ヒーリングソウル

Healing Soul サイコシンセシスとフェルデンクライス・メソッドを使ったメンタルコーチのブログ。心と体のいい状態を見つけてみない?

靖国神社と兵士たちの霊に想う

 今日は終戦記念日だね。
 終戦当時、わたしの父は樺太にいた。子供の頃、父はよく樺太の話をしてくれた。
 戦況が悪くなってきたとき、当時の中学校(?)の先生がよくこう言っていたという。
「おまえら、ノートはとるな。どのみち本土にもって帰ることはできないんだから、すべてこの場で暗記しろ」
 
と。


義父は志願兵で、横須賀(だったと思う)の予科練にいたという。
 当時の詳しい話は聞いていないけど、ときどきお酒が入るとぽろっと口にすることがある。
「仲間がやられると、畜生!ってな気持ちになるな」
 これは本音なんだろう。
 いまでは天皇陛下がテレビに姿をみせると、義父は半分ちゃかしたように「てんちゃん」と言っている。でもその横の壁には、色褪せて埃をかぶった皇室の人々の写真が飾られたままになっている。
 それがすべてを物語っているんだろう。
 第二次世界大戦当時、義父をはじめ、兵士たちの間では、「靖国で会おう」という挨拶がごく自然にかわされていたと何人かの元兵士たちから聞いたことがある。
 かれらの多くは国を守るため戦ったのだと思う。
 それは実態のない日本という国のシステムではなく、自分の生まれ育った町や愛する家族、友人、恋人を守りたいという思いだった。故郷の山や川や海、小さい頃夢中で遊んだ裏山のぶなの森。祖父やそのまた祖父といった形で連綿と受け継いできた血のつながりや文化。
 そういったものを守りたい気持ちが、義父たちの世代を戦地に向かわせたのだと思えてならない。
 もちろん戦争に対する思いはひとさまざまだよね。だから世間で言われているように、無理やり徴兵させられたと感じている人々がいた事実も否定はしない。
 ただ靖国神社は軍国主義の象徴だという見方をすることには違和感を感じる。
 さきの戦争に対してはさまざまな見方があるけれど、それがどんな戦争であっても、国を守るために戦った兵士たちを追悼するのは国の最低限の役目だからだ。これは空襲等で亡くなった方々とは根本的に違う。もちろん命の重みはどちらも同じなのは言うまでもない。わたしが言っているのはそういうことじゃない。
 
 国にあとを託すことができると思うから兵士たちは命を賭けて戦えるんじゃないのか。これは自衛隊にたいしてもいえる。彼らがイラクで万が一攻撃を受けた場合は自分や仲間の身を守れと言って送り出すことが本来の国の役割だよね。もし帰国してから殺人を犯した咎で社会的に抹殺されるようなことになれば、かれらの魂は永遠に浮かばれない。
 自分の生まれ育った国に対する最低限の信頼の気持ちがもてなくなれば、国家はその根幹を失ってしまう。
 それがどれほど大きな損失になるのか気づいているだろうか?
 日本は敗戦国なんだよね。
 これが戦後60年たっても、目に見えない呪縛として社会全体に漂っている。敗戦国であろうと、国が自国の兵士の追悼をするのは世界的にはごく普通の話で、どこの国でもやっている。
 中韓が靖国問題に口をだすのは、たんに外交カードとして有効だから言っているだけだ。かれらは日本人のごく一部の戦争トラウマを利用しているんだよね。
 靖国神社は一般の神社と違って、わたしたちシャーマンが感じるような神々は存在していない。逆に戦地で亡くなった兵士たちの魂がそこかしこにいる。さらに生きている人間たちのさまざまな思いもまた渦まいている。
 だって死者たちに言わせれば「靖国で会おう」と約束して亡くなっているんだもの。当然なんだよね。シャーマニックな(霊的な)視点からみると、新しい追悼施設がいかに無意味なのかよくわかる。箱を作って魂入れずってな感じでね。
 本来の靖国神社の役割は死者を安らかに眠らせてあげること。そうすることによって、この場所ははじめて国家守護の結界という本来の役割を果たすことができるんだよね。生きている人間の生くさい感情が死者の魂が永眠するのを妨げているという現実にほんの少しでも思いをはせてくれれば、靖国問題は別の見方ができるのではないかと思っている。
※ 8/15 15時追記
靖国神社のA級戦犯合祀についての考察
戦争犯罪 定義フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
A級戦犯の定義 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
=以下引用=
極東国際軍事裁判所条例の第五条の(イ)の以下の定義
「平和ニ対スル罪 即チ、宣戦ヲ布告セル又ハ布告セザル侵略戦争、若ハ国際法、条約、協定又ハ誓約ニ違反セル戦争ノ計画、準備、開始、又ハ遂行、若ハ右諸行為ノ何レカヲ達成スル為メノ共通ノ計画又ハ共同謀議ヘノ参加。」
を犯したとして、極東国際軍事裁判によって有罪判決を受け、戦争犯罪人とされた人々を指す。
_______引用ここまで
つまりA級戦犯っていうのは、極東国際軍事裁判において「平和に対する罪」の有罪判決を受けた戦争犯罪人をさすんだよね。この「平和に対する罪」というのは、ドイツのホロコーストや捕虜虐待などをはじめとした人道上重い罪とは性格が違う。国の責任者の立場で戦争を遂行したことに対する罪なんだよね。
当時の政治指導層もまた、時代に翻弄された人間のひとりだった。判断ミスはたくさんあったし、間違いを犯したのも事実。
けれどわたしたちはかれらを笑えない。
なぜならひとは誰でも過ちを犯す。
過ちも含めて、当時のかれらが精一杯生きたからこそ、今のわたしたちがこの場にいるんだよね。
だからこそA級戦犯を分祀するという発想は、過去に目をそむけ、現実から逃げているように思える。
靖国神社は公務中に亡くなった方たちの慰霊の場であると同時に、日本という国をくまなく覆う霊的装置の重要なポイントのひとつとして組み込まれている。もしもここを承知で中国が難癖つけているのなら、空恐ろしいものがある。ま、このあたりは巫女のたわごとです(笑)。
☆北海道神宮編は、もう少し待ってね。

2 thoughts on “靖国神社と兵士たちの霊に想う”

  1. SECRET: 0
    PASS:
    その祖父も義父も逝ってしまったけれど、今年のお盆はご先祖様全員勢ぞろいの筈だから、そのつもりでお掃除しました。 ちょっと油断したので、かなりな頭痛になってしまったけど。 ただ、戦死した伯父さんが何故か浮かない感じの顔。 キョーコさんの今回の日記見て、戦士した人たちの共通の想いみたいなものがあるのかな?と感じたのでした。 仕事に行く途中にある、お寺さんが出してる評語(?)に「亡き人を心配するあなたを 亡き人が心配している」っていうようなものが今出てるんですよ。

  2. SECRET: 0
    PASS:
    テレサさん こんばんは。父や母、祖父母の時代は本当に大変だったんだろうなあと思います。 それを子供たちにも伝えていきたいよね。 お盆でお墓参りもしてきたけど、田舎のお墓は10年一日のごとく昔とちっとも変わっていなかったよ。 でも、亡くなった方たちの共通の思いってあるかもしれないね。 きっと今の日本の状況を本気で心配しているのかもなあ。 かれらに安心してもらえるためにも、生きている私たちががんばらないとね♪

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です