取、石上ともに剣つながりなんだよね。おまけに香取神宮の御祭神の別名が斎主とある。斎主というのは神を祭る神官のこと。つまり香取神宮は鹿島神宮の神をまつる場だったんじゃないかという説がある。
 

 実際、鹿島と香取の関係は陰陽的に部分があって、鹿島神宮の敷地内には要石と呼ばれる石というか、岩がある。これは古来から地震をおさえる石だとされているんだよね。じつは香取神宮にも鹿島よりもひと回り小さな要石が祀られているんだよね。
 

 レイライン1で鹿島神宮は物部氏の支配下におかれたと書いたけど、正確には、6世紀後半~7世紀前半に鹿島神宮には大(多)氏が、香取神宮には物部氏がかかわっているんだよね。物部氏が『剣』を王権の象徴とする尾張氏・海部氏と組んで東国に進出した可能性は高い。そして鹿島の斎主を祀る香取をおさえることで、物部氏は中臣との戦いに敗れるまでのあいだ、間接的に鹿島とかかわってきたのかもしれない。
 

 大氏や物部氏がやってくる以前の鹿島はどうだったのか?
 4世紀末から5世紀前半には茨城県の八郷から行方郡に前方後方墳(前方後円墳じゃないよ)が集中しているところをみると、大氏・物部氏・尾張氏・海部氏が関東にかかわる前に、この近辺にはある程度の力をもった勢力が存在していたはずだよね。
 

 それがどの勢力だったのかってあたりは文献をみてもよくわからない。ただ出雲色の濃い諏訪大社との関係を考えると、鹿島にかかわった勢力も出雲と関係が深かったんじゃないかと思う。
 

 そう考える根拠のひとつが鹿島神宮の社殿の造りなんだよね。鹿島神宮は大社造りといって、本殿の内陣は出雲大社とまったく同じなんだよね。違いは内陣の御神座の向き。出雲大社の御神座が西を向いているのに対して、鹿島神宮のそれは東を向いているんだよね。どちらにしても参拝者は御祭神の横顔を拝むことになる。
 

 鹿島神宮の御祭神・武甕槌神とは本当は誰だったんだろう?
 神剣の本来の持ち主と剣が同一人物なのはよくある話だよね。剣や弓はしばしば持ち主の神威が宿ると考えられる。そこから王権の象徴である剣や勾玉・鏡を祀るという発想が生まれてくる。
 

 ひとつの可能性として、武甕槌神と呼ばれた人物は剣の所有者であり、歴史上重要なポジションにいた人物であり、同時にそれは藤原氏にとっては歴史上から抹殺したい人物だったのかもしれない。
 

 けれど西国勢力が関東に参入する以前から鹿島では縄文文化が栄え、鹿島社は大切にされてきた。レイラインという観点からみると、武甕槌神以前から信仰されていた神のほうが重要なんだよね。
 その神とは、自然そのものを神と考えた縄文神なんじゃないのか?
 

 常陸風土記におもしろい話がのっている。
 鹿島神宮と香取神宮の祭神は夫婦神だっていうんだよね。鹿島が男神で香取が女神。この二神の間に生まれた子神を付近の神社に祀るという民間信仰があったらしい。陰陽石のようなふたつの要石をみると、この話はなかなか信憑性があるように感じるんだけどね。
  

 諏訪大社と縄文の繋がりは前述したとおり。ここでやっと鹿島神宮と縄文の繋がりが見えてきたよね。レイラインで繋がったふたつのパワースポットがともに縄文の気配が色濃く残っているのはたんなる偶然なのか?
 

 わかりそうでわからないことだらけ。
 そんななか、11月の新嘗祭の前日に友人Yちゃんともに出雲にとんだ。
 
2006年12月7日
 

◆鹿島ー諏訪、そして縄文◆
レイライン・カテゴリの中の鹿島ー諏訪、そして縄文に関連のある記事をまとめてあります。
 
・鹿島神宮 1 諏訪大社と縄文神 2006年10月23日
・鹿島神宮 2 鹿島ー諏訪レイライン 2006年10月28日
・レイライン1 鹿島神宮と縄文 2006年12月5日
・レイライン2 鹿島と香取 2006年12月7日

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レイライン2 鹿島と香取」への4件のフィードバック

  1. nanashi

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    いつも興味深いお話し、楽しみにしています。 ただ文体についてひとこと、「~だよね」が多すぎて読みにくいです。

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  2. Blue

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    世界の歴史を見ると、政権交代が起こるたびに、過去の政権を悪とすることによって政権の正当性を確保する。ということが行われていますね。 日本の古代史は面白いですなぁ。俄然神道に興味が湧いてきました。

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  3. キョーコ

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    nanashiさん いつもありがとうございます。 個人の趣味的ブログですので、文体については片目をつぶって読んでやってください(笑)。

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  4. キョーコ

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    Blueさん >日本の古代史は面白いですなぁ。 こんばんは。 そうおっしゃってくださると嬉しいです。 記紀が勝者の歴史であるのに対して、地方のちいさな神社の社伝や古文書にあんがい史実が残っているんですよ。 その意味では寺社仏閣は歴史や文化の証拠を探すにはうってつけの場所ですね。

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